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第二百二十八回目のブログ

2019-06-02 19:46:38 | 日記
釧路市 釧路崎灯台
 随分久しぶりの更新で英語でブログを書く元気もないので、日本語で書きます。最近の日本を見ていて危機感を感じるのは、自己責任と他人の責任をあまりに短絡的に振り分ける傾向です。
 ニートやひきこもりが殺人事件を起こすと、単純な自己責任論に飛びつく人がいますが本当にそうでしょうか。よくオリンピックで金メダルを取った人が、これは自分の力じゃない、周りで支えてくれたみんなのおかげです。というのが常套句のようになていますが、その反対のことが彼らにも言えるのではないでしょうか。
 最近本当に思うのは、時代によってその障害の定義が変わる現実です。恐らく一昔前の工業化時代には、体力のある男性が一般的な労働者像だったんだと思います。しかしポスト工業化時代になって、製造業よりもコミュニケーションが求められるサービス業が社会の中心となると、今まで障碍者とも等しい扱いを受けていた女性が、社会の中心に躍り出るとともに、逆にコミュニケーションの劣る人たちが発達障害という括りの中で障碍者となったわけです。
 つまり社会とは可変的なわけです。この社会の可変性の中で、ある人の能力を一方的に自己責任として貶めるのはあまりにむなしい行為です。今、日本が考えるべきことは、単純な自己責任論に議論を矮小化するのではなく、可変的な社会に生きる可変的な個人という視点を持つことだと改めて思いました。