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桜、散った後。

2006年04月16日 | 人生は花が必要。
今年の関西地方は、桜の季節に雨がとにかく多くて、ろくにお花見を楽しめなかった人が多いと思います。かく言う私も夜桜パーティーの予定が飛んで、とても残念でした。

私の実家は、和歌山の山の中ですが、昔に比べれば桜の木が多くなって、春には遠目に花見を楽しむことが出来ます。

でも、実は私が好きなのは、桜の花びらが全部散った直後の、数日間です。花が散った後にはえ始めた葉っぱは濃い赤色(えび茶色)をしていますので、この写真のように山肌がところどころ赤く染まるのです。
桜の新芽は、その花のピンク色を内側に秘めながら、えび茶色の時間をすごし、そして輝く緑へとその身を変えていくのです。季節の"うつろひ"を感じる景色です。

季節は春から初夏に向かって、一年で一番生命感あふれる時期を迎えます。

大阪砲兵工廠:大川端の桜:歴史のモニュメント

2006年04月12日 | 人生は花が必要。
今年は雨の多い桜の季節ですが、今日は夕方から久しぶりに雨が上がってすこし日が差していました。

大阪城近くのホテルでのパーティーに向かう道すがら、ビルの駐車場入り口から向こう側に大阪砲兵工廠越しに大阪城の天守閣が見えました。


正式には「旧大阪砲兵工廠化学分析場」。大阪に残された数少ないレンガ建造物であり、また、先の大戦を伝えるモニュメントでもあります。

「大阪春秋」という本の平成17年夏号の巻頭写真の説明に下のようなものがあります(筆者一部カッコを修正)


『大阪砲兵工廠化学分析場の建物は、大阪城の北西・京橋口付近にあります。煉瓦造れんがぞう地上2階建で、大正8年(1919)砲兵工廠建築課の置塩章おしおあきらの設計により完成しました。この時代の煉瓦造は、大阪市中央公会堂のように鉄筋コンクリートや鉄骨と組み合わせた混構造(こんこうぞう)が多く、この建築も一種の混構造と考えられます。阪急電鉄神崎川変電所、旧道頓堀変電所など、大正時代の赤煉瓦の建物が次々と姿を消す中、数少ない赤煉瓦建築として、また砲兵工廠の遺構として大変貴重なものです。』

大阪城の立つこの丘は、上町台地の北限にあり、浄土真宗、本願寺第8世法主蓮如が山科本願寺の別院として大坂御坊を建立したころには「石山」と呼ばれていたとのことです。その石山本願寺は織田信長と戦いをし、そののち豊臣秀吉の建てた大阪城は冬の陣・夏の陣と、戦いの場となる。そして、太平洋戦争時にはアジア最大と呼ばれるほどの一大兵器工場となった。

なかなか、きな臭い場所なのですが。今は、大阪城公園を中心に造幣局に続く大川端も、桜並木の名所になっています。

歴史を伝える石垣、歴史を伝える建物。大切にしていきたい風景です。
写真は今日の大川端の桜並木

六角堂:西宮市:木造校舎の桜

2006年04月09日 | 人生は花が必要。

今津六角堂は、今津小学校の敷地内にそのおしゃれでモダンな姿を見せて建っています。各地を転々とし取り壊しの危機にさらされたこともありましたが、現在は建築当時の場所に戻っています。
平成7年の大震災により被害を受けましたが、昨年1月改築され、展示室などとして活躍中です。現在は真新しくピカピカですが、もともとこの建物は、明治15年(1882)に当時の今津村、津門村の寄付などにより今津小学校の校舎として建築されたもので、洋式の小学校建築としては長野県松本市の開智学校についで古いものといわれています。
以上
西宮市のwebサイトから引用


今年も、きれいな桜の季節の中で、長い時の流れの中で、どことなし誇らしげに建っていました。

蓮如忌:和歌山:梅の花

2006年04月03日 | 人生は花が必要。
蓮如聖人は真宗本願寺第8世の中興の祖であり,その命日3月25日には法要がいとなわれる。この旧暦3月25日(新暦で4月25日に行うところが多い)を蓮如忌という。

私の実家の和歌山北部も蓮如聖人ゆかりの地が点在しています。そして、3月の最終週から4月のはじめにかけて、"蓮如忌"とは言わず、"永代経"という呼称で蓮如聖人の徳を偲ぶ法要が勤められます。
この写真は在所のあるお寺の本堂前の庭に咲く蓮如聖人いわれの梅の花です。

梅の花から桜の花、、、季節は今年も春を迎えています。