爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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「考えることをやめられない頭」(11)

2006年09月08日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(11)

 過去のわだかまりが気になり、それを一つでも解消したいと思っていた。その一番大きかった原因が溶けていく角砂糖のように、形ちを失っていく。
 あさ、目覚めて最初に思い浮かぶことが、その人の信仰である、と言った人は誰だったろう。再び彼女を取り戻そうとしている自分が眼を覚まして思い出すことといったら、まず彼女の顔だった。そして、街中でも似ている髪形の女性や同じサイズの背中を自然と探す。
 また、電話の前で時を過ごすようになる。そして、会うようにもなる。別れることが、切なくなることもある。たまに彼女の家に寄った。小さかったがきれいに片付いている、井の頭線で数駅のアパートだった。
 だが、こうなれば上手く行くはずだと、頭の中で何回もイメージした事柄が、実際そのような状況に自分の身を置いてみると、しっくりいっていないことに気付く。気付かないように何度も、その気持ちを打ち消したが、以前に彼女と過ごした魔法のような瞬間が消えていきはじめていることを、ある日、動かない事実として、目の前に提出された。前には考えられなかったことだが、些細なことで喧嘩した。謝る回数もめっきり減った。彼女からも、自分のこころから素直に謝罪したり、不快な隙間があることにに後悔したり、それを埋め合わせることもなくなっていった。
 そういうことが何度も続き、結局、二人は距離を置くことになる。冷静になったら、またやり直そうよ、という軽い感じで。それから、電話の回数も減り、会うこともそれ以上になくなり、朝起きて、彼女の存在を真っ先に念頭に置いたり、最前列に並べたりすることも消滅した。
 会わないでいたときの方が、どんなに好きだっただろうか。彼女を苦しめたかもしれないと、反省していたときの方が、どんなに大切に思っていただろうか。
 もっと若いとき、世の中には選択の問題などありえないと考えていた。すべては、運命の扉を開く、イスラエルの預言者のように海も割れるような気がした。しかし、今の自分はすべてに戸惑っている。
 連絡も取り合わなくなって一ヶ月ほど経ち、手紙が来た。今まで、また会ってからも含めて、とても楽しかった、と書いてあった。そのフレーズが、この関係を過去のものにしようとしている具体的な証拠に見えた。そして、彼女がいなくなった。こころの空洞は、また一つかわりに増えた。
 物事を失っていく人たちに興味を持っていく。また、それを克服しようとしている人々には、さらに憧憬の思いを抱く。肉体的なハンディ・キャップをものともしないスポーツ選手。理想的な仲間と別れてしまった人。
 ジャズ・ドラマーのマックス・ローチという人。天才的なトランペット奏者と堅実なピアニストの二人のメンバーを車の事故でなくし、バンドも解散してしまった。
 マーヴィン・ゲイというシンガー。パーフェクトな関係だった女性歌手とのデュエットを、やはり女性が亡くなったため解散してしまった。そうしたことに感情移入しないわけにはいかなくなってしまった。
 だが、こころのどこかで再生しなければと必死に願う。このまま、ずるずるとその痛みを引きずって生きていくには、あまりにも人生の先は長すぎる。
 彼女からの手紙を捨て、残っていた写真も燃やしてしまった。その行為が、すべての解決の糸口のようにして挑んでみたが、そう簡単にこころの荷物などなくなるわけでもなかった。
 彼女とまた会った秋の初めから、冬になり、よく風邪をひくようになった。上手く行かなかったことを何度も頭の中でリピートをしては、自分で採点した。そして、そのことはいつも合格点を与えられず、進級できない学生のように、ある日、見かけより年寄りくさくした。
 頭の中から追いやれず、それでも時間だけは過ぎ、木々も芽生え春が近づいていった。もうあまり悩みたくないとも思っていた。だが、こうした頭や思いの巡りは、生まれつきなのかもしれないと、なかば明るい思考を発展させることは不可能だとあきらめかけてきている。
 ニューヨークのユダヤ人。とくにマラマッドなどに興味をひかれるのは、時間の問題だったのだろうか。選択を信じているのか? 運命の扉が開くのを待ち望んでいるのだろうか? もうあまり人生に期待しなくなっていた。その代償としての喪失に嫌気がさしてきた。