「考えることをやめられない頭」(12)
バイトをしては、やめての繰り返しで食いつなぎ、それでも親元にいたので、今までなんとかなった。そのことがいい加減、父親の目に余るようになっていき、きちんと就職するように強要された。父親は、倒産しないような会社に勤めていた。あの頃は、倒産とかリストラとか、あまり現実味を帯びた恐怖でもなかったような時代だが。
自分は、この世の中でなんとかなるような存在だと思っていた。ある日、なにかのきっかけで、誰かの目に留まり、ちょっとした幸運をブレンドすれば、新しい未来が予想されるような気でもいた。すべてが、人任せのような、手を汚さない幸運でもあった訳だが、もちろん、そう望み通りに性急に訪れないのが、幸運の正体かもしれない。
なんとか、すり抜けるように誤魔化していたが、ようやく決心して、就職試験をうけようとも思った。コネもあるし、そこそこの点数と面接をクリアすれば、合格だと思っていたので、もう開放的な青春期に、きっぱりと別れを告げる時期が来たとも思っていた。そこまで、あきらめの状態に、たどり着くのにも簡単ではない、さまざまな内なる声と格闘した。もしかして、文章を書いて生活をするとか、発行部数の少ない雑誌の片隅にでもある、人にも読まれない記事でも書くような、プライドの持てないような仕事でも、回ってこないかなとも、こころのどこかで考えたりもした。しかし、実行されないのが、空想の決まった形。
そして、その日が迫ってきた。早めに起きて、ある程度、きちんとした服装をして出掛けた。まあまあの筆記テストと、面接はあったのだろうか? もう思い出せずにいる。空いた腹を道連れにして、そこを出た。清々したと同時に、きちんと会社勤めだというある種の暗い気持ちも抱く。それを解くように、帰りにCDショップに寄り、エリック・ドルフィーのアルバムを買う。
家に帰って、それを聴くと、やはり心底から力のある芸術って、人を変えてしまうような力を有している。自分の、潜在的な力を信じること。思っていることを実現させることに、意識を集中させたくなる。
それから、何日ぐらい経ってからのことだろう? その試験に自分は全力を出したつもりで、親のコネもあったし、受からないことなどは、考えてもみなかったのだが、実際の結論は落ちていた。そのことに、自分でも、逆にショックだった。さまざまなことを投げ出しての決意だったのに。
その気持ちを知らない父は、自分が適当な気持ちで、よりいい加減な力でテストを受けていたとも思っていた。普段は、温厚な静かな父だが、酔うとそのことを持ち出し、自分のことをチクチク責めた。もちろん、大人になっている自分はそのことに対して正当な責め方だと認めざるを得ないが、若い自分は腹立たしさのあまり、口も閉ざしたし、それ以上にこころの奥を完全に閉ざした。そうした二人が同じ家に住んでいて楽しいわけもなく、ぎくしゃくした関係は、かなり長く続く。それでも、心を正直に音に乗せたジャズなどを聴くと、いくぶん救われた気持ちになる。
あの頃の自分は、一体なにになりたかったのだろう? 大向こうの反抗ではなく、いつもささやかな抵抗。負けることがわかっていながらの地下からのレジスタンス。
気分をひっくり返すほどの圧倒的な楽しみもなく、それでもいろいろ学びたいことはたくさんあった。仕事の合間に、その限られた小さな時間に、ひとは楽しみを見つけ、費やし、育んでいるのかもしれない。だが、自分はそれでは嫌だった。もっと、多くの時間を、もっと多くのレコードを耳にしたり、読んだり心を豊かにさせる時間がほしかった。
でも、ある時期の日本という経済的に繁栄させた世の中に住んでいる人間だけが許されたことかもしれない。今日一日のパンのため、あくせく努力している国々だって大勢あるだろう。
自分のちからを信じたかった。自分の天分を伸ばしたかった。もっと簡単にいうと歴史に自分という存在がいたことを、かすかでも残したかっただけなのかもしれない。
その、他者との違いを、自分でも不安視していたのに、他の人が分かるはずもなく、一緒に住む家族にももっと理解されるはずもなく、家からも、周りからも、世界からも、一員として認められていないような気がしてきた。
ある日、またもやつまらない説教をきかされ、過去の失敗を蒸し返され、自分も虫の居所が悪かった所為か、この場所から逃げ出そうと思った。多少、金を稼ぐには、ちょっと離れたところで働いてもいいかなと考えた。この辺が潮時だ。
バイトをしては、やめての繰り返しで食いつなぎ、それでも親元にいたので、今までなんとかなった。そのことがいい加減、父親の目に余るようになっていき、きちんと就職するように強要された。父親は、倒産しないような会社に勤めていた。あの頃は、倒産とかリストラとか、あまり現実味を帯びた恐怖でもなかったような時代だが。
自分は、この世の中でなんとかなるような存在だと思っていた。ある日、なにかのきっかけで、誰かの目に留まり、ちょっとした幸運をブレンドすれば、新しい未来が予想されるような気でもいた。すべてが、人任せのような、手を汚さない幸運でもあった訳だが、もちろん、そう望み通りに性急に訪れないのが、幸運の正体かもしれない。
なんとか、すり抜けるように誤魔化していたが、ようやく決心して、就職試験をうけようとも思った。コネもあるし、そこそこの点数と面接をクリアすれば、合格だと思っていたので、もう開放的な青春期に、きっぱりと別れを告げる時期が来たとも思っていた。そこまで、あきらめの状態に、たどり着くのにも簡単ではない、さまざまな内なる声と格闘した。もしかして、文章を書いて生活をするとか、発行部数の少ない雑誌の片隅にでもある、人にも読まれない記事でも書くような、プライドの持てないような仕事でも、回ってこないかなとも、こころのどこかで考えたりもした。しかし、実行されないのが、空想の決まった形。
そして、その日が迫ってきた。早めに起きて、ある程度、きちんとした服装をして出掛けた。まあまあの筆記テストと、面接はあったのだろうか? もう思い出せずにいる。空いた腹を道連れにして、そこを出た。清々したと同時に、きちんと会社勤めだというある種の暗い気持ちも抱く。それを解くように、帰りにCDショップに寄り、エリック・ドルフィーのアルバムを買う。
家に帰って、それを聴くと、やはり心底から力のある芸術って、人を変えてしまうような力を有している。自分の、潜在的な力を信じること。思っていることを実現させることに、意識を集中させたくなる。
それから、何日ぐらい経ってからのことだろう? その試験に自分は全力を出したつもりで、親のコネもあったし、受からないことなどは、考えてもみなかったのだが、実際の結論は落ちていた。そのことに、自分でも、逆にショックだった。さまざまなことを投げ出しての決意だったのに。
その気持ちを知らない父は、自分が適当な気持ちで、よりいい加減な力でテストを受けていたとも思っていた。普段は、温厚な静かな父だが、酔うとそのことを持ち出し、自分のことをチクチク責めた。もちろん、大人になっている自分はそのことに対して正当な責め方だと認めざるを得ないが、若い自分は腹立たしさのあまり、口も閉ざしたし、それ以上にこころの奥を完全に閉ざした。そうした二人が同じ家に住んでいて楽しいわけもなく、ぎくしゃくした関係は、かなり長く続く。それでも、心を正直に音に乗せたジャズなどを聴くと、いくぶん救われた気持ちになる。
あの頃の自分は、一体なにになりたかったのだろう? 大向こうの反抗ではなく、いつもささやかな抵抗。負けることがわかっていながらの地下からのレジスタンス。
気分をひっくり返すほどの圧倒的な楽しみもなく、それでもいろいろ学びたいことはたくさんあった。仕事の合間に、その限られた小さな時間に、ひとは楽しみを見つけ、費やし、育んでいるのかもしれない。だが、自分はそれでは嫌だった。もっと、多くの時間を、もっと多くのレコードを耳にしたり、読んだり心を豊かにさせる時間がほしかった。
でも、ある時期の日本という経済的に繁栄させた世の中に住んでいる人間だけが許されたことかもしれない。今日一日のパンのため、あくせく努力している国々だって大勢あるだろう。
自分のちからを信じたかった。自分の天分を伸ばしたかった。もっと簡単にいうと歴史に自分という存在がいたことを、かすかでも残したかっただけなのかもしれない。
その、他者との違いを、自分でも不安視していたのに、他の人が分かるはずもなく、一緒に住む家族にももっと理解されるはずもなく、家からも、周りからも、世界からも、一員として認められていないような気がしてきた。
ある日、またもやつまらない説教をきかされ、過去の失敗を蒸し返され、自分も虫の居所が悪かった所為か、この場所から逃げ出そうと思った。多少、金を稼ぐには、ちょっと離れたところで働いてもいいかなと考えた。この辺が潮時だ。