爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 c

2014年08月11日 | 悪童の書
c

 手切れ金のようにぼくは二千円を彼女のタクシー代として手渡した。財布には札が一枚だけのこった。受け取った手は引っ込められ、後部のドアはぼくの目からは無人の力によって閉ざされた。

 別の女性。ぼくの前を通過するエキストラの一名。

 夜中の二時間ぐらいをいっしょに酒を飲んで過ごしたあとだ。

 数年間に及ぶ期間だったが、会ったのはそう多くもない。最初は、地元のカウンターだけの店で横にいた。どちらも夜のひとりの時間を避けられる機会をありがたがるように、いっしょに別の店で夜を明かした。翌日、菖蒲が咲き乱れる公園を散策した。ぼくはそのときに使ったカメラ機能のついた携帯電話の武骨な形を思い出し、その機種への愛着も同時になつかしんだ。しかし、電話も永続して使えるものではないのだ。

 運命のいたずらというものに身を任せようと信仰に近い感情を抱いている自分は、町のどこかでばったりと誰かと再会することを喜んだ。彼女は、そのようにして、数度、ぼくの前に予告もなくあらわれた。

 ぼくは不思議と贖罪というものを考えている。賽銭箱や教会での寄付のように、ある種の尊い願いとは無縁のところで、ただ日常から逸脱できない義務のようにそこに放り込むのだ。期待が報われないことだけが唯一の願いで、恩恵との隔絶のための義務感の行動。証明としてぼくは彼女と会い、その後に肉体的な関係は没交渉であることを知っていながら、またそれを念頭にすればさらにいじらしい尊さに満たされ、いっしょに飲食をして数千円をおごった。年に数度。この期間でも十回ぐらい。ぼくのつつましい寄付。

 電車もない。深夜バスもない。タクシーを使う。ぼくは店の勘定をおごり、タクシー代の全部か一部を払った。ただいっしょに酒を飲み、話題にするのも通常なら妥当なものか判別しそうなものを、酔いにまかせてすべてを話した。

「そんなことも話していたんだ?」

 と、ぼくは何度か彼女の口から出るぼくの情報に驚いている。無節操に放たれた機関銃のごとく、何にも命中していないと思っていたら、どこかにぶつかっていた。それが彼女の口だった。

 同性であるならば、友人として最後まで通る。たまにはおごるし、おごられる。見返りも必要ない。好きになってもらわなくてもかまわないし、友情の熱い発露など、だいたいは重いものだ。親しくしていても敬遠する友情の状況がたしかにある。異性では、感情の問題がもっと密接に絡みつく。感情の表面は、最後は肉体の接触を希求した。二種類の人類しかいないのだから、これも仕方がない。その関係性がなくなった世界など、ぼくの住む場所でもなさそうだった。

 ぼくには追いかけるべき存在の女性が目の前にあらわれただけなのだ。だから、一先ず、こうした邂逅はできなくなる、という本音を言えずにいた。そして、どちらもその言葉を要する関係には発展していなかった。祝うべき記念日もなく、いつ、連絡を取り合うかなどの約束は一切なかったのだ。

 だが、不思議とぼくは彼女といると安心した。ある期間の時間の流れには大きなニュースばかりで埋め尽せない、つまらないニュースがたくさんある。ニュースの余った数分間を埋めるイベントや行事。その放送の繰り返しが地域の文化ともなった。ぼくというひとりの歴史にも大きな起伏はなかった。それでも、多少の小さな山場はできる。そのことを報告し合い、酒を飲む。散在とも遠い金額。贖罪。ぼくとかかわらなければならなくなったことへの埋め合わせ。つまりは、自分の値段だったのだろう。

 ぼくは深夜のハンバーガー店で翌日の栄養にもならない、ただ過剰なカロリーを取ることだけのためにカウンターに並ぶ。先ほどのタクシー乗り場を通り越し、歩きながら包装を解き、ハンバーガーをかじった。ピクルスの酸味が味覚をうしないかけた舌にほどよく効いた。甘さもあれば、酸味も判断できるようになった舌。ぼくは完全に関係性を終えられるかどうか考えていた。追うべきひともできた。そのひとは追われることを望んでいないかもしれない。埋め草のニュース。

 またどこかで会うかもしれない。ぼくは太るか、痩せているかのどちらかだけで判断される。人間の脳は多少の変化も考慮して、相手を判断する。その判断もわずかな期間である場合だけである。ぼくは小学生になる目前の友人たちのことを会っても分からないだろう。さらに時間が経てば、どちらか、あるいはどちらもいなくなっている可能性もある。贖罪もできない。そもそも贖うべき罪も存在しない。ぼくの悪もきちんと墓に葬られ、見事な菊を飾る。墓石の角も摩耗され、歴史は評価をつけくわえる。ぼくはローマの皇帝でもない。だれにも善も悪事もスキャンダルもエジプトの女王との恋も暴かれない。酸味も甘さも辛さの感覚も失い、手切れ金を払うこともない。すべてと手を切ったのだ。切るというのは結びつけるということより容易そうだった。靴の裏にこびりついたガムをはがすより容易そうだった。



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