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爪の先まで神経細やか

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流求と覚醒の街角(17)対決

2013年06月25日 | 流求と覚醒の街角
流求と覚醒の街角(17)対決

 奈美はぼくのことを自分の両親に話して、結局はどこかで一度会おうということになった。当然の帰結だ。取り敢えずは、最初は儀式的にならないにせよ外のお店で、少し値の張るところを予約して、会食という形式になりそうだった。それでも、あくまでも偶然、それぞれの時間が揃ったので、会ってみるかという偶発的なものがなぜかしら優先され装われていた。ぼくにとっても困る内容ではなかったので承知した。

 前の女性には父がいなかった。だから、ぼくは恋人の父という立場のひとに会ったことがなかった。威嚇的にでるのか、反対にグループの一員として迎えられるのかも分からない。分からない状態は不安でもありながら、関心も湧いた。嫌われようが粗相をしようが、奈美は自分の側にまわるのだろうという漠然とした安心感もあったのだ。それにいまの時代に両親の同意などそれほど大きな問題ではないとも思っていたのだ。

 店が決まり、平日の夜に、ぼくと奈美と父が集まりやすいところになっていた。だらだらと長い時間は要せず、あくまでも偶然そういう成り行きになったのだということが求められていた。

 ぼくは予約の店に行く。いくらか早い時間。洗面所で顔や手を入念に洗った。席にすわって、この晴れやかさを楽しもうと考えている。だが、ぼくは奈美の性格を忘れていたのだろう。

 ある年配の男女が店員にエスコートされて入ってくる。写真では見たことのある方々が。

「あれ、奈美といっしょじゃなかったんですか?」と奈美の母は言う。ぼくは、そのセリフをそのまま返したかった。

 気まずい雰囲気で自己紹介をし合い、当然の流れで仕事の話になる。ぼくは問われる側の人間であるのだ。尋問する権利は彼らにある。奈美は来ない。助け舟もなく、大しけにただよう航海士。

 ぼくは保険の話をする。自分が数年間働いた知識と情熱のようなものをひたすら傾けた年月をそのまま披露する。彼らも興味をもっていることを感じる。いくつかの商品のリスクとメリットをかいつまんで話す。もう恋人の両親ではなかった。目の前にあらたな顧客を発見する。

「でしたら、今度、職場か自宅にでも資料をそろえて・・・」そう説明していると、ようやく奈美が来た。彼女はこの雰囲気に安堵しながらも、すこし怪訝な様子を示した。
「ごめん、遅れた。何の話してたの? それぞれ、紹介はしたの?」
「したよ、遅いな」と父は憮然とした姿をわざと作ったように言った。ぼくはその時間に奈美のことを瞬間だが忘れていたのだろう。仕事の説明に夢中になっていた。

 その所為で、娘の恋人は誠実味のある青年として彼らには映ったようだ。最初の手応えとしては悪いものではなかった。それから、父の仕事のはなしを聞いて、転勤のこともより深く知った。ささいな雑事がその移動に伴って多かったことを母は話したが、総体的にはそれも時間の経過とともに楽しい思い出に移行していることが理解できた。

 あっという間に時間は過ぎ、ふたりは先に帰った。ぼくは奈美とお茶でもすることにした。
「どうだった?」奈美はストローの袋をいつまでもいじくっていた。
「スタートがうまく切れたから、あとはスムーズだったんじゃないかな。怖そうにも思えなかったし、凄く友好的だった。拍子抜けするぐらいに」
「昨日、そういう態度をしたら絶対に許さないと強く言ったから」

「そうなんだ。それで、娘の機嫌の方が重要視されたんだ」
「そうでもないけど、気に入られたみたいだったよ。家に帰ってから電話でもっと詳しく訊くけど」
「でも、やだね。恋人の父親なんて」
「会ったことないの、これまで?」
「ないね」
「じゃあ、今日は重要な日じゃない。記念日」
「生贄記念日」

 ぼくらは遅くならないうちに別れた。ぼくは電車に乗る。座席に沈み込むという表現が正しいほどの疲労が不意に訪れた。ぼくは目をつぶる。過去がその場面を待ち構えていたように、ぼくに覆いかぶさる。

 前の女性には父がいなかったが、その母はある日、再婚することになった。ぼくは不思議とその男性と親しくなる機会に恵まれた。やはり、あの前の女性がいなかったらめぐり合えないひとでもあったし、多くの人間関係と同様にどこかで必然性のようなものすら感じられた。彼はぼくの機嫌を勝ち得る必要もなく、ぼくにとっても敵にしても味方にするにせよ大げさにいえばどちらでも良かったのだ。恩恵も予想しなければ、損害も考慮に入れることもなかった。しかし、最終的には限りない恩恵やこころの豊かさを彼との時間はもたらしてくれた。

 それに比べて奈美の父との関係はもっと生々しいものが介在することになっているのだろう。好かれるということを前提にして、もしそうならければ何らしかの危機の入口に足を踏み込んでしまうことにもなるのだ。だが、それ自体も大げさといえた。

 ぼくは過去の男性との時間を、いまの自分がこれ程なつかしむことになるとは思いもしなかった。時間の経過は純度を高め、催眠的なさらには恍惚的な気持ちを自分に与えた。ただそれは疲労がもたらした揺り戻しの一部かもしれなかった。駅に着き、アパートへ向かう。奈美はもう家に先に着いていることだろう。母と彼女はぼくのうわさ話をする。もし、していればくしゃみぐらいは出るのだろうが、その予兆すら何もなかった。