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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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Untrue Love(115)

2013年02月18日 | Untrue Love
Untrue Love(115)

 仕事から帰りポストを開けると、見馴れない封筒があった。それを手に取り、自室のテーブルのうえに無雑作に置いた。夕飯を食べたり、一日のやるべき仕事を済ますと、やっと封を開けた。中味はぼくが働いた後の格好のままでいつみさんの店に寄ったときの写真だった。ネクタイをしめているぼくがいる。ひとりだけで写ったものがあり、いつみさんとキヨシさんが並んでいるものもあった。さらに咲子の同じようなものもあった。彼女はそこでのバイトを辞めると言った。その記念なのだろうか、何人かに囲まれて写っていた。

 ぼくらは喜んで自分の痕跡をのこす。自分のある日がそこに刻み付けられる。失くさない限り、それはふたたび自分のもとに戻る。だが、現在という立場がそのまま継続されていれば、重要さはそれほどには増さない。頂上で日の出を見て、また一合目に還ったぼくらには、あの時間が、貴重なものとなり得るのだ。もう一度、簡単には山に登る機会も迎えられないのだから。

 ぼくはまた封筒に写真を収め、引き出しに入れた。このようにその場の無頓着な判断によって、あとで探す羽目になるのだ。だが、ぼくはその写真を探す必要がくるのかそれすらも知らない。彼女らの顔を忘れることもないだろう。また、明日会えばいいのだからとの淡い期待の更新の日々のなかにいて。

 ぼくが持っていて、まったく同じものを多分、いつみさんやキヨシさんも所有している。咲子も自分のものぐらいは貰ったのだろう。彼らもぼくを永久に失うことができず、写真で再確認できる。また、探そうと思えば、この送り先の住所を見つければいい。ぼくは山奥で遭難したひとのように自分を設定する。誰かが探しに来る。ぼくは寒さのなかで眠ってしまいそうになる。頬を叩かれ、身体のぬくもりで包まれるのを感じる。その幻想の必要性がどこにあるのか分からないまま、ぼくはその映像を懐かしんだ。過去に自分に起きた事柄のような実感を帯びていた。

 結局、ぼくは次の日の仕事からの帰り道に通った古い写真館のワゴン・セールで売られていた写真立てを買った。もう商売が成り立たず、閉店をする様子であった。だから、現像された受取りを待つ写真が置かれていたであろう棚は空で、どこかで感じるべきであった薬品のような匂いもなかった。ぼくは、おつりが必要な札を出したが、もっている小銭で間に合う値段にまけてくれた。採算を度外視した段階にあるのだ。ぼくはいつみさんの母の写真を一度だけ部屋で見た。どこかで、このお店のひとに似ていると思っていた。ぼくの感傷がその無理な合致に輪をかけた。

 買ったものは両開きで、ぼくがいつみさんとキヨシさんと写っているものを左側に挟み、右には咲子がいる三人の写真を同じように入れた。それを勉強のために座ることがなくなりつつある机の上面に置いた。みな、笑っている。そのままの状態で歴史になることもなく笑っている。その作業は普通のこととして、無意識に行っていた。なにかの記念であるとか予兆であるとかの気持ちはない。ただ、飾るべき写真があるので、その用途を充たしたものを手に入れただけだ。そこで、ユミが見る恐れがあることに気付き、その場になったらまた引き出しにしまおうと思って躊躇することなく、そのままにした。まだ、五月の初旬のことだ。ぼくの姿は、あれから一月ほどしか経っていない。だから、ほぼ同じ姿だ。ただ、現在の髪型が写真と比べ、いささか伸びすぎているようにも思えた。

 次の日の午前には飾ってあることが新鮮だったが、夜にはもう忘れていた。部屋の一部となり、装飾にもなっていない。ぼくはあの商店街のいっかくにある写真屋のことは、それでも関連させずに思い出していた。営業をして自分が売り込むべき機器の必要のない店とも判断していた。何度かメンテナンスで通い、段々と打ち解けていき、その店の歴史を聞いている自分を想像した。古い写真を見せてもらい、それぞれの暮らしの背景や、笑顔の理由や生真面目な表情を解説してもらうのだ。

 ぼくは、そこで自分の机を見た。もし、これがどこかで発見され、誰か見知らぬひとが先入観なしで、この写真を見たときにどう解釈するのだろうかと思い浮かべた。ぼくは、やはり新入社員のように見えるだろう。となりのふたりは? 横の別のひとりは誰なのだ? 姿形のあまりにも違うふたりは兄弟には見えない。ぼくが片側にいる女性に恋する気持ちをもっていたことは、その二次元の世界から浮かび上がる力を有しているのだろうか。ぼくはどこかで見た古い結婚式の写真を思い出している。彼らは、黒い服を着たかしこまった男性と、横で特別な髪型に結った初々しい女性がセットになっていることにより、お目出度い儀式に向かうことが理解できるのだろう。姿が多くの判断する材料になる。ハリウッド映画なら熱烈なキス・シーンでそれを証明するのだろう。ならば、この平面の写真はなにを情報として与えてくれるのだろう。

 何十年も経って、見知らぬひとが見る。もし、可能ならばいつみさんの母の写真の横に、これと同じものがアルバムのなかに貼られていることを願った。だが、それもぼくが関知することではない。ぼくは、この事実すらユミの前で隠そうとしているのだ。ずるさと卑怯というレッテルが似合う人間なのだった。それでも、ぼくはこの写真のなかで無垢に、あどけなく笑っている。会社に入ったばかりの人間。だますことなど得意なことではなく、どうやっても不可能な人間として、このなかで笑っている。