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爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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Untrue Love(113)

2013年02月16日 | Untrue Love
Untrue Love(113)

 家に着き、カバンを床に置き、ネクタイを緩めた。この一連の動作がなぜだか自分を薄汚れたものに感じさせた。ぼくは床に座り、途中でレンタルしたビデオを流しながら、ビールを飲んだ。桜は散り、町は緑色で覆われ、それが放つ匂いが鼻腔にせまってきた。高校に入ったときや、大学に通いだしたころはどうだったのだろうと思い出そうとしたが、ぼくの記憶の部屋のカギはきちんと施錠され、簡単には取り出せそうになかった。仮に開いたとしても、なかには何もないのかもしれない。すると、いまの感情もどこかに捨てられる要素がたくさんありそうだった。ぼくは画面のなかの見知らぬ町の景色を眺めている。そこにも大勢のひとが住み、それぞれの欲求や野望があるようだった。自分もそれを構成するひとりなのだと思うと、なんだか切なかった。

 ぼくは、途中で停めてシャワーを浴びた。髪は、やはりもう伸びはじめていた。今度は、どこで切ればいいのだろうと思案した。わざわざ、ユミが働く店に予約をして他人行儀な姿で切ってもらうのは気乗りがしなかった。だからといって新たに開拓する勇気もない。タオルで頭を乾かして、また冷蔵庫からビールを出し、ビデオを再生した。

 ぼくは見ながら早間や紗枝のことを思い出していた。普段、毎日のように会えると思っていたので、わざわざ電話をかけるようなことをしてこなかった。計画をしなくても大学で、ふたりに会えた。それはとても簡単で、安易なことだった。しかし、違う環境に所属するようになると、簡単なことが意外と大変であることに気付く。ぼくは新たな人間関係を構築するようにせまられ、後に置いてきたものは、懐かしいというジャンルでくくられるようになるのだ。ぼくは何かに対して、懐かしいという感情を抱いてこなかったことを知る。それは過去の層が薄かったからでもあり、人間との濃密すぎる関係も皆無だったかもしれなかった。ふたりとも、濃いという程のものはなかった。だが、ぼくは無性に彼らと会って、無駄話に興じたかった。これが、懐かしさの正確な実態なのだろう。ぼくは、自然とそれを押し殺す。ぼくが思っているほど、彼らが感じていないだろうことを恐れた。片思いというものにも似ていた。それは、やはりやり場のない不幸せな状態であるようだった。

 ビデオを見終わったので、テープを巻き戻してから取り出して箱に納めた。いま行っていたことは巻き戻すというステップを踏んだとしても、それは過去に戻ったことではない。復元でもない。巻き戻すという行為自体が現実でもあり、未来への返却という過程につながるものだった。ぼくは、友人関係のなれあいを巻き戻して思い返し、永久に劣化しないように記憶にとどめる作業に変更しようとした。劣化させないことに視点を置き過ぎれば、未来は入り込む余地がない。彼らの未来を受け入れることを承諾すれば、思い出は振り返る必要もない。それは友人たちの能動的な問題ではなく、ぼくが行動を起こすか否かに着眼がおかれた結論だった。

 以前は、バイトに行けば、木下さんに会えた。それも、やはり当然のことだと思っていた。いまは、連絡を取り、予定を調整して、何度か計画は伸び、繰り返すうちに会うことすら面倒になることもあり得る、いや、面倒に思うことが、もう破局の前兆なのだ。いま、ぼくは破局という言葉を頭に浮かべた。しかし、壊すほどぼくらはしっかりと結び合っていないのかもしれない。答えを探すのは簡単なことのようにも思える。受話器をはずし、いくつかの番号を押す。すると、彼女の声がきこえる、その声のトーンで、そのひと本来のぼくに対する気持ちの置き場が理解できるのだ。だが、ぼくはその行為をしなかった。眠気と軽い酔いに負け、ビデオを返そうとカバンの上に入れ、毛布をかぶった。横に誰かいてくれたらいいなと瞬時に思ったが、次はもう朝だった。

 ぼくは、それ程の種類がないがネクタイを選ぶ場面にいる。いつみさんがくれたものがある。気に入っていたとしても毎日、首にするものではない。週に一度か二度だ。多くても。代わりにそれ以外のものも出番がやって来る。ぼくの大学時代と同じだ。いつみさんがいて、ユミがいた。同時に二本も三本もすることは決してないが、毎日ではなければ無理もきいた。

 ぼくは玄関を出る。ビデオを店の横にある箱に投函した。もう内容が思い出せない不安があった。間違って、もう一度借りてしまう恐れがあった。でも、そうなったらそうなったでもう一度楽しめばいいのだ。懐かしさを伴わない新鮮な感情を作ればいいのだ。できれば、そういう間違いは犯したくはないが。

 ぼくは電車に乗る。つり革を握る。今日の予定のあらましを事前に引き出す。そこには懐かしさなどという甘い感情が入り込む隙間も余地もなかった。ただ、新たな冒険だけがあるのだ。それを冒険だとあえて思おうとした。しかし、本当の意味での冒険はいつみさんと最初に過ごした夜の鮮烈さであり、ユミをぼくのアパートにはじめて泊めたときだったのだと気付く。ぼくはつり革を強く握る。何年も前に木下さんは地下鉄に通じる階段で不自然にぼくの頬にキスをした。この車内で思い返すぼくにとってはとても自然なことだった。そして、目的地に着く。背中を突き飛ばされるように、強い力でぼくはホームに押し出される。その木下さんの胸に飛び込んだ日も、何かの強い力が働いていたのだ。その喜びの衝撃もこの瞬間の比ではないこともまた知っていた。