爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
http://snobsnob.exblog.jp/
へ変更

壊れゆくブレイン(58)

2012年04月25日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(58)

 ぼくがまだ20歳ぐらいのときに、10歳前後の少年たちにサッカーを休日に教えていた。教えていたというよりまだ体力の行き場を求めていたぼくの身体が適度に運動することを望んでいたという方が相応しいだろう。その頃の少年たちも30近くになっていた。なかには、仕事で接するひともいた。ぼくらは小さな町で利益を左右させることしか方法がないのだ。

 ある青年は自分の店を開いていた。スポーツ・バーという形式のもので簡単な軽食とアルコール類と映像を映す大きな画面が壁にいくつかあった。ぼくは広美に誘われ、そこにたまに行った。日曜で、ぼくらは暇で、雪代が仕事をしているような状況でだ。

 そこで、バスケットをする躍動したスポーツ選手を見たり、時期によってはサッカーやラグビーや、それもなければ野球を見た。もちろん、ビールを飲んだ。店の子は、ぼくに恩があるのか、広美にとても優しく接してくれた。その証拠として、彼女には特別な配合のジュースを作ってくれた。ぼくは、そういう関係性を楽しんでいた。ぼくは彼と過去にサッカーをいっしょにした。実際の娘ではない女性と友人のような関係を培っていた。最近では、彼女は自分の母を尊敬していることを隠さなくなった。それで、その女性が選んだ男性は友人になる価値があるひとなのではないか、とそういう認め方をしている気もした。何にせよ、日曜の昼から夕暮れにかけて過ごす時間のやりくりとしては悪くもなく、逆に申し分のないものだった。

 しっかりと見つめ合って意見を交換するわけでもない。時折り、画面から視線をずらし、自分の気持ちや最近起こった、また起こりつつある問題や悩みを話した。ぼくは彼女の生き方を左右する権利もないが、いくらか先輩としてアドバイスする立場を取った。それには、広美と雪代の深い絆のようなつながりがあったから、踏み込めないという事実も多分にあった。

 それと同時にスポーツ選手の活躍や不甲斐なさに悲鳴や声援を送り、勝利者に喝采し、敗者にも暖かい絶叫を与える。敗者がいなければ、どこにも勝利者は存在しないのだ。そういう一喜一憂を共有することにより、ぼくらの関係はある面では理解に及び、深まっていくこともあった。ぼくらは知り合って、それぞれ愛するひとの娘として、向こうは、愛する母の結婚相手に途中からなったひととして6年とか7年という期間が経過した。それぐらいしかぼくらには共に過ごした時間がないのだ。それにしては、まずくない関係のようなものが作られていった。いや、服がなじむように、突拍子もないものではなくなっていったのだ。鏡にうつった新しい服を着た自分がしっくりといくように。

「今日は、なにをしてたの?」雪代が日曜の夜にたずねる。
「スポーツ・バー」
「あのスポーツ・バー」確認するように雪代は言う。「ふたりとも好きね」
「だって、試験で部活はなくて、勉強にも身がはいらないから気分転換」
「ひろし君は広美みたいにスポーツが分かる子と結婚すれば、もっと楽しかったのに」
「雪代だって、ラグビーを見に来てたじゃないか」
「あれは、好きな男の子がそこにいたから。不純な動機」そして、笑った。「広美のことも誰か見ているかもしれない」
「集中してて、試合のときには関係ないよ」つまらなそうに広美は言う。家のテレビの画面ではスポーツニュースが流れていたが、その迫力のなさにも不満なようだった。

「ひろし君は、集中してなかった。きょろきょろしてた」
「あれは、スポーツの性質上、誰がどこにいて、誰が視線のなかにはいり、誰かを見てないふりをしてチャンスを見つけようという作戦のためだよ」
「そんなに難しいことをしてたの。スタンドにいる可愛い子を探すためかと思っていた、わたし」それから、また笑った。多分、季節柄、服の売り上げが良かったのかもしれない。在庫は一掃され、新しいものを陳列する。その繰り返しを雪代は楽しんでいた。

 食事も終わり、広美は部屋で勉強をしているらしい。今日、自分に努力を強いていないのは自分だけのようだった。妻は働き、娘は勉強をしていた。それから、雪代は店を切り盛りする青年を誉めた。ぼくは会社員という責任しかなかったが、自分の裁量でなにかを軌道にのせ、その通常運行を毎日することの大切さを雪代は知っていた。

「あの子、あの店の女性のひとり息子だったよね?」その青年はぼくが東京に行く前によく通っていた飲み屋の店主の息子だった。離婚した女性は、あそこまで大きくなるまで育ててきたのだ。そして、そう遠くない距離で彼らはふたりとも飲食店を開いていた。ある場合には、雪代もそのままひとりで広美を育てることになったのかもしれない。そのことによっても、その青年と母に対する評価は高かった。

「広美と日曜過ごすの楽しい?」
「楽しいというか自然だね。ふたりとも家にいないひとを待っている」ぼくらは大体なにかを待っていたり、待ちわびたりしているものなのだ。多かれ少なかれ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする