爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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壊れゆくブレイン(37)

2012年02月17日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(37)

「この前、仕事で病院の方に行った?」雪代が家事をしながら声をかけてきた。
「行った。なんで?」
「赤ちゃんをつれた女性と話していたって。知り合い?」
「ああ、むかしの知人。誰が見てたの?」
「広美のお友だちが。敏感な年頃なのよ。あれ、広美のママの・・・」ぼくのことをお父さんとかパパとか正式な名称を友人たちは誰も用いなかった。「だって。気になったんでしょう」

 ぼくは、自分のことを見る目が急に多くなったのを知る。広美の友だちまでぼくのことを知り、姿を見れば誰なのかが分かるらしかった。当然といえば当然だが、ぼくはただ驚いていた。
「ぼくと広美の関係性も認知されているんだ。驚いたな」
「いまごろ何言ってんの? いつも、家に遊びに来てるじゃない」
「別に親しく話しているわけでもないからね」
「そうよ、気をつけないと。いろんな子が見てるから」

 自分はやましいこともなかったが、少し不快な気持ちもあった。やはり、その気持ちがある以上、やましいところは微量だがあったのだろう。友人は広美にぼくのことを告げる。あそこにいた。広美は母に話す。誰かと話していた。子どもがいる女性。それをぼくは次にきく。その一連の流れが風聞というものの始めのようだった。

「ぼくは、広美の友人たちのこと、外で会って、分かるかな?」
「広美と一緒にいるところじゃないと分からないんじゃない。あの年代は、成長も早いし。突然、女性になっちゃうかも」雪代は畳んでいる服を床に置き、こちらを振り向いた。「そうだ、むかし、それも大昔、変な手紙をもらったことがある。ひろし君を奪うとか、どうとか。覚えてる?」
「ぼくも読んだ?」
「そうか。直ぐ、処分しちゃったか。とにかく、もらったのよ。取っておけばよかった」
「じゃあ、知らないよ」だが、それはゆり江のようだった。彼女は確かにそのような手紙を送りつけ、後悔していたことをぼくに告げた気がする。それを関連付けた雪代の推理に感心する。「それで?」興味を感じてしまい、その話題を終わらすことをしなかった。

「誰かのものを奪うとか、もうないんでしょう? そういう年代は過ぎ去ったむかしの果実」
「詩的な表現だね。その広美は?」
「先輩の試合を見るんだって、そう言って出掛けた」
「まだ1年生は出られないのか」
「ひろし君は最初からレギュラーだったもんね。そう上手くいかないのよ。順番を待っていないと。終わった。やっと、家事から解放。新鮮な空気を吸いましょう」

 ぼくらは外に出た。自分の子どもをどこかに連れて行く義務や、または喜びは少しの間で終わってしまった。ぼくらはそもそもがそうであったように二人で出掛けることが多かった。広美は休日にスポーツをしたり友人たちと遊びに行くことが増え、ぼくらにまとわりつきねだることもなくなった。それは、楽しい反面、さびしく感じることもあった。

 ぼくらが歩いていると、ある少女が会釈をする。少し雪代を羨望するような様子があった。しかし、言葉を交わすこともなく通り過ぎていった。
「誰?」
「あの年代だもん、広美の友だち。前によく遊びに来たけど、最近は、どうしたのかしらね。あまり、来なくなった」それから彼女の情報をいくらか伝えてくれた。
「見たことない子」
「やっぱり、家に来る子をいくらかはチェックしてるんだ?」
「ひとの顔や名前を覚えるのも、仕事のうちだよ。失礼がないように」ぼくは振り返り、その少女の後ろ姿を確認した。「いままで、ああいう年代の子たちをどのように認識していたのだろう。いまは、広美の友だちかって思ってるけど」
「まあ、嫌われないように。そのままでいいけど」

 ぼくらは暇を持て余し映画館に入った。日本語でも英語でもない映画を観た。その所為か分からないが、あまり集中することができず、映画そのものに入り込めなかった。ぼくは、上の空で今日、会話したことを頭の中で反芻していた。「意地悪な手紙をくれた少女」がいて、その子は、赤ちゃんを抱いた現在につながる。それを広美の友だちが目撃して、何かの拍子に広美に伝える。別の少女はクラスでも変わった所為か、広美と遊ばなくなる。ぼくは、その疎遠になった少女とゆり江をなぜだか結びつける。すると、あの通り過ぎたときの背中につながり、彼女は自分の思いのために、嫉妬のような手紙を机のまえで書いている最中のような気がした。こうして、自分の頭は実にならないことで費やされていった。

「面白くなかった?」
「そうでもないよ」
「むかしはあの建物がとか、よく話してくれたんだよ」

 映像に残っている町並みをぼくは頭のなかで再現した。それを口に出して説明することは省き、ただ、落ち着いたらあのような町に行ってみようかと誘った。その申し入れを彼女は喜んだが、ぼくらの大人の計画を実際に、実行に移すには時間がかかるものだった。

 ぼくらはその後いつもの店でコーヒーを飲み、音楽を聴いた。英雄がなにかを勝ち取ったのか、それとも、その甘美な瞬間を楽しんでいるのか、またはその地位を懐かしんでいるのか、タイトルだけでは分からないが、その揺れゆくリズムに身を任せながら、苦さの残ったコーヒーをすすった。

 ぼくの頭の中の少女は手紙を書き終えて封をしている。それを、送るかまだ迷っている。だが、投函してしまい結論としては後悔するのだ。だが、後悔をしなかった英雄もいなければ、少女もいないはずだったと思い、ぼくは別の音楽を聴き始める。
コメント
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