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償いの書(69)

2011年06月14日 | 償いの書
償いの書(69)

 夕刻になり、愛用のカバンを手にして、ぼくは職場をあとにする。カバンのなかには使い慣れたペンがあり、先程、何枚かつかんできた綺麗なデザインの便箋がはいっていた。ぼくは、それを使って手紙を書くつもりだった。だが、それをする場所は限定されていた。職場でも駄目だったし、無論、ゆっくり自宅で推敲するかということも不可能だった。ぼくは、あるカフェに入り、ビールを頼んで隅のほうに座った。何人かの女性は仕事から解放された喜びのため、目の前の友人たちと、また電話で談笑していた。ぼくは、それを聞き流しカバンを横の椅子に置き、ペンと紙をだした。カバンの上に上着をかけ、ネクタイを幾分緩めた。以前の恋人に、その旦那が亡くなったときに書く手紙の内容のマニュアルなど、どこにもなかった。そして、ぼくは、きちんと自分の気持ちが伝わることを望んでいたので、もし仮りに手本があったとしても、決して真似はしなかったのだろうが。

 ぼくはペンを持つ。

 島本雪代様

 この度は、たいへんな事柄に遭遇され、ご心痛の深さをお察しします。
 ぼくは、ある時期、島本さんを目標にして高校生の時代を送ってきました。彼こそが、ぼくらの敵であり、彼のいるチームを倒すことが、ぼくらの目標でした。彼はそのぐらい華やかな存在でした。彼はそれに見合い、匹敵するほどの見事なスポーツマンでした。

 ぼくは、そのことを叶えることができず、不満とともに安堵の気持ちもあります。そう易々と思いが自分の望みどおりにいかないこともきちんと学べました。

 そのことは、ぼくらの後輩が成し遂げてくれ、それは雪代さんも知っていると思います。

 彼は、別の意味でも憧れの存在でした。ぼくが理想とした女性と交際をしていました。ぼくらは、その関係を冷やかすことすらできませんでした。なぜなら、ふたりは完璧に見えたからです。そして、彼はぼくの手に入らないものをたくさん有していた存在として記憶されています。

 大学に入り、不遇な時代を送ったと思います。それが、どのようになったか自分の生活が忙しく、追いかけるようなことはなくなりました。それも、雪代さんは知っていると思います。

 彼らは、いつの日か別れ、ぼくは最愛のひとと何年かを楽しく、美しく過ごすことができました。その女性はたえず目を前方に向け、願いや希望が叶うことを知り尽くし、行動する凛々しいひとでした。実際に自分で作った費用でお店を出すこともできました。その糸口をぼくは知り、とても幸せでした。ぼくらは、ある日、別れる日がやってきてしまいましたが、ぼくは嫌われてしまったという事実に負けそうになりました。だが、もしかしたら、ぼくのステップアップをその女性は望んでいてくれたのかもしれないという希望も捨て切れませんでした。

 だが、ぼくらは別々の道を歩み、雪代さんは島本さんと結ばれました。ぼくは、ある日抱いた生まれたばかりの幼い女の子の匂いやぬくもりを忘れることができません。彼女がこれから、父親がいないということにどれほどの悲しみを持っているか、ぼくの気持ちが雪代さんにも通じればよいとも思います。

 こういう運命が待っていたなら、島本さんと縒りを戻すことが良かったのかとも考えますが、いままでの生活でたくさんの楽しみや思い出をふたりは、そして、三人は築き上げたのかもしれないでしょう。

 ぼくは、目標を前に置き、挑むことが好きだった女性のことを思い出しています。今後、いくつかの段階があると思いますが、いずれ、あのような女性にふたたび戻る日を待ち望んでいます。

 希望を捨てないでくださいね。実際に助けることはできなくても、あなたのことを考えている人はたくさんいます。都合の良い、机上の空論ではありません。ぼくも、自分の意思だけで生活できるのであれば、それを望むでしょう。だが、こうして遠い地で手紙を書くことぐらいしかできません。

 ごめんなさい。
 島本さんが知らずにぼくらに教えてくれたことがたくさんあったような気がします。負けそうな相手に挑み、またそれでやはり負けても、ぼくらには爽快感がありました。ベストを尽くして負けたのだから、それはどうしようもないじゃないかという爽快感です。ときには苦々しいこともありましたが、ぼくらはあれから10数年経ち、もっと負ける勝負を挑んできました。いずれ、それすらも恐れるようになるのでしょうね。

 彼の思い出だけで、今後、行き続けるのは難しいかもしれませんが、雪代さんが愛したのはそういう男性でした。ぼくは、彼の敵であってよかったと思います。そのためにたくさんの工夫がうまれ、いくつかの作戦もつくりあげました。
 いつか、落ち着いたら、もっとゆっくり話せればと思います。

 そのときまで、こうした手紙しか方法がありませんが、少しでも元気になるお手伝いができるならば、すすんで何でもしたいと思います。

 近藤ひろし

 ぼくは、何度も読み直し、どこかに間違いが入ってしまっているような気持ちも拭えないまま封をして、目の前のコンビニエンス・ストアで切手を買い、その前にあった赤いポストに押し込んだ。それはポトリという音を発するかとも思ったが、落下して床についたのか分からないままぼくは不安な気持ちを抱き、そこから立ち去った。