拒絶の歴史(29)
裕紀は空港に戻ってきている。彼女は、たくさんの楽しい経験ができたらしく、帰りの電車のなかでそのいくつかを話してくれた。知らない町並みの美しさを話し、また泊まった家の家族の話もした。その家には小さな男の子と女の子がいて、彼女を姉のように慕ってきたらしい。一緒に買い物に出掛け、一緒に料理をしたそうだ。最後には、辛い別れがあって、裕紀も泣いてしまったらしかった。
「現像したら、写真を見せてあげるね」と彼女は言った。
その時に、ぼくに暖かそうなマフラーと、向こうで見つけた建物の写真集をくれた。ぼくは、もうその時に、彼女に対してそのような趣向を話していたか忘れていたが、察しの良い彼女は見当をつけていたのだろう。
「ありがとう」と言って、ぼくはその二つの手触りを楽しんでいた。
そして、また学校が始まった。ぼくらの練習には、もう3年生はいなかった。指導する監督も停年で学校をやめることになっていたので大まかな指図をして、あとはキャプテンであるぼくに任せてしまった。ぼくは、自分自身を成長させることだけを考えているわけにもいかないという段階に入ってしまった。ぼくは、秋の大会で優勝し全国大会に行くことを望んでいた。そのためには、今の同級生と下級生とこれから入る新入生全体の力を必要としていた。彼らの成長がぼくの望みを果たすためには絶対的にいるものだった。
後輩には潜在的な能力のある山下という男がいた。彼は、今後このスポーツで名前を残すだけの才能を持っていたが、自分の気分に対して命令がきかないところがあり、ときにはムラがあった。もっと賢い男をぼくはそばに寄せ、その木村という後輩に作戦を徹底的に教え込んだ。彼は目立たなく、とても地味だった。スポーツで大成することもないだろうが、協力的なチームを運営するには不可欠の潤滑油てきな機能を果たしてくれていた。ぼくは、なにかあると彼を叱り、また彼に相談し彼の提案を受け入れるか却下するかの権限を楽しんでいた。そこには友情のようなものもあったが、反発や反抗心を彼は内在させていたかもしれない。ぼくは、チームで働くことに足を踏み入れていなければ、もっとさっぱりとした人間を好きになっていたかもしれない。しかし、チームでどうしても全国大会にいって最後を飾りたかったので、後輩の指導は彼に任せきりになった。やはり、ぼくは個人的な成長に傾くきらいがあったのだろう。それは、性格のことなので仕方がないかもしれないが、いくらかは反省するところもあった。
このように新しい体制になり今後練習していく土台はできあがりつつあった。その希望はぼくを興奮させ、まだまだ挫折など道路のすみの小石のように感じていた自分は、この点で強気でもあった。練習を与えられた時間できちんと組み立てられるならば、優勝もそう遠くはないだろうという気にもなった。
その合間にぼくはいつものように温水プールで泳ぎ、総合的な身体を手に入れようと努力していた。そして、その時間は個人的な事柄を頭のなかで働かせるぼくの時間にもなっていた。泳いでいる間、ラグビーの練習のことを考え、裕紀の存在を再認識し、これからの自分の可能性を探る時間でもあった。だが、まだまだ可能性はぼくの中でぐっすりと眠り続け、開花させる予兆すらなかった。だが、それでも良かったのだろう。高校2年生なんて、所詮そのぐらいだと自分に甘い猶予の時間を与えていた。
この前、電話で話した裕紀は、大学はこの前に行ったところでか、それとも別の海外の学校にも入ってみたい、と考えているらしかった。ぼくは、彼女を離したくないと同時に、ひとりの人間の可能性のことも考え、また、若い頃の数年間の距離がいかにつかの間のことだろうとか、その時間がすべてを台無しにするきっかけにもなるだろうと泳ぎながら空想していた。考えても解決しないことがらながら、ぼくに自分の運命の決定権があるだろうと思い上がった気持ちもあったし、訪れてしまったことには刃向かえないという弱さもあった。
こうして、充分に考え、酸素がすみずみまで筋肉に到達したという心地よい泳ぎを終えた後でタオルで身体を拭いていた。スポーツドリンクでのどを潤し、外にでるとグラウンドの周りを島本さんが一人で走っている孤独な姿が目に入った。彼は、まだ東京に戻っていないのだろう。怪我から回復しないという噂を聞いていたが、その懸命なリハビリの姿は、彼の絶頂期を思い起こさせ、それ以上に彼が進歩するかを測っているようだった。それはぼくには分からないことだし、ぼくにはぼくの進歩の形があった。
裕紀は空港に戻ってきている。彼女は、たくさんの楽しい経験ができたらしく、帰りの電車のなかでそのいくつかを話してくれた。知らない町並みの美しさを話し、また泊まった家の家族の話もした。その家には小さな男の子と女の子がいて、彼女を姉のように慕ってきたらしい。一緒に買い物に出掛け、一緒に料理をしたそうだ。最後には、辛い別れがあって、裕紀も泣いてしまったらしかった。
「現像したら、写真を見せてあげるね」と彼女は言った。
その時に、ぼくに暖かそうなマフラーと、向こうで見つけた建物の写真集をくれた。ぼくは、もうその時に、彼女に対してそのような趣向を話していたか忘れていたが、察しの良い彼女は見当をつけていたのだろう。
「ありがとう」と言って、ぼくはその二つの手触りを楽しんでいた。
そして、また学校が始まった。ぼくらの練習には、もう3年生はいなかった。指導する監督も停年で学校をやめることになっていたので大まかな指図をして、あとはキャプテンであるぼくに任せてしまった。ぼくは、自分自身を成長させることだけを考えているわけにもいかないという段階に入ってしまった。ぼくは、秋の大会で優勝し全国大会に行くことを望んでいた。そのためには、今の同級生と下級生とこれから入る新入生全体の力を必要としていた。彼らの成長がぼくの望みを果たすためには絶対的にいるものだった。
後輩には潜在的な能力のある山下という男がいた。彼は、今後このスポーツで名前を残すだけの才能を持っていたが、自分の気分に対して命令がきかないところがあり、ときにはムラがあった。もっと賢い男をぼくはそばに寄せ、その木村という後輩に作戦を徹底的に教え込んだ。彼は目立たなく、とても地味だった。スポーツで大成することもないだろうが、協力的なチームを運営するには不可欠の潤滑油てきな機能を果たしてくれていた。ぼくは、なにかあると彼を叱り、また彼に相談し彼の提案を受け入れるか却下するかの権限を楽しんでいた。そこには友情のようなものもあったが、反発や反抗心を彼は内在させていたかもしれない。ぼくは、チームで働くことに足を踏み入れていなければ、もっとさっぱりとした人間を好きになっていたかもしれない。しかし、チームでどうしても全国大会にいって最後を飾りたかったので、後輩の指導は彼に任せきりになった。やはり、ぼくは個人的な成長に傾くきらいがあったのだろう。それは、性格のことなので仕方がないかもしれないが、いくらかは反省するところもあった。
このように新しい体制になり今後練習していく土台はできあがりつつあった。その希望はぼくを興奮させ、まだまだ挫折など道路のすみの小石のように感じていた自分は、この点で強気でもあった。練習を与えられた時間できちんと組み立てられるならば、優勝もそう遠くはないだろうという気にもなった。
その合間にぼくはいつものように温水プールで泳ぎ、総合的な身体を手に入れようと努力していた。そして、その時間は個人的な事柄を頭のなかで働かせるぼくの時間にもなっていた。泳いでいる間、ラグビーの練習のことを考え、裕紀の存在を再認識し、これからの自分の可能性を探る時間でもあった。だが、まだまだ可能性はぼくの中でぐっすりと眠り続け、開花させる予兆すらなかった。だが、それでも良かったのだろう。高校2年生なんて、所詮そのぐらいだと自分に甘い猶予の時間を与えていた。
この前、電話で話した裕紀は、大学はこの前に行ったところでか、それとも別の海外の学校にも入ってみたい、と考えているらしかった。ぼくは、彼女を離したくないと同時に、ひとりの人間の可能性のことも考え、また、若い頃の数年間の距離がいかにつかの間のことだろうとか、その時間がすべてを台無しにするきっかけにもなるだろうと泳ぎながら空想していた。考えても解決しないことがらながら、ぼくに自分の運命の決定権があるだろうと思い上がった気持ちもあったし、訪れてしまったことには刃向かえないという弱さもあった。
こうして、充分に考え、酸素がすみずみまで筋肉に到達したという心地よい泳ぎを終えた後でタオルで身体を拭いていた。スポーツドリンクでのどを潤し、外にでるとグラウンドの周りを島本さんが一人で走っている孤独な姿が目に入った。彼は、まだ東京に戻っていないのだろう。怪我から回復しないという噂を聞いていたが、その懸命なリハビリの姿は、彼の絶頂期を思い起こさせ、それ以上に彼が進歩するかを測っているようだった。それはぼくには分からないことだし、ぼくにはぼくの進歩の形があった。