拒絶の歴史(25)
妹が高校受験のための勉強を続けている。この時期に学んだことを自分は将来、思い出せるのであろうか。しかし、このあたりで自分の運命が決められていく。良い選択をしなければならない。
ぼくとの関係とは別に妹は裕紀とこっそり連絡を取り合い、勉強の分からない箇所を教えてもらっていた。人にものを伝えるのがうまいか下手かの二通りに分けてしまうなら、明らかに裕紀は前者だった。
その関係を自分は、当初はあまり知らなかった。しかし、知ってしまえば、
「教えてもらうんだから、きちんとお礼をしないと」と妹にきつく言った。
しかし、お金に不自由しないであろう裕紀は、そのことに対して無頓着だった。ただ、暖かい関係性と伝える喜びがあれば、それで満足のようだった。それで、ぼくもその関係を成り行き任せにしていた。
妹も将来を決めるならば、自分たちの前にも暗雲のように将来の選択が留まっていた。そこに希望があるのか分からないが、それでもその澱みを消さなければならなかった。
こころの中に浮かんでくる感情のなかで、自分は建築というものに気持ちが傾いていることを知る。まだ、そのことを誰かに表明したことはないが、教師の中で信頼の置けそうな先生に相談してみるのも価値あることだと考えるようになっている。
そのような状況も考えることの一部であるに過ぎない。たくさんの頭の内部で通り過ぎてしまう考えを振り払って、グラウンドで泥だらけになって動き回っていることがその頃は一番楽しいことだった。その合間に水泳をして身体を鍛えた。
たまに、その場で河口さんと会うこともあった。身体にぴったりとした水着が、彼女の容姿をより一層際立たせていた。彼女はたまにぼくに親しげに話しかけ、ときにはぼくの存在を無視するかのように集中して泳いでいた。彼女は必ず、最後には「わたしと同じ大学に来なさい」と言葉を継ぎ足した。
その大学には建築科があったので充分に考えられる選択だった。そして、プールを出て横にある喫茶ルームでいくつかの言葉を交わした。あの頃の彼女の輝きが、自分の大切な思い出の一部になっている。自分は、異性にまだそこまでは解放過ぎる性格を有していなかったが、緊張と同時に(子供に見られたくなかったのだろうか?)ナチュラルで自然になれる自分自身を発見していた。
その合間に、妹は裕紀に勉強を教えてもらっていたのだろう。ぼくは、河口さんが「これを読みなさい」と手渡してくれた本を、スポーツクラブの帰りの電車の中で読んでいる。窓外は、夏の勢いがなくなり、徐々に空気も澄んできていた。そこに沈み往く太陽がぼくの視線をさえぎっていた。
ぼくの家族もこのようにして裕紀のことを好きになり、その現状を受け入れていた。自分に劇的な違う段階がもし訪れないならば、周りのひとと同じようにこの状態を愛しつづけたことだろう。だが、暗雲は暗雲として存在する意義があり、そこを通過するまでは将来のことは分からなかった。
そして、そろそろ秋の大会がはじまるころになった。ぼくは引き続きレギュラーを勝ち取り、右や左に走った。3年生の最後の大会になるので、彼らの3年間のためにも勝利を続けたかった。ときには小さな衝突もあったが、ぼくの2年間の多くは彼らの影響下にあったのだ。グループとして考え方や話の言葉のチョイスなど共有してもいた。そうして、いくつかの生涯を乗り越え、チームはまとまり、ぼくらの予感として今回は県で一位になれるのではないかとの希望が、みんなの周りに漂っていた。
ぼくらの試合は強くなるたびにだんだんと観客席を埋めて行き、家族や友人たちも毎試合見ることになっていった。妹も自分の同級生を集め、ぼくらの試合に一喜一憂するようになった。そうされるのは照れくさい部分もあったが、彼女らの何人かはぼくに対して好意的な印象をもっているようだったが、妹は裕紀という存在を熱心に彼女らに伝えた。妹は、裕紀という人物に憧れを持つようになっていたのだろう。彼女といると、その空気を感じ影響されるようにもなる。もちろん、ぼくもその一員だったが、その価値をきちんと評価していたかは、また別なものかもしれない。そして、正確に誰かを判断することなど神でもない自分らにとっては、所詮無理なことなのだろう。
ユニフォームが汗で濡れ、タオルで身体の汗を拭いとり乾かす度にぼくらは大人になっていった。その先輩たちの姿も見ることがなくなってしまうのだろう。ユニークな性格の上田先輩は誰よりもチームの雰囲気を和ましてくれた。今後、同じタイプのメンバーは現れないかもしれなかった。それだけで、彼はぼくにとってもかけがえのない人物なのだろう。そして、彼とぼくの幼馴染である智美との交際は続いていた。ぼくらの地元の多くの人は、最初に交際したひととそのまま結婚することがまれなことではなかった。もしかしたら、学校を離れても上田先輩とは友人として引き続き関係を継続させるであろうことは予感できた。
このように大会を前にして、ぼくの頭の中ではいろいろな考えが浮かんでいた。それでも、その考えをだれかに説明したり、納得させることを怠ってしまうのも若さかもしれなかった。
妹が高校受験のための勉強を続けている。この時期に学んだことを自分は将来、思い出せるのであろうか。しかし、このあたりで自分の運命が決められていく。良い選択をしなければならない。
ぼくとの関係とは別に妹は裕紀とこっそり連絡を取り合い、勉強の分からない箇所を教えてもらっていた。人にものを伝えるのがうまいか下手かの二通りに分けてしまうなら、明らかに裕紀は前者だった。
その関係を自分は、当初はあまり知らなかった。しかし、知ってしまえば、
「教えてもらうんだから、きちんとお礼をしないと」と妹にきつく言った。
しかし、お金に不自由しないであろう裕紀は、そのことに対して無頓着だった。ただ、暖かい関係性と伝える喜びがあれば、それで満足のようだった。それで、ぼくもその関係を成り行き任せにしていた。
妹も将来を決めるならば、自分たちの前にも暗雲のように将来の選択が留まっていた。そこに希望があるのか分からないが、それでもその澱みを消さなければならなかった。
こころの中に浮かんでくる感情のなかで、自分は建築というものに気持ちが傾いていることを知る。まだ、そのことを誰かに表明したことはないが、教師の中で信頼の置けそうな先生に相談してみるのも価値あることだと考えるようになっている。
そのような状況も考えることの一部であるに過ぎない。たくさんの頭の内部で通り過ぎてしまう考えを振り払って、グラウンドで泥だらけになって動き回っていることがその頃は一番楽しいことだった。その合間に水泳をして身体を鍛えた。
たまに、その場で河口さんと会うこともあった。身体にぴったりとした水着が、彼女の容姿をより一層際立たせていた。彼女はたまにぼくに親しげに話しかけ、ときにはぼくの存在を無視するかのように集中して泳いでいた。彼女は必ず、最後には「わたしと同じ大学に来なさい」と言葉を継ぎ足した。
その大学には建築科があったので充分に考えられる選択だった。そして、プールを出て横にある喫茶ルームでいくつかの言葉を交わした。あの頃の彼女の輝きが、自分の大切な思い出の一部になっている。自分は、異性にまだそこまでは解放過ぎる性格を有していなかったが、緊張と同時に(子供に見られたくなかったのだろうか?)ナチュラルで自然になれる自分自身を発見していた。
その合間に、妹は裕紀に勉強を教えてもらっていたのだろう。ぼくは、河口さんが「これを読みなさい」と手渡してくれた本を、スポーツクラブの帰りの電車の中で読んでいる。窓外は、夏の勢いがなくなり、徐々に空気も澄んできていた。そこに沈み往く太陽がぼくの視線をさえぎっていた。
ぼくの家族もこのようにして裕紀のことを好きになり、その現状を受け入れていた。自分に劇的な違う段階がもし訪れないならば、周りのひとと同じようにこの状態を愛しつづけたことだろう。だが、暗雲は暗雲として存在する意義があり、そこを通過するまでは将来のことは分からなかった。
そして、そろそろ秋の大会がはじまるころになった。ぼくは引き続きレギュラーを勝ち取り、右や左に走った。3年生の最後の大会になるので、彼らの3年間のためにも勝利を続けたかった。ときには小さな衝突もあったが、ぼくの2年間の多くは彼らの影響下にあったのだ。グループとして考え方や話の言葉のチョイスなど共有してもいた。そうして、いくつかの生涯を乗り越え、チームはまとまり、ぼくらの予感として今回は県で一位になれるのではないかとの希望が、みんなの周りに漂っていた。
ぼくらの試合は強くなるたびにだんだんと観客席を埋めて行き、家族や友人たちも毎試合見ることになっていった。妹も自分の同級生を集め、ぼくらの試合に一喜一憂するようになった。そうされるのは照れくさい部分もあったが、彼女らの何人かはぼくに対して好意的な印象をもっているようだったが、妹は裕紀という存在を熱心に彼女らに伝えた。妹は、裕紀という人物に憧れを持つようになっていたのだろう。彼女といると、その空気を感じ影響されるようにもなる。もちろん、ぼくもその一員だったが、その価値をきちんと評価していたかは、また別なものかもしれない。そして、正確に誰かを判断することなど神でもない自分らにとっては、所詮無理なことなのだろう。
ユニフォームが汗で濡れ、タオルで身体の汗を拭いとり乾かす度にぼくらは大人になっていった。その先輩たちの姿も見ることがなくなってしまうのだろう。ユニークな性格の上田先輩は誰よりもチームの雰囲気を和ましてくれた。今後、同じタイプのメンバーは現れないかもしれなかった。それだけで、彼はぼくにとってもかけがえのない人物なのだろう。そして、彼とぼくの幼馴染である智美との交際は続いていた。ぼくらの地元の多くの人は、最初に交際したひととそのまま結婚することがまれなことではなかった。もしかしたら、学校を離れても上田先輩とは友人として引き続き関係を継続させるであろうことは予感できた。
このように大会を前にして、ぼくの頭の中ではいろいろな考えが浮かんでいた。それでも、その考えをだれかに説明したり、納得させることを怠ってしまうのも若さかもしれなかった。