医大生・たきいです。

医大生的独言。

「ですます」の使いドキ

2014-01-20 23:38:25 | 医大生的生活

東医体の書類作成をしていたら昼休みが終わったというビジネスマンより忙しいのではないかと疑う本日の正午過ぎだったのだが、そのあとの授業でうつらうつらしてしまったので、なめてかかってしまった筆者の頭の中に住んでいるステレオタイプのビジネスマンの方々に合わせる顔がございませんでした(笑)。医大生・たきいです。


忘れたころにウイルス学のレポートが返ってきていたので見てみた。レポートの訂正されていた箇所の多くは、あれっ、どういうことだっけと思っただけで考えることをやめたのだが(笑)、ちょっと気になった箇所がひとつだけ。

筆者はレポートというものを書くときに、思い出したときには必ず「謝辞」を書くようにしている。「感謝する」は直近の指導教官に対して、また「謝意を表す」は大学や研究室に対して用いるべしという教えを高校1年のときの生物の授業で習っていたので、物理化学で受験した人間としての唯一高校で習った生物で覚えている知識をここぞとばかりに活用していたわけである。本音としては全く感謝なんてしておらず、さらにはやってもらって当然じゃんと思っていても、表面上めちゃくちゃ感謝しているように振る舞えるのが世の中を渡る上での大人のコツである。

毎日ブログを書いているくらいだから、文章を書くのはそれなりに好きで、表現の自分なりのこだわりというものもある。一通りの基本を習えば、崩してみたくなるのが人間というものだ。とはいえ高校以降の「小論文」の課題だとかいうのはなんだかムカついていて(笑)、斜に構えていたので何も記憶に残っていないのだが、中学校までの「作文」では常体と敬体は同一文章では常に一致させよと習ったのをよく覚えている。高校では斜に構えていると述べたが、大学受験の小論文ではほとんど対策せずに一応高得点だった。個人的には要求水準が低くてムカついていたというなめきった自己評価をしているのだが、全く困った生徒である。こういう学生は進歩しない。自分のことだが。個人的な意見として、大学受験で小論文を課す意味をあまり感じない。そんなことよりブログを毎日書かせるべきだ。極論すれば文の構成とかを気にするよりも、日本語を好きになることの方がずっと有益だと思うわけだ。かかる教育方針に変換してほしいものだが如何なものか。少なくとも初等教育ではそうしたほうがいい。

「医大生・たきいです。」では、「だ・である」も「です・ます」も混合しているが、第一にブログは学術論文でもクソでもないという前提条件はあるにせよ、あえて常体と敬体を混合させることによって「流れ」を生み出している。また、形にとらわれない独自さを打ち出している狙いが実はある。こう見えても作文コンクール全国5位の腕の持ち主なのである。「である」と「です」を混ぜると剽軽な感じになって好みなのだ。故に「医大生・たきいだ。」というタイトルではなく、「医大生・たきいです。」を採用している。

さて、返却されたレポート。



「せっかく謝辞を書いてくれるのなら、この部分だけは「です・ます」調で書くと良いと思います。(今後のレポート作成のために・・・)」



と、ある。解釈すれば、謝辞をきちんと書いた変わり者はキミくらいだったけど、採点飽きてきたころにこういうのを見ると結構嬉しかったなァ。でも所詮キミは学生の分際なんだから、偉そうにしないでいたほうが無難なんじゃない? というくらいか。

そういう意見もよくわかるが、学術的な記載云々をうるさく言われているんだから偉そうにするしかないじゃんというのがファーストインパクト。先生によっては「です・ます」調を使った瞬間怒髪天を衝く先生もいそうだし、謝辞で無難なのが常体か敬体かどちらなのかは難しいところである。

必ずや敬体が優るのは、FBとかでかっこつけながら「ありがとうございました」と書くときくらいではないか。紙媒体ではなくネットのほうで敬体が好まれる場面が存在するように感じているのは自分だけかもしれないが、なんだか変なものだ。

適材適所で「です・ます」を華麗に使えるようになれば香一枚強くなれる気がするが、その道は遠そうだし、自分には身につきそうもないし、そこまで気の利く男になりたいかと言われてもそうでもない。





(ちょっぴりお姉さんだと思っていたモーグルの上村愛子選手が34と聞いてびっくりしている人(笑))






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