既に次の週末が楽しみだと思ってしまう週末の終わりを過ごしております。医大生・たきいです。
さて、今日読み終わったのがこちら。
新学期のオリエンテーションで先生からちょっと話題に出ていたので気になっていた本でした。ネットに上がっている本書に対するコメントによると医学部の編入試験に出題されたという一冊です。
病棟実習をしている医学生たちはときに、「君たちはまだ何もできないのだから」だなんて言われてしまうこともあります。確かにまだ医師免許を持っていないのだからあたり前。「ロコモ」を知らないとやや失言をしていた同級生に対して先生は、「一般大衆の理解はその程度なんだよね」と言って落ち込んでいた様子もこの目で見たことがあります。このように、病院で働く医師の先生にとって「学生さん」は基本的にお客様として認識されているケースが多いわけです。だから医学生の我々は限りなく患者さんに近いはずだ、という理論が成り立ちそうなものですが、「医師アタマ」は自分にもしっかり作り上げられてしまっていたことに気が付いたのが一番の衝撃でした。
例えば。本書80頁にて、「繊維筋痛症」とはおそらく「線維筋痛症」の誤字だと思われますが、ちょっと冷ややかな目で見てしまった私には少なからず「医師アタマ」の要素はあるのかもしれません。
それはさておき。本書中の、よくある医者と患者さんのやりとりを叙述している場面。「ふつうはそうやって問診を進めていくものだよね。OSCE(※いわば病棟に出るための仮免許実技試験)でもそうならったもの。」と読みながらそうした感想を抱きましたが、患者は質問に答えようとしているのに医師に遮られてしまう不自然さ、急に角度の変わった質問の不思議さ等々、言われてみればなるほどという指摘が続きます。「変だな」と思えなくなっているあたり、私はすでに「医師アタマ」なのでしょう。このことに自覚的になれたことだけでも本書を手に取ってみた価値があるかもしれません。
「
医師自身にも患者さんのために一生懸命になっているという思い込みがあるかと思います」(p.132)
本書は恐らく、医師とのコミュニケーションに悩んでいる患者さんに売れている本ではないかと思いますが、医師側にとっても重要な指摘がいくつもあります。
実臨床で画一で合理的な判断をするために医師は「モンドリアンの思考回路」を起動させているのだとか。これはつまり理系的な考え方です。相談に乗ってほしいときには医者に文系的な「モネの思考回路」を起動させてもらわなければならず、「
医学上の質問なら医師アタマで答えられますが、不安の解消など人間的な質問や相談には“人”としてしか乗れないのです」(p.164)ということになります。「artとしての医学」の重要性を再認識します。
「医師アタマ」が「石アタマ」になってしまう前に、患者さんの不安には寄り添える人間でありたいと思いを新たにします。
著者の尾藤先生には恐ろしく医療業界の構造が見えているのだろうと推察いたしましたが、自分もこうした文章が書ける人間でもありたいと考えます。仲間にも是非一度読んでもらいたいと思いますし、入試の現代文で出てもおかしくなさそうなので高校生が読んでみてもいいでしょう。
調べる限りこの本の初出は10年ほど前のようですが、今の時代ならネットメディアを利用して同じテーマでバズらせることも可能だったのかもしれないなとも思います。そこは少し惜しかったかもしれない、と。より多くの人に医療の問題を考えてもらうためにも、「医師アタマ」は「医師アタマ」なりに考えつづけなければならないのでしょう。
(ラーメン食べたい気分な人(笑))