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hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

父からの手紙:第10回(1990年4月10日)

2013-02-24 09:32:13 | 父からの手紙
 父からの手紙第10回です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。


 1990年4月10日 父:77歳

 ‘前回(3月20日)の便り対して、おそらく電話で返事をした事に対する便り’

 追信

 三、四日続いた雨も上り、今日は快晴と成り、K子‘姪’も四日が入学式との事、T子‘義姉’
二人で四日市の妹さん宅に遊びに出掛けました。明日妹さんの子供達と花と緑の博覧会に行く様な話でした。
春休みでも有り、大変な人出で疲れて帰って来る事と想はれます。

 当地も丁度桜が満開ですので、例年の様な賑わいが予想されます。
 先般、想付きのまゝ一寸御便り致しましたが、折角の御好意でも有り駅迄で迎えに出て下さる様なれば、
何日が宜敷しいか、どちらでもよろしく、未だ日が有りますが一寸御知らせ下さいませんか。

(私は、出来れば上旬と想って居りましたが、母さんが十五日過ぎが都合が良いと云いますので宜敷しく)
(迎えに出て下さるなら、豊橋発新横浜駅着の時間御通知致しますので、何日が宜敷しいか御願ひ致します)

                                           SK‘父’
 HM‘私’様 
                                

父からの手紙:第9回(1990年3月20日)

2013-02-09 09:19:21 | 父からの手紙
 父からの手紙第9回です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1990年3月20日 父:77歳

 ‘正月に帰郷した時に話があったようですが、母が一度も上京したことが無いので、
当時の自宅(目黒の緑が丘の妻の実家に居候)に来たい旨の依頼の手紙’


 拝啓
 大変暖かく成って参りました。
 御変り有りませんか。当方皆元気です。私も、一月に一、二度一寸心配しましたが、
其の後の暖冬に助けられ、陽春の季を迎える事が出来感謝志て居ります。
 御正月は遠路帰郷下され有難う。其の節御話しました様に、一度是非御尋ね仕度い
と云う母さんの願ひで有り、御蔭で私も今の処体頂も宜敷しいので、出来れば四月中に
御邪魔したく想って居りますが、四月十二日から十五日迄弁財天の祭礼連合総会(老人クラブ)
など有りますので、その前後に如何かと想って居ります。

 貴殿には年度切替時で、新年度に入り最も多忙な時期と推察致しますので、暇な私達の為に
御迷惑をかけては心苦しく想ひますので、此の度は必ず間違えませんから、新横浜駅下車し、
東横線に乗り替え、
 一、 東横線の何と云ふ駅で下車するか
 一、 何線に乗り替え何駅で下車するか
右、恐縮ですが返信下さませんか。
 駅を下りたらタクシーでと想って居ります。

 尚、鎌倉に一度も行った事が有りませんので、帰途二、三ケ処御寺、御神など無理をせずに
参拝仕度く想って居ります。
 尚、ガイドブックで調べて見ましたら、東海道線横浜駅から横須賀線が出て居る様ですので、
鎌倉で下り御寺が多く産有る様ですが、平地はまだよいのですが、坂道は息が切れてすぐ休み度く
成りますので(肺塵症ですので)余り欲張らずのんびりマワり一泊して帰り度いと想って居ります。
(江ノ島にも参拝し、江ノ電で藤沢に出て帰路に付く予定です)

 K子‘長兄の長女’も二年生に成ります。TA‘次兄’、SI‘三兄’達も皆元気です。
 御世話に成りますが、其の節は何卒宜敷しく御願ひ致します。

 HM‘私’
 ME‘妻’様                              SK‘父’

 三月二十記日

                                          敬具

父からの手紙:第8回(1989年5月22日)

2013-01-23 09:49:37 | 父からの手紙
 父からの手紙第8回です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

  ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

1989年5月22日 父:76歳

‘退院の連絡の手紙’

 拝復

 御便り有難う御座いました。

 連休には、能登方面に行かれた由、魚が美味な処ですし、二、三日は天気も佳かった
様ですので、新緑の季でも有り楽しい旅行で有った事と拝察致します。

 私も昨日退院致しました。此度は、入院した時が先カイに比べ割に楽でしたので、
もっと早く(四月中には)退院出来ると想って居りましたが、一週間ほどやゝタカい熱が續き
其の後下痢状態が中々治らず、想ったよりやゝ長く成ってしまひました(丁度二ヶ月)

 此れからわ、余り風邪を引く事も無いかと想いますので、適当な運動(散歩位い)をすれば、
後の具合も次第に修って来るやと期待致し居ります。
 何分にも、病上がりですので、御医者の言葉を守り無理せぬ様、務める心算で居ります。

 雨期も近づいて参ります。皆様、御体大切にして下さいます様。

 御母様に何卒宜敷しく御伝え下さいます様。

 御二人様

 5月22日                             SK‘父’拝

父からの手紙:第7回(1989年4月10日)

2013-01-09 09:04:53 | 父からの手紙
 父からの手紙第7回です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

  ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1989年4月10日 父:76歳

 ‘先の手紙から5年が経過しています。この間手紙が無かったわけではなく、これまで紹介した手紙を
何かの機会に見付けて、その時以後の手紙から保存しておくようにしたのだと思います。’

 ‘父の見舞いに対するお礼の手紙。
父はいわゆる「石屋」さんだったのですが、石屋さん特有の病気で長年苦しんでいました。
俗に「硅肺症」という病気です。製陶業に多い職業病ですが、石や砂の細かい粉塵が肺に溜まる病気です。
当時は、石屋さんを長くやっていれば必ず罹る病気と言われていました。’


 拝啓
 新緑の最も○ぎ佳い季期と成りました。
 先般は御来岡下され有難く想ひ居ります。此度は想わぬ再度入院と成り御見舞下され、御二人の元気な様子拝見
安心致しました。

 何分、体力が弱って居るので、一寸の油断が此度の様な事に成る様ですので、これからは陽気も佳く春本番です
ので、十分注意しながら体力の回復に努める心組です。退院も此の一、二日熱が戻りましたので、間近と想って
居ります。

 御高志に深く感謝申上げます。
 御礼右まで
                                   SK‘父’
                                   KO‘母’

 HM‘私’
 ME‘妻’

 四月十日



 ‘別に義母宛てに。当時は、妻の実家に居候をしており、義父は2年ほど前に他界していた’

 拝啓
 退院後大変順調に回復し体重も二KG程戻り、ヨロコんで居たのですが、再度入院と成り(肺炎)一日
大変寒い日が有り一寸油断したかと想ひますが、先カイは四、五日で平熱に成り、其のまゝ退院出来たのですが、
此度はやゝ熱がく、此の一、二日平熱に戻りましたので、此の分なれば、遠からず退院出来るでは無いかと
想ひ居ります。
 何分、体力が有りませんので医師の言に従い十分注意する心算で居ります。

 先日は、結構な品御見舞に頂戴致し、其の上御志迄御拝意‘?’下され厚く御礼申上げます。
 乱筆御許し賜り度御礼迄で
                                SK‘父’
 IE‘義母’
                                   
                                          

父からの手紙:第6回(1984年1月10日)

2012-12-27 09:16:11 | 父からの手紙
  父からの手紙第6回です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

  ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

1984年1月10日

‘正月に帰省し、親戚に挨拶廻りをしたことに対する手紙’

拝呈

寒に入り一段と寒さが益して来た様に想われます。今年は先年に比し
やゝ寒さが厳しい様ですね。
御正月帰郷下され御心使ひ戴き感謝致し居ります。慌しい日程で疲れた事と
申訳無く想ひ居ります。

御父様始めKB様‘仲人’、SK様‘義兄’、FT様‘義母の親戚’
IK様‘義父の親戚’、SZ様‘義兄’依り賀状戴きました。
尚、SZ様依りは「新年に作ル」漢詞頂戴致し教養が偲ばれ老人の私には奥床かしく
有難く拝受致しました。

私の造った万成石(岡山の日本の名石)の花器(盃型水鉢定紋浮出し入れる予定でした)
外照出磨きとして御母様に差上度想い居りましたのですが、KO‘長兄’の許しが出ず
誠に残念に想って居ります。

本年は市議改選の年で有り何かと煩らわしい春に成りそうに想われます。
私も本年こそ町の役はやめさせて戴く心算で居ります。

風邪を引かぬ様体大切にして下さい。
奥様によろしく御伝え下さい。

敬具

                                 SK‘父’
HM‘私’

一月十日