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hiroべの気まま部屋

日ごろの出来事を気ままに綴っています

父からの手紙:第5回(1983年12月11日:葉書)

2012-12-12 07:13:27 | 父からの手紙
 父からの手紙第5回です。

 父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。


 1983年12月11日(葉書)父:71歳

 ‘前回(12月2日)の手紙の追信’

 拝呈

 賀状に併せて婚儀出席戴いた御礼状差上度想ひ居りますので、IK様、IT様‘義父の親戚’の住所
御通知下さい。友人の方々は御前が出してくれると想ひますので、取止めに致します。
尚、会社関係主だった方だけ会社あてゞ出して置きます。(自宅住所分かりませんので)

 蒲団着いた事と想ひます。体に気を付けて良い年を迎えられる様。

 右まで
                                    父

 十二月十一日                               






父からの手紙:第4回(1983年12月2日)

2012-11-25 09:37:07 | 父からの手紙
 父からの手紙第4回です。

 先日、11月22日は父の誕生日でした。生誕後100年となりました。

  父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。


1983年12月2日 父:71歳

‘結婚式(11月27日)後の最初の手紙’

 拝呈
 本年も最終の月に入り、毎度の事ながら何となく慌たしく師走の月は過ぎます様で正月もすぐですね。
擧式までは何かと心忙しい日々で有ったと想ひますが、これでやゝ落付かれたと想ひます。

 皆様方の暖かい祝福を戴き和やかな内にも盛大に擧式も終り、晴れて一人前と成り家庭を持ってくれた事は
私達には何にも勝る嬉びで有り、御前の結婚の遅いのが何依り心配で有りましたが、親不幸もこれで解消です。
MEさん‘妻’を幸せにして下さい。其れは御両親に對する御前の責務でも有り、自身の幸にも通ずるはずです。

 新婚旅行の話次カイ来られた時の楽しみに志て居ます。KB様‘仲人:当時の上司の部長’、御両親には
早速礼状差上て置きましたが、IK様、IT様‘義父の親戚’の住所御知らせ下さい。
(親族書に入って居ませんでしたので)

 尚、KK様、YH様、SW様、KS様‘以上、会社上司、同期、大学友人等’
上記出席志て戴いた会社関係の方々が○○に併せ礼状差上度想ひ居りますが、会社あてで宜敷志いでしょうか。
自宅が良い様であれば御知らせ下さい。
 蒲団着物宅送便で月曜日(五日)送る心狙で居ます。六日には着する予定で居ります。
 SS様、SH様‘以上妻の義兄’には御礼状差上げる予定で居ります。

 今度来られる時には、KO、MO、KS宅‘以上母方の叔父’には是非寄って下さる様、出来ればSI‘三兄’、TA‘次兄’
へもたのみます。
 尚、TK‘父の弟’の二男YH(愛大卒)来年正月擧式の用です。

 取敢ず右‘原文縦書きのため’迄で

 尚MO‘母方の叔父’の家今月中旬迄で俊工志ます。二階家でSI‘三兄:不動産関係’が責任で建てました。

 HM‘私’殿                             父より


 ‘別紙にて’
 MEさん‘妻’
 擧式前やゝ風邪気味で有った由心配致して居りましたが、如何ですか。式前は何かと御多忙な日々で有り気疲れも
多く、御両親様共々大変で有ったと推察致し居ります。
 旅行も終りやゝ落付かれたかと想ひますが、日々に寒さも加わって参ります、体には特に注意して下さいます様。

 此度の擧式は特に御母様に大変な御心使ひを戴き誠に申訳無く想ひ居ります。尚、御姉様始め親族の方々とも御禮、
御話申上げる折も少なく申訳無く想ひ居ります。今迄での御付合ひで大体分って戴いたと想ひますが、のんびり者で
貴女の御世話に成るタイプですので何卒今後末長く宜敷しく御願ひ申上げます。

 十二月二日

                                   SK‘父’

父からの手紙:第3回追補(1983年11月27日)

2012-11-07 08:38:42 | 父からの手紙
 父からの手紙第3回で出てきた「HM’私’に贈る言葉」は文集の形で
冒頭をかざりました。

 手紙ではありませんが、第3回の追補としてここで紹介しておきます。

 1983年11月27日(結婚式当日)父:71歳

 「HM’’に贈る言葉」

  友人の方々の御厚意に深く感謝申上げ居りますが、何と書いて良いか戸惑って居ります。
  唯、親として敢えて望むとすれば、先づ誠実であれ、常に前進努力する熱意を持って欲しい、
 信頼される人間に成って貰ひ度いなどでは無いかと想ひます。

  此度は誠に有難い良縁に恵まれ深く感謝致し居ります。御両親様の期待に應えてくれる事を
 切に希望志て居ります。

  長い人生幾多の苦しい時に遭遇するものです。最全を尽くして努力する時、何とか道は広けて
 来た様に想ひます。現代の様に恵まれた豊かな時代だけに耐え忍ぶ事の大切を感じます。

  「天は自から助くる者を助く」と言ふ言葉が私は好きです。

  栄えある二人の門出に際し、明るい前途に幸あれと心から念じて居ります。


 ’結婚式は教会(聖オルバン教会)で行われました。通りをはさんだ目の前が東京タワーでした。’


 
 



父からの手紙:第3回(1983年11月5日)

2012-10-28 19:53:25 | 父からの手紙
父からの手紙第3回です。

  父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字、脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字、当て字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

1983年11月5日 父:70歳

‘挙式(11月27日)も近づき、当日の上京時刻など諸連絡の手紙’

拝呈

擧式迄一ケ月たらずと成り、御無さたのみ致して居りますので、I様‘妻の父’に挨拶状出して置きました。
何かと御多忙な日々と推察志ております。写眞幼い時のが有りませんので残念です。
男ばかり4人兄弟の末っ子で、もうそんな気にならなかったんでしょうね’
「HM’私’に贈る言葉」は友人からの依頼かと想ひますが、どの様に書いて良いか分かりません。
想ひ付いたまゝですが御前の意見が有れば書直します。

先日母さんの父親の五十回忌の法事が有りKS、MO達‘以上母方の叔父’も二人で来る由でしたので私も出席志ました。
墓参後KO、KS、MO達‘以上母方の叔父’と擧式豊橋発こだまの出発時間等に付き話致し別紙の様、
十時三十一分発東京駅十二時五十二分着で行く予定で居ります(KN‘長兄’も同意見で有り多少ゆとりが欲しいとのこと)。
先般書面で申し上げた通りTS‘父方の叔父’も東京駅で待合せて一緒に行く様になると想ひますが。
待合せ場所(出口及場処)通知ください。尚駅より式場までどの様に志て行くのか(タクシーかと想ひますが)
亦普通で何程の時間かゝるのか等念の為通知して下さい。

尚、法事の後の話合の時KO‘母方の叔父’から話が有り、MO‘母方の叔父’が宮城の方へ廻ってから式場へ
入ってはとの話が有りましたが、私の考えでは其の事は断る心算で居ります。
(たゞ若し其の様にすれば何程余分に時間がかゝりますか)
キリスト教会の擧式に付一應本で讀んで大体の事は頭に入れ有りますが、始めての事ですので一寸不安です。
尚、食事は洋食のフルコースでは無いとの事安心して居ります。‘どこから聞いたのかわかりませんが、
ホテルの洋食のフルコースでした’
注意する事が有れば種々の点に付きまとめて一言御便り下さい。

只今、I様‘妻の父’依り御返書戴き拝讀して居ります。十月二十九日社宅へ行かれた由、尚三日に御母様、
MEさん‘妻の事’御一緒に掃除をして戴いたとの事有難く感謝致し居ります。田園風景も残り空気も清澄な様子
ヨロ(「嬉」の当て字)こんで居られる様、有難く想ひ居ります。
‘新婚生活は、横浜ながら郊外の社宅でスタートしました。1年半ほど暮らしましたが、都会育ちの妻の希望もあり、
妻の実家の目黒に転居し15年ほどマスオさん生活をしました。’


住所、番地併せて御通知下さい。尚、文面に依れば、I様も娘に贈る言葉の一文を三百字位い短いもので書く予定との事、
私も一寸だらゝ長かったかと想ひますので、もう一度考へて見る心算で居ります。

何かと御世話様に成りますが、御母様、MEさんにも宜何しく御伝え下さる様御願ひ申上げます。
(蒲団、着物等御送付します‘有難く頂きましたが、蒲団は重くて妻の実家で眠っています。着物は正月に1,2度着た記憶があります。’
(KO‘母方の叔父’依りの祝儀戴いて居り、まとめて当日御渡します。(五万円))


HM殿                               父より


(別紙:到着予定時刻)
         (東京駅下車改札口-10分-式場まで20分計30分として下書の様に成る)       
豊橋発 こだま
◎10時31分-12時52分-1時22分-(約1時間)
       (東京着)  (式場着) (式場デノ待時間)
10時55分-13時16分-1時46分-(約40分)
11時31分-13時52分-2時22分-( 8分)

私は10時55分でとも想ひましたが、KN‘長兄’始め皆さんが多少ゆとりが有った方が良い様でしたので、
10時31分で行く事に致します。

別紙:付記
I様‘妻の父’が三百字位いでとの事書直して見ましたが如何でしょうか。何か忘れもの志て居る様で何と無く
落付きません。‘原稿が添付されていたのでしょうが、見当たりませんでした’

成るべく必要な事だけ早く書面で御通知下さい。




父からの手紙:第2回(1983年10月27日)

2012-10-20 10:01:11 | 父からの手紙
 父からの手紙第2回です。

  父の字は自己流の崩し字で読めない字が各所にあります。次のように一部加工しましたので
ご承知置きください。

 ①句読点もない文章のため、句読点は適当に補いました。
 ②誤字脱字はそのままとしました。旧漢字も可能な限りそのままとしました。
 ③略字は「カタカナ」表記としました。
 ④個人名は、関係者しかわかりませんが、一応仮名(イニシャル)としました。
 ⑤一部私の説明を追記しましたが、追記部分は‘  ’で囲みました。

 1983年10月27日 父:70歳

 ’第1回で出てきた「披露宴でスライドにして見せた子供のころの写真」が送られてきて
それに添付されていた手紙。第1回と前後して送付されたと思います’


 拝呈

 写眞御送り致します。御承知の様に彼の当時は写眞など写すゆとりも無く、
友人の方の御好意は大変有難いのですが、出来れば取止めて戴けたらと私では想って居ります。
(幼少時代のもの)

 尚、TS’父の弟’は直接式場の方へ行って戴いても良いのですが、多分、東京駅で私達一同と一緒に成り
行く様に成るやと想ひますが、出口はどちらへ出たら良いのでしうか。電話で連絡して置き度想ひ
ますので、待ち合わせ場所何処が良いか御知らせ下さい。
時間場所等大切な事は電話で無く書面で詳しく御通知して下さる様御願ひ致します。

 招待状全部返信入った事と想って居ります。

 御話の有った「HM’’に贈る言葉」考へて居ますが、平凡な事しか書けないと想ひますが、
私が願ふ事はME’妻’さんを必ず幸にして戴き度い、其れにつきます。これは先様の両親に應える道で有り
私達も一番望む気地です。1回(カイ)しか無い人生、明るく常に前を見て努力して下さる様願ふのみです。

附記:まだ校の学校よりの写眞、其の他卒業證書、賞状等種々有りますが、此の度の幻燈には使用出来ぬと
想ひますので、正月に帰郷の折忘れずに持って居って下さい。


 HM’’殿                              父より

 十月二十七日