goo blog サービス終了のお知らせ 

万葉うたいびと風香®’s ブログ

万葉うたいびと風香®のブログです。

山部宿禰赤人 長歌と反歌 万葉集巻3−324、325

2014年10月26日 | なごみ
よくご存知、山部宿禰赤人の長歌と反歌。

神岳(かむをか)に登りて山部宿禰赤人の作れる歌一首并せて短歌

三諸の 神名備山に 
  五百枝さし 繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の木の 
  いや継ぎ継ぎに 
  玉かづら絶ゆることなく 
ありつつも 止まず通はむ 
  明日香の 旧(ふる)き京師(みやこ)は
  山高み 河(かは)雄大(とほしろ)し
春の日は 山し見が欲(ほ)し
秋の夜は 河し清(さや)けし
  朝雲に  鶴は乱れ
  夕霧に  河蝦(かはづ)はさわく
見るごとに音のみし泣くかゆ 古(いにしへ)思へば      (3−324)

明日香川 川淀去らず 立つ霧の 思ひ過ぐべき 恋にあらなくに(3−325)


 風香意訳
 古き京(みやこ)、飛鳥の神岳に登ってみると、三諸の神名備山=神の降臨する神名備山、緑繁る栂の木は、次から次へと枝を広げ、天高く伸びゆく玉葛のように、絶えることなくいつまでも、ずっとこのように通いたいと思う。
 旧都、明日香は、山が高く、川は雄大である。
 春の日は、山をずっと眺めていたいし
 秋の夜は、川音が清らか
 朝雲に、鶴が乱れ飛んで
 夕霧には、かわづが騒いでいる

見る度に、声に出して泣けてくる、栄えていた古(いにしえ)を思えば。

明日香川の川淀をじっと離れずに立ち込めている霧、なかなか消えることのない霧のように、私の明日香への慕情(=恋)はそんなに易々と消え去るような思いではないのだ。

山部赤人のなんとも高度な技巧的表現が読みとれる長歌。

旧都、明日香の景色を、最初に「山」と「川」

次に「春の山」に対して「秋の川」

そして、「朝」「雲」と、「夕」「霧」。

旧都明日香には、人々の姿はすでにみられない。
しかし、自然の美しさは、当時と変わらず山も川も雄大であると、対句表現の中に時間的移動も織り込んだ歌に仕上げているのが素晴らしい。

更に反歌では、長歌の夕霧の「霧」を承けて、歌をまとめているのである。

霧は古代において人々の嘆き。

その嘆きの霧は、旧都を思い偲ぶ赤人自身の嘆きであり、人々の嘆きでもあったのであろう。

飛鳥が好きで通っていた私、ふと振り返ってみると明日香の歌に真っ正面から取り組んだ曲が1曲もなかった。

この思いを、万葉歌をもって表現するには?
そして選んだのが上記です。

3年前に完成した曲を、今回明日香ではじめて表現できるのは、奇跡。

風土に立って、1300年前の言霊を声にする。

幸せを感じております。

尚、今回、この歌も映像と共にお届けする予定でおります。

11月3日は、明日香へ。
心よりお待ちしております。



(神岳については、諸説あるが、その一説の橘寺付近のミハ山)


(飛鳥京跡から甘樫丘方面を望む)


(こちらは以外と知られていないかも!?飛鳥京跡、エビノコ郭付近)


 


最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
霧と栂の木 (スターアニス)
2014-10-27 15:39:54
仁徳の弟・速総別王(はやぶさわけのおお)と女鳥王(めどりおおきみ)が仁徳の追討軍に追われ倉梯山(音羽山)を「妹と登れば険(さが)しくもあらず」といいながら・・・宇陀に逃げてゆく・・・・。
そんな光景を想像しながら霧が立ち込める今日の倉梯山を石位寺越しに眺めています。

古代における霧は人々の嘆き・・・ほんと現代人にも情感の伝わる光景ですね。

そういえば、栂の木があるところを思い出しました。桜井市倉橋の崇峻天皇陵の境内に樹齢700年の巨樹があります。柵の中にあって近寄ることできず・・・遠くから眺めるだけですが・・・。

11月3日・・・楽しみにしております。
返信する
栂の木 (風香)
2014-10-27 19:59:54
五百枝さし 繁(しじ)に生ひたる 栂(つが)の木の いや継ぎ継ぎに……
お写真のおかげで、歌の風土そのままに表現できましたこと改めて御礼申し上げます。
今回、栂の木の写真を拝見させて頂いて思ったのは、山部赤人は栂を間近でみた上で更に木の特性をも知って歌ったのだと確信しました。
いや 継ぎ継ぎに、、、美しい古語表現にも惹かれております。
崇峻天皇陵内、、、これは見にいかねばなりませんね。幸いにして、この秋は大和訪問の機会が幾度かありますので。
11月3日、ご準備でご多忙の中恐縮ですが、どうぞ宜しくお願い申し上げます。
返信する

コメントを投稿