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万葉うたいびと風香®’s ブログ

万葉うたいびと風香®のブログです。

落つる黄葉(もみぢば)に思ふ心

2009年12月03日 | 心に留まった万葉一首
君が家の黄葉(もみぢば)今朝は散りにけり 時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも   万葉集 巻十 二二一七


風香意訳:あなたの家の黄葉(もみじ)は今日散ってしまったのでしょう。まるであなたの心の涙のような時雨に濡れて・・・。

秋の終わりから初冬にかけて降る雨、時雨。その雨とともに落ちていく色とりどりの黄葉。
我が家の庭を竹箒で掃いていましたが、自分の髪が小枝に触っただけで、音もなくはらはらと落ちていく黄葉に去り行く秋を感じています。
今日のようなお天気に読まれた句かもしれません。


月に思いを寄せる

2009年11月30日 | 心に留まった万葉一首
隠口の 泊瀬の山に照る月は みちかけしけり人の常無き 万葉集巻七 一二七〇


風香意訳:隠口(こもりく)の 泊瀬(はつせ)の山に照る月はとても美しいのですが、満ちたり欠けたりしてその表情は日々違っています。俗世もまた常無きものです。

万葉集を読んでいたらこんな切ない句と出会いました。美しい言葉の奥に隠れたもの悲しさ。人間の心の移ろいやすさ。
季節についての注釈はありませんが、きっと今の季節詠われた句ではないでしょうか。

今宵は七夕

2009年07月07日 | 心に留まった万葉一首
「天の川 霧立ちわたる今日今日と 我が待つ君し 舟出すらしも」

                   万葉集 巻8 1765より

今宵はまさに霧立ちわたる夕べ。
あいにく下界に住む私達からは、雲が覆って星を確認することはできないけれど、きっと霧にまぎれたその雲上は、澄み渡る天の川であふれているにちがいない。

こんな感性で歌が読めたらな。

意訳:天の川に霧がたちこめてきたわ。いまかいまかと私が待つあなた。
そのあなたが私のもとへ舟を漕ぎはじめた。今宵私の元へ・・・。




人麻呂の見た夜空

2008年01月18日 | 心に留まった万葉一首
天の海に 雲の波たち

月の船

星の林に 漕ぎ隠る見ゆ


夏葉さんとのジョイント第2作目は、人麻呂の上記の句が引用されている。

歌の練習もさることながら、有名な句らしいが恥ずかしい限りで、夏葉さんの歌を知るまで知らなかった。(ごくごく最近)

この句を知ってから、空を見るのがさらに楽しくなった。

そして何より、同じ世界に生きていることを実感できることに、なんとも表現のしようのない、感慨深いものを感じずにはいられない。

万葉講演会『万葉集に見る恋のかたち』

2007年06月17日 | 心に留まった万葉一首
里中満智子さんの講演会 万葉文化館に行ってきました。
せっかく足を運んだので いい場所確保するため13時30分会場のところ12時頃入館。
しばらく 中にある万葉図書館で時間を過ごし いざ会場へ。
(3回目の来訪でしたが 図書館があるのを初めて知りました。ガラス張りで外の緑が美しく とってもステキな空間です。ちなみに無料で入館できるスペースです。)
 いよいよ会場。
最前列は関係者席。2列目中央の席をGET。
いよいよ開演。
もちろん初めてお会いし、想像通りとってもステキな方。

里中さん言はく。
人はみかけじゃない と若い頃思っていたけど 最近は やはり 人はみかけ 
だと。
やさしい人は 優しい顔してる。意地悪な人は やはり表情に表れると。
なるほど。結構納得する。

そして話は やはり 天上の虹 の場面が中心となった。

額田王と大海人皇子の歌より。

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖ふる

紫草の にほえる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋めやも


意味合いからすると 相聞歌だが 実際は雑歌に歌われている。

なぜか?!

高市と十市をかばっての歌だった・・・と場面設定したと。

たかが漫画。されど漫画。

館長の中西進さんもおっしゃっていたけど 漫画家の域をこえて ほんとに掘り下げて物事を考察してみえるんだなあと思った。

また高市と十市の恋についても触れ 心の中で叫んでいた。

「その3首、万葉歌にしました!!!」って。

講演聞きながら 自分の歌も頭の中でぐるぐる回ってBACK MUSIC がかかってた感じ。
(どう想像するかは 事実以外は勝手ですからね。)

あっという間の1時間30分。

充実した1日でした。

待ってる間に知り合った橿原神宮近くに住む年配のご夫婦。
いろいろ教えて下さってありがとうございました。とっても勉強になりました。
またどこかの現地説明会でお会いしましょう。
感謝!






額田王

2007年06月16日 | 心に留まった万葉一首
この女性程 時代に翻弄された人はいない といっても過言ではありません。
はじめ 大海人の思い人となり 二人の間には 十市皇女が生まれました。
のちのち 娘である十市皇女も 母同様 時代に翻弄され はかない人生となってしまいます。
そして激動の時 大海人の兄である天智天皇の元へいくことになり 本心はいかばかりだったのかと思います。
今の時代では考えられないですね。

香具山は 畝火ををしと 耳梨と
相あらそひき 神代より かくにあるらし いにしえも
然にあれこそ うつせみも
妻をあらそふらしき

あかねさす 紫野行き 標野行き
野守は見ずや 君が袖振る

紫草のにほへる妹を憎くあらば
人妻ゆえに われ恋ひめやも

万葉文化館にいくと 額田王のタイトルでミ二シアターみたいなのが
やっています。
映像とナレーションを交えた劇になっていて 14分程だったと思いますが
この句も中で紹介されていますね。(あまりに有名ですね)

額田の歌は ほかにもまだまだたくさんありますが 晩年の句が少ないようです。
どのように生涯を閉じたのか・・・。

自分でも確かめてみたいなって思う今日この頃です。



大伯皇女と大津皇子

2007年06月13日 | 心に留まった万葉一首
昨年の万葉音楽祭に見事落選したのが 兄弟の歌だった。

これをきっかけに更に万葉歌へはまっていったように思う。
くやしさをバネに アレンジを加え 曲もずいぶん進化した(つもり)なので
歌詞のみ ご披露します。

講釈言わせて頂きながら紹介させてくださいませ・・・


持統天皇の策略にあい 死んでしまった弟(大津皇子)を
姉である大伯皇女が 二上山を眺めながら思いをはせているシーンから
歌が始まります。

◆うつそみの 人なる我や明日よりは
 二上山を 弟世(いろせ)と吾が見む
 
当時 二上山に沈む夕日を見て 人々は黄泉(よみ)の国があると
考えていました。
きっと 大伯も黄泉の国にいる大津を思ってうたった歌でしょうね。

そして過去にさかのぼり 大津がいよいよ死を目前として詠んだ歌です。

◆百伝ふ 磐余の池に鳴く鴨を
 今日のみ見てや 雲隠りなむ
 
 母の元へありがとう

母(太田皇女)は持統天皇のお姉さんでしたが 大伯と大津が幼い頃病気で亡くなっています。
お互い天武天皇の妻となり 持統天皇が実子である草壁皇子に皇位継承したかったため 姉の子、大津の存在がうとましかったということだったのでしょう。
ちなみに大津皇子は 懐風藻にも死直前に詠んだ句を残しています。

そんな環境で育った大伯皇女と大津皇子の兄弟愛は並大抵のものではなかったと思います。
更に大伯皇女は あの世へ旅立った大津を思い万葉集に更に歌を残しています。

◆磯の上に 生ふる馬酔木を手折らめど
 見すべき君が ありといはなくに

 百伝ふ 磐余の池に 泣く鴨を
 どんな思いで 見てたのでしょう
 会いたい もう一度 母の元で
 二上山の 向こうに見える
 黄泉の国で 
 いつまでも いつまでも 永遠に

◆のところを全部通して歌います。
とこおとめの勝手な現代語訳も入っています。

思いを込めて言葉にするってむずかしいですね。
まだまだ勉強不足です。