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 名古屋市名東区 赤帽タケフジ運送の「ふ箱」

赤帽タケフジの車窓から見える光景

名古屋市名東区の赤帽運送はタケフジへご用命下さい
052-772-5880

普通の休みの日

2025年08月12日 | 朝な夕なのこと
 日ごろの自分の仕事は数時間で終わる。さしたることもないのだが休みの日が待ちどおしい。
今年の盆休み(自分の仕事の休み)は長い。しかし休暇といえども障害のある娘の日中介護サービスが休みでもあり家にいる。したがって私の仕事は休みでも終日介護だ。しかし幸運にも11日がショートステイにて娘が泊りとなった。11・12日とフリー。
カミさんと映画をみて、夕飯に近所のきしめん屋にてビールと天ぷらきしめんの夕食で一日終える。・・・何年振りかの「普通」の休みを過ごしました。

名古屋市 南京との「友好都市」復活なるか・・・

2025年08月11日 | 世間のこと
 名古屋市長広沢氏が2012年以降断絶していた中国南京市との「友好都市」再開をめざす。前市長 河村氏(現衆議院議員)が「南京事件はなかったのではないか」との私見を発表したので南京市が抗議し「友好都市」の関係が途絶えていた。現市長 広沢氏は保守党の推しで市長となった。南京市との交流再開に保守党支持者の反発の声があり、保守党支部長を退位しての取り組みだ。
「南京事件(南京大虐殺)」は昭和12年12月に南京を占領した日本軍が6週間にわたり軍の統制下での虐殺が行われた。当時の「東京日日新聞」には、「百人斬り競争」の記事がありました。2人の日本少尉が南京への行軍中に中国人百人斬る競争をしているという報道でした。この両少尉は戦後の裁判にて死刑となりました。
このような日本軍の行為に、河村前市長が「・・・なかったのではないか」の発言でした。
名古屋市は日中戦争のころより南京市とは交流がありました。よく散歩にいく「平和公園」の平和堂には南京市より1941年に贈られた千手観音像があり、春秋のお彼岸には御開帳される。自分も何回も拝観した。ことの初めは名古屋・唐山の観音像を日中戦争のさなかに寄贈したお返しだったと聞いてます。
日本は他国との友好関係を最優先しなければ成り立ちません。日本一国でいくら力んでも一日として成り立たない。食料・エネルギー・工業原材料・・・のほとんどが輸入です。コメすら賄えないことが令和の米騒動にてあらわとなった。戦争となれば瞬時にどん底です。これは先の戦争で 私の父母の世代のことで、いやというほど味わったことをきいてます。今回の広沢市長の決定を市民として支持したい。

猛暑もいくさもない・・・

2025年08月06日 | 仏法
「無量寿経」に以下の句がある。(アバウトの訳)
「仏が衆生を救うため遊行する国・集落では、仏の導き・その徳を蒙らぬ人はない。
上下やわらぎ、天体の異変なく、風雨は時をもってあり、疫病も起きず、国豊かに民安んじて、武器を用いるいくさもない・・・」
・・・・いくさは絶えず、分断は深まり、天変地異・疫病もやまず、国貧しくなり民はやすまることがない・・・のが現状です。
となると、現代は仏が衆生を救うために遊行することがない・・・ということになるのか。
お釈迦様が亡くなって、その教えとそれを修する人、その悟りは時がたつにつれてすたれていくという。現代は教法のみが残り、修するひとはなく、悟りもない時代となった。末法という。そこには夢も希望もないのか・・・そうでもない。
親鸞聖人の和讃に・・・像末五濁の世となりて 釈迦の遺教(ゆいきょう)かくれしむ 弥陀の本願ひろまりて 念仏往生とげやすし・・・とあります。
濁れてしまった末世なればこそ、阿弥陀さまがわれらにさずけたもうたもうた念仏往生(本願)の道以外はないということです。道はある。
 

少なくてちょうどよし

2025年07月30日 | 私のなりわい・運送のこと
 30年来の顧客もほぼ終了となる。
開業4~5年したころより仕事をだしてくれたところです。当初は北陸シリーズでは富山~金沢~福井とキャラバンのように荷物の出し入れでした。2泊三日の仕事でした。朝入れて、夕方積み込みでしたので昼間はフリー。各地の「観光」で過ごしました。二十年余もありましたか。ここ十年来は近場の仕事となり、回数もすくなくなった。今年はそれも終了となり、長らくありがとうございます・・・となりました。
今は営業も宣伝もしませんので、顧客のおおくが溶けていくばかりです。逆に多数の仕事が来てもできかねる環境となりました。いまある仕事を精一杯遂行するのみです。


9月いっぱいにて現在の「gooブログ」が終了となります。赤帽タケフジのブログは10月より移転します。移転先
          
           「はてなブログ」の「gamon48の日記」となります。
     https://gamon48.hatenablog.com/

「木の上の軍隊」をみる

2025年07月26日 | 朝な夕なのこと
 今土曜日は娘が生活支援で施設へ一日でかけたのでフリー。通常土日は家にいるので終日介助で日が暮れる。このチャンスをにがさず、映画へでかける。
井上やすし原案の「木の上の軍隊」。沖縄沖の伊江島にて敗戦後2年間も樹上をねぐらとし、米軍のゴミ捨て場で命をつなぎ、来もせぬ援軍を待った2人の軍人の実話です。当初は軍人の使命にて律した逃避生活も、次第に「軍」の字が洗い落とされ、伊江島の青年軍人と宮崎出身の少尉は「人」となっていく・・・本土防衛の捨て石となった沖縄は、80年の年月が経過するも、本土防衛の前線として強化されることはあっても日米同盟の防波堤の役割は変わりません。「本土ファースト・沖縄セカンド」が80年。このままでよろしいのか「日本人ファースト」なのに。


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まさかとおもうんですが・・・

2025年07月23日 | 世間のこと
 参院選が終わる。外国人への排他的な演説がめだった。
幕末の「尊王攘夷(そんのうじょうい)」の再来みたいだ。幕末 鎖国日本の門戸を叩く西欧の進出。これに反発した公家と武士階層の排外行動が盛んとなった。これが「攘夷」だ。「尊王」もありました。天皇を国家元首とする構想をもつ政党が躍進した。幕末のこの潮流は「国粋主義」へとなる。「日本人ファースト」も当時もありました。「国学」がはやり、仏教・儒教が入ってきた以前の日本を憧憬する学問です。いずれの潮流も欧米に負けじとアジア諸国に進出し、戦争へと流れ込んだ。この度 戦術的に国民のストレスを・・「反外国人」感情に向け、扇情して票を稼ぐという流れが 以前の「轍」を踏みはせぬかと杞憂。


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もう仕事のため・・・ということではなく

2025年07月16日 | 朝な夕なのこと
 引っ越しをやらないようになって久しい。70後半ですから当然か。ここ数年、関節が一カ所悪くて無理もできず。
それでも足腰が弱っては仕事もできない。散歩コースに平和公園の百階段がある。今日は雨っぽい空でしたが階段やってみました。4回の昇降運動。まだこれくらいの運動では足腰にくることはなし。
「そなえよ常に」というボーイスカウトのスローガンがありました。
もう仕事の引っ越しに備てということはありませんが、生きてくため、健康寿命をキープするため・・・といこととなりました。

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仕事すましてさぁ~楽しもう

2025年07月04日 | 私のなりわい・運送のこと
関空の近くまでの運送。前日に荷受けし、今日中に納品すればよいという仕事。名古屋を朝6時に出発する。ゆっくり走り、9時半終了。本日の名古屋の仕事は仲間に頼んでおいたので帰路はフリー。
奈良の法隆寺ICで下りて法隆寺へ。おもえば中学生のころにきたきりです。五重塔‣金堂・講堂をゆっくり拝見。思いのほか観光客がすくなくこころいくまで楽しみました。隣の中宮寺の如意輪観音菩薩の半跏思惟象像の優しい面影は半世紀以上たってもかわりませんでした。ただお堂は昭和43年に新しくなってました。遅くなった昼飯を法隆寺の南門前の食堂ですます。もう一つ欲張ってそこから西に歩いてすぐの「藤ノ木古墳」へ。そこの資料館にてじっくりゆっくり学びました。夕方4時ころ帰路に就く。ああ・・面白かった!暑かったけど。

東別院の講座

2025年07月03日 | 仏法
東別院の講座を聞く。「仏教と平和を考える」

かって大谷派は明治の時代より国家の戦争に協力‣加担した。
それは・・・わが宗門は戦争を<聖戦>と呼び…「靖国神社に祀られたる英霊は皇運扶翼の大業に奉仕せし方々なれば菩薩の大業を行じたるものと仰がる」と表していた。
そして「宗教家は戦争に反対するものだ」と非戦論をあらわした植木徹誠、また「戦争は最大な罪悪だ」と戦地に赴く兵をまえにして語った竹表彰元などを宗門から追放した。
こうした「皇道真宗」を歩んできた布教を懺悔し、30年前に大谷派は「不戦決議」を表明した。
現在も戦禍は絶えません。
「怨みに報いるに怨みを以ってしたならば、ついに怨みのやむことがない」と釈尊はいいのこしている。
・・・概略のそのまた一部の内容でした。

雨ン中・・奈良へ

2025年06月18日 | 朝な夕なのこと
  先週ウイークデイの一日を休みとする。奈良国立博物館の「超国宝展」の観覧。新幹線で京都経由です。時間は十分なので京都途中下車。雨の中歩いてすぐの東本願寺まで。朝はやいので静か。御影堂と阿弥陀堂でお参り。法話も聞いて11時ころに近鉄奈良へ発つ。
あいにくの大雨。しかし観光客は大勢。外国人が多数。昼にしようかと、博物館地下の店にいくと行列。あきらめて観覧とする。ここもチケットから行列。やっと入館。混雑。かき分けるように超国宝を見る。どれもこれも圧倒的の感慨。2時間以上見学で相当疲れてしまう。さて昼食と思いさっきの店へ。まだ並んではいたが、少人数で昼飯にありっきました。カレーとビール。そこでぼんやりと過ごし帰路へ。雨は上がり晴天。興福寺に寄るも令和の大修理で伽藍は囲われてつまらない。周りは外国の観光客ばかりで自分が外国に来たような思いでした。
人の波で疲れましたが、来た甲斐がありました。

gooブログはおしまい

2025年06月04日 | 私のなりわい・運送のこと
このgooブログをはじめてかれこれ17年となる。60歳からです。あげた記事は1千600ほどとなる。9月いっぱいで終わりらしい。他のブログへの引っ越しが勧められている。でもこれがめんどくさい。ほっとけばネットの宇宙へ消滅ということだ。
ほぼ日記です。生業の赤帽車の窓からみた記事、毎日のあれこれ、世間のことへの意見、仏教のこと・・・などでした。
仕事の赤帽は1988年からですので、もう37年になるか。先もみえてきた頃合いでもあります。ブログもクローズでもよしか。10月までまだぼちぼち上げていきます。
10月以降は以下です。
 https://gamon48.hatenablog.com/




楽しい運送

2025年05月19日 | 私のなりわい・運送のこと
 絵画の個展への搬入。顧客は34年まえからの付き合いの方でほぼ同年配。同乗にてギャラリーまでおしゃべり。25年まえには彼が結婚する嫁さんの荷物も運んだこともある。私が赤帽をはじめた動機までも記憶しており(過去にはなしたことがあるのだろう)驚きました。最近は仏像に関心があり、学んでいるそうだ。先にはその仲間と大阪・奈良の博物館めぐりをしたとのこと。自分も仏教を少しやってるんで話がはずむ。運送をあと2~3年はやってくださいよとの言葉。確約はできずと返事。来週の搬出時間を確認して終わり。帰りもまたダベリが楽しみだ。

今度は風邪

2025年04月24日 | 朝な夕なのこと
 今度は腰痛に続き風邪となる。2日間のど痛、鼻水も・・・クリニックへ。発熱はない。コロナの検査しますか?いいえ・・・で薬をだしてもらう。咳も出だしいよいよ風邪のフルコースかと思えども、熱は微熱で推移。薬にてのど痛は即治まる。仕事を仲間の赤帽さんに依頼してお休み。2日間ゆっくりして回復。経年劣化の免疫力低下によるか。また仕事量も歳にあわせて少ないので休んでもこまったなぁ~もなし・・・で釣り合っているのか。


久しぶりの骨接ぎ

2025年04月22日 | 私のなりわい・運送のこと
 久しぶりの腰痛。軽作業時床のプラコン(5~6キロ)を台車にのせようとしたときやっちゃいました。さしてひどくはないが時間の経過で次第に痛む。次々と仕事があるわけでもないので家にて横になる。夕方骨接ぎで治療。早めに治療してよかった。明日もようすみますから来てとのこと。この骨接ぎは歩いて5分の毎度のところです。でもこの間数年お世話になることがなかった。「重作業」の多かった若いころはよくかよったものです。今回は「加齢」によるものに間違いなしです。

孤立死…ナラク(奈落)に落ちることか

2025年04月12日 | 仏法
 新聞に「孤立死」昨年2万1千人とありました。死後8日以上経過して見つかった人の数です。発見時が1か月以上は7千人弱、1年以上は253人と。この孤立死の8割が男・・・・という。さみしい数です。一人ひとりの人生があったはずです。その終末が一人の寄り添う人がなくなくなっていったことに現代人の寂寥を思う。
たまたま本日は休みにて別院の「一如さん」の法要に出かける。境内には多数の出店でにぎあう。そこで聞いた法話のなかに地獄のはなしがありました。
地獄は8種あると。第一が「等活地獄」殺生したものが落ちるナラク(インドの古語で地獄のこと)。互いが鉄の爪をもち肉片になるまで戦う。そして鬼が「活・かつ」というと再び肉片が集合して体にもどりまた果てしのない傷つけ合いとなる・・という地獄です。さらにその下には黒縄地獄、衆合地獄…と続き最も深い地獄「阿鼻(あび)地獄」となる。この地獄に落ちていくときに、だれ一人としてともに行ってくれるものなしと(「われ今帰するところ無く、孤独にして同伴無し」)とありました。そのとき深い底からなきさけぶ声をきき、前の地獄の十倍の恐怖を抱いて気が遠くなり悶絶するという。
現世の「孤立死」が阿鼻地獄そのものでもありましょうか。