つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
昭和十三年あたりから、誓子には「黒の時代」「暗黒の時代」といわれる一時期があった。それまでの外面に関心があり、視点が外界に向いていたのが、内面の深淵に向けられた時代である。例えば〈愉しまず晩秋黒き富士立つを〉〈夜はさらに蟋蟀の溝黒くなる〉〈蟋蟀はきらりと光りなほ土中〉などの句が挙げられる。これは当時の時代背景が反映しているにしても、誓子が病気療養中で鬱鬱としていたことが主な原因であったろう。
しかしときには無理のない誓子本来の句も見られるようになる。いわゆる構成句である。鑑賞句は昭和十六年作で『七曜』に所収された、まさに構成句である。誓子の「自選自解句集」によれば、「『つきぬけて天上の紺』は、くっつけて読む。つきぬけるような晴天とは、昔からいう。それを私は『つきぬけて天上の紺』といったのだ」とある。
つまり一句は、〈つきぬけて天上の紺/曼珠沙華〉であり、一部の鑑賞者のように曼珠沙華が紺碧の空を突き抜けるという解釈はあたらない。まして「曼珠沙華を下からのぞき込んで空につきぬけた様子だ」などは論外だろう。ここでは「天」と「地」の縦軸に「天上の紺」と「曼珠沙華の赤」という色彩の対比をみることができる。これこそ「黒の時代」を抜けた構成俳句の再来である。
ところで曼珠沙華は彼岸花のほか、死人花、捨子花、石蒜(せきさん)、天蓋花、幽霊花、かみそりばななど様々な呼称がある。どちらかというとマイナスイメージであるが誓子は曼珠沙華が好きなのか、この頃に、〈曼珠沙華季節は深く照りとほる〉〈曼珠沙華一茎の蘂照る翳る〉などがある。
そんななか、時代は大きく転換し始めた。昭和十五年に俳句弾圧事件があり、太平洋戦争開戦は翌年のことである。「日本俳句協会」は十六年六月に「日本文学報国会」の一部門と化した。誓子は地方で療養中ということもあり捜査から免れたが、次第に俳句の素材が狭く、身近な自然観察に眼が傾いていった。
俳誌『鴎座』2018年5月号 より転載
【曼珠沙華】 まんじゅしゃげ
◇「彼岸花」 ◇「狐花」(きつねばな) ◇「捨子花」(すてごばな) ◇「死人花」(しびとばな) ◇「天涯花」(てんがいばな)
ヒガンバナ科の多年草。秋の彼岸ごろ、川辺の堤や畦などに花茎をのばして、真紅の炎のような美しい花を咲かせる。花後、細い葉が出て翌年春枯れる。
例句 作者
「福島」に復りたい白曼珠沙華 瀧春樹
あかあかとあかあかあかとまんじゆさげ 角川春樹
うつし世の端行きどまる曼珠沙華 村田冨美子
かんぺきに蕁麻疹曼珠沙華の中 種村祐子
さびしい空気から曼珠沙華を一本ぬく 藤井眞理子
つまずくに丁度いい石彼岸花 奥山和子
とどまれば我も素足の曼珠沙華 あざ蓉子
ふるさとに突つ立ちはじむ曼珠沙華 印南耀子
まんじゅしゃげ自分の色を見失う 和田美代
まんじゆしやげ昔おいらん泣きました 渡辺白泉
われにつきゐしサタン離れぬ曼珠沙華 杉田久女
ドラえもんのどこでもドアー曼珠沙華 園田千秋
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