荒廃した戦後、六人兄弟の長男として新制中学生時代、親父の家庭教育を思い出す。
みかんの美味しい産地は200~300mの小高い傾斜地に植えられている所、静岡、和歌山、広島、愛媛、長崎等で何故小高い傾斜地なのか?
「みかんはお前たちのように欲深さが無い、みかんは自分が生きる為に必要な命の水を天から頂くとき、必要な量を頂けば、残りは飲み水のために河川に返してあげる。
お前たちのように親の影で悪さをするが、みかんは朝日の太陽と共に常に明るく、暖かい太陽を出来るだけ長時間受けて育つ。(みかんの受ける日射時間)
お前たちのように、みかんは暑い寒いと言わない(小生の小学生時代は年中半ズボン)、産地は海辺に面し、海面温度は年中昼夜、ほぼ同じで、みかん畑の昼夜の温度は異なり、日中、みかん畑の温度は対流によって寒かったり、暖かったり、それ故美味しいみかんが栽培されるのだ。」と。
昭和30年代になって、みかん農家が経済的に潤すようになって、上記の環境を無視して
お金が優先する時代に突入(現在の経済状況も?)し、大切なお米を作る田圃や野菜畑をを蜜柑園に増殖する時代に突入して行く、消費構造(食べ方)が変わらないまま、増産、増産、しかも、美味しさを追及しないまま、・・・・・・・。
父が悲しく、行政とみかん政策に立ち向かう、悲しい時代に入る・・・・・。
こんな時代に消費構造創造の為にアウドアーで料理の得意な小生に「みかん料理」に挑戦を促す事となる・・・・。