高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

少年の瞳 大津

2015-03-07 22:25:58 | つながり
大津 綾乃

 高槻先生、今まで長い間、野生動物の研究、学生への指導をされてきたことと思います。私はその多くの学生の一人として、麻布大学で高槻先生に出会え、野生動物学研究室で学べましたこと、とても感謝しております。
 高槻先生と初めてお会いしてから8年ほどですが、その中でも特に強い印象を受けたエピソードがあります。それは、2009年のモンゴルでの調査の時のことです。ブルガンというところ(ウランバートルから車で8時間くらい)で協力者のチョロンさんの家にホームステイをしながら訪花昆虫の調査を1週間ほどしておりました。そこは、モンゴルの中でも比較的水が豊富にあり、林が点在し草原にはお花畑が広がり、マルハナバチやハエ、ツリアブやチョウなど多くの昆虫が花々を行き交っている、とても美しいところでした。そこでの調査は、100 mの直線ラインを引き、その線を中心として両側幅1 mの間にどんな昆虫がどんな花を訪れているか写真と共に記録に取っていくというものでした。一日に3度ほど、時間を決めて調査を行い、そのほかの時間には、糞虫トラップを仕掛けるなど他の調査を行ったり、合間の時間には周りを散策したり、地元の方と話しモンゴル語を教えて頂いたりと楽しい時間を過ごしていました。調査の数日目、モンゴルや調査に少しずつ慣れてきた頃、調査も一段落したため家に帰り、調査メンバーと林に近いお花畑を歩いていたときです。いきなり、そばにいた高槻先生が「〇〇だ!」と声をあげ、捕虫網を持ち(ほかの荷物はかなぐり捨て)、猛ダッシュをして30 メートルくらい先で網を激しく一回、体ごと螺旋を描きながら回転して、何かを捕まえました。何拍か遅れて先生のもとへ行くと、とてもキラキラとした瞳で捕まえた昆虫を見せて下さいました。その蝶は小さな頃からのあこがれだったとのこと。
 その先生の姿は私にとって強い印象となって残っていたのですが、なぜずっと忘れられないのか、当時はよくわかりませんでした。今回、先生の御退官にあたって文章を書くことになり、もう一度思い出して、その理由について考えてみようと思いました。そうして考えてみると、その時の先生の姿に、ただそのチョウだけを純粋に追いかける、少年の頃の先生を見たような気がしたのだと気付きました。私も小学生の頃は、いろいろな生き物を実際に見たり、触ったり、生き物とのつながりを持っていたのに、中学、高校と少しずつ距離ができ、大学で生き物について学んでいくうちに、生き物との直接的なつながりを疎かにしてしまっていたのかもしれない、と思いました。先生がこんなにも自然や生き物に対して、純粋に向き合って研究している、ということを無意識のうちに感じ取り、そこに強い印象を覚えたのかもしれません。
 常に、生き物に純粋に向き合う高槻先生のもとで研究ができたこと、その姿勢を学べた事、本当に嬉しく幸せに思います。麻布大の教授を退かれても、いつまでもキラキラとした瞳で自然と純粋に向き合う、そんな先生の姿を思い描き、これからの更なるご活躍をお祈りしております。
(2013年 麻布大学大学院修士課程修了)


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