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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

東京大学におけるタカツキ・セイキの生態

2015-03-07 22:24:27 | つながり
辻 大和

 筆者は東京大学総合研究博物館において、タカツキ・セイキ(ヒト成獣♂、以下タカツキと略す)を間近で観察する機会に恵まれ、2000年から2007年にかけての8年間、彼の行動データを収集した。これらの情報は、大学人としての彼の軌跡をたどる上で貴重な知見と考えられ、また彼を対象に調査を実施しようとする読者にとって有益と思われるので、以下に報告したい。

 基礎生態:タカツキは11時過ぎに研究室に出現し、業務をこなした後、19時ちょうどに帰宅するという習性をもっている。季節変化および経年変化はないようである。休日の生態は長らく不明だったが、ここ数年ブログにプライベート写真が公開され、ある程度の推測が可能となった。研究室では常に机に向かっていたが、飲み会の前に部屋でこっそりギターを練習していたという目撃情報もある。カリントウを好むらしい。還暦を過ぎたおじさんだがニンジンが嫌い。収集癖が強く、とくに頭骨をずらっと並べるのが好き。筆まめである。達筆なので、学生向けのコメントの解読には特殊スキルを必要とする。女子学生のかくし撮りが趣味。お茶を飲んだカップを机に置きっぱなしにして出張し…以下略。
 教育者としてのタカツキ:勘違いや忘れ物の頻度は同世代の教員に比べ有意に高く(p < 0.001)、研究室のマネジメントには同僚ないし学生のフォローが不可欠となる。当時の研究室ではどちらかというと無愛想であり、冗談が通じない(ように見えた)ため、新入生のうちは、居心地の悪さを感じたものだ。研究指導は厳しく、研究計画の根本にかかわる『つうこんのいちげき』を繰り出す。その際の言い方がきついので、筆者はタカツキへの不信感を募らせ、不平をこぼしてばかりの時期があった。このような教育・指導が彼なりの優しさだとわかったのは、大学院も博士課程になってからのことだ。筆者が部屋のドアをノックしたときに不機嫌な顔をしたこととか、方向性に行き詰まったときに突き放したことは一度もなかったことに気づいた。フィールド調査においても、日中こそ厳しい叱責が飛ぶが、夜のミーティングでは、その日に撮影した調査風景の写真の上映会を行って、参加者の雰囲気を和ませようという、さりげない心配りをしていた。グサッとくるコメントは、長い目で見れば的確で、かつ本質をついたものである場合が多かった。教育者としてのタカツキについてもう一点、特筆したいのは、情報処理の圧倒的なスピードである。メールに対する返信は5分以内、論文原稿のコメントはだいたい3日もあれば送り返してくれた。緊張感のあるやりとりを通じて、論理的な思考法を叩き込んでもらった。大学に職を得て、自らが学生の提出するレポートや投稿論文の原稿の手直しを引き受ける立場になったとき、筆者はその凄さとありがたみを理解した。
 哺乳類研究者としてのタカツキ:研究に対して常にストイックである。「長く続けることで見えてくるものがある」「自然と謙虚に向き合う」「科学の知識は多くの人が共有するもの」などの、ぶれない信念をもっており、また実践している。たとえ学生が相手でも、まず向こうの意見を聞き、フェアに議論しようとする、健全な科学的精神をもつ人である。学術論文だけでなく、一般向けの本も書く。文章は簡潔明瞭で、ところどころに優しさやユーモアが感じられ、読了感が心地よい。タカツキの著書を読んで研究の道を志した学生がいるというのも、うなずける。しばしば若手への苦言を呈するおじさんだが、それも含めて、問題を提起する勇気がある。スリランカの津波孤児支援のための「ぞうさん基金」、震災で傷ついた東北の人々の心を励ますための「がんばれナラの木」活動に代表されるように、口だけではなく自らアクションを起こせる研究者だ。第一級の研究者としての近寄りがたさと、周りがついついサポートしたくなる親しみやすさ、という二面性が、タカツキの特徴であり、魅力なのだと思う。
 * * * *
 高槻先生、30年を超える長い教員生活、どうもお疲れ様でした。今後は、ご自身の興味のおもむくまま、今まで以上に研究生活を楽しんで下さい。研究対象に正面から向き合う精神と、周囲に対する優しさを、私も受け継いでいけたら、と思います。
(2007年 東京大学大学院博士課程修了)</font>
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