🌸後継を巡ってシーア派が分派
⛳シーア派はなぜ分派した理由
☆ムハンマド没後、イスラム共同体の合議でカリフが選出された
☆4代目・アリーの就任(合議で選ばれた4人を「正統カリフ」)
☆アリーのカリフ就任をめぐり反発が起き分裂した
☆ムハンマド没後、イスラム共同体の合議でカリフが選出された
☆4代目・アリーの就任(合議で選ばれた4人を「正統カリフ」)
☆アリーのカリフ就任をめぐり反発が起き分裂した
☆アリーの子孫「イマーム」(指導者)として認めるシーア派が分派
*それ以外がスンナ派と称される
*多数派のスンナ派、少数派のシーア派の構図、今日まで続 いている
⛳両派は教義に大きな違いはない
☆ムハンマドの後継者をカリフとするか、イマームとするかの違い
☆シーア派では、アリーと子孫のみをイマームとしている
*ウイヤ朝以降のカリフを認めていない
🌸現代にいたるイスラム教の広がり
⛳アラブ帝国からイスラム帝国への変貌
☆ムアーウィヤではじまったウマイヤ朝
☆ムアーウィヤではじまったウマイヤ朝
☆スンナ派が樹立したアッパース朝の両朝の違い
*ウマイヤ朝は、アラブ人のみを免税対象とした
*ウマイヤ朝は、アラブ人のみを免税対象とした
*他民族には人頭税、地租を課すアラブ人優遇国家国家
☆アッパース朝は、同じムスリムであれば
*人種を問わず、土地税を平等に課した
*イスラム法も、アッパース朝の時代に確立した
*″アラブ帝国″から、ムスリム中心の統治が確立
*“イスラム帝国”へと変貌した
*支配地域も、中近東から中央アジア、北アフリカにまで広がる
*支配地域も、中近東から中央アジア、北アフリカにまで広がる
*支配した地域、古代文明が栄えた地で、イスラム教の文明も発展
☆十字軍遠征の際に、イスラムの学問や火薬、砂糖などが
☆十字軍遠征の際に、イスラムの学問や火薬、砂糖などが
*ヨーロッパに″輸人″された
☆イスラム教はムスリム商人によって東南アジアにも伝播した
⛳ヨーロツパを驚愕させたオスマン帝国
⛳ヨーロツパを驚愕させたオスマン帝国
☆イスラム王朝の成立
*モンゴル帝国の支配、インドでムガル帝国の成立
*ペルシアでサファビー朝といったイスラム王朝の成立
☆イスラム王朝のオスマン帝国が台頭
*スンナ派のオスマン帝国コンスタンテイノープルを占領
*ビザンツ帝国(東ローマ帝国)を滅ぼす
*治世で地中海全域を制圧するなど、ヨーロッパ諸国の脅威となった
☆オスマン帝国では、領土内での宗教対立を避けるために
☆オスマン帝国では、領土内での宗教対立を避けるために
*異教徒に寛容な政策を採用した
*非ムスリムには人頭税を課すかわりに
*非ムスリムには人頭税を課すかわりに
*宗教ごとに共同体「ミッレト」内の自治を容認
*迫害を逃れた多くのユダヤ教徒が、オスマン帝国に亡命した
⛳オスマン帝国の滅亡
☆西欧の近代化進むとオスマン帝国は弱体化する
☆西欧の近代化進むとオスマン帝国は弱体化する
*第一次世界大戦で敗れ、スルタン制・カリフ制廃止された
*イスラム帝国の支配は終わりをつげた
*英仏の統治を経てシリアやイラクなどのアラブ諸国が独立した
☆急激な近代化政策で、イスラム諸国では貧富の差が拡大
☆急激な近代化政策で、イスラム諸国では貧富の差が拡大
⛳イスラム再興運動の現代へ
☆イラン革命が勃発
*民衆の不満がたまり、指導者ホメイニを中心としたイラン革命
*欧米追従から、イスラム教の教義に戻ろうとする
☆「イスラム復興運動」が盛んになり一部の教徒が過激化した
*アメリカ同時多発テロをはじめ
*現代に続くまでテロが頻発した
☆近年、人口が減少傾向にある先進国に対して、イスラム諸国では増加
☆近年、人口が減少傾向にある先進国に対して、イスラム諸国では増加
*ヨーロッパを中心にムスリムの移民も増加
*キリスト教文明とイスラム教文明の対立・分断進むケース多い
(敬称略)
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⛳出典『宗教と世界』
イスラム教2(イスラム教分裂と現代イスラム教社会)