🌸日本の合戦1(はじめに)
☆日本の歴史は、世界と比較すると穏やかである
☆日本の大乱は、11年戦った応仁の乱
*ドイツ30年戦争ほど長期間ではない
*英仏の百年戦争とは比ぶべくもない
☆中国の戦国時代、各国は激しくぶっかり合った
*長平の戦いでは降伏した兵20万人が生き埋めにされた
*この様な残酷な事例も日本にはない
☆人類の常として、日本でも昔から戦いが繰り返されてきた
*長平の戦いでは降伏した兵20万人が生き埋めにされた
*この様な残酷な事例も日本にはない
☆人類の常として、日本でも昔から戦いが繰り返されてきた
*古代は、武力を好まぬ貴族の世に変化した
*中世は、武士が力を持つ
*鎌倉時代⇒室町時代⇒江戸時代へ時代の転換期に
(多くの武力衝突が生じた)
☆結果として260年余りの平和な江戸時代が生まれた
本郷和人
⛳古代の兵種と戦闘スタイル
☆古墳時代から奈良時代までの古代
☆日本の武器は、鉄製の剣と大刀、矛と弓失が主流
⛳古代の兵種と戦闘スタイル
☆古墳時代から奈良時代までの古代
☆日本の武器は、鉄製の剣と大刀、矛と弓失が主流
*身を守る鎧は鉄製で日本古来の短甲と大陸伝来の挫甲
*奈良時代には鉄製の鎧に代わり綿製の綿甲が主流になる
☆日本には馬がいなかったため歩兵同士の戦いだった
*4世紀末頃に馬と馬具が伝来
*6世紀頃には騎兵が誕生する
☆戦法の中心は弓射騎兵が担い、弓矢での戦い後近接戦闘で決着した
⛳中世の兵種と戦闘スタイル
☆平安時代から鎌倉時代にかけての戦い方
☆平安時代から鎌倉時代にかけての戦い方
☆古代から続く弓射騎兵の個人戦闘が中心
*打物歩兵、弓射歩兵を加えてユニットを組んでいた
☆この時代の騎兵は武士
☆この時代の騎兵は武士
☆14世紀の南北朝時代
*弓射騎兵に代わり打物騎兵が増加
*騎兵と歩兵の連携による集団戦が主体となる
☆武士である騎兵は、大鎧に星兜を被り、太刀と弓、腰刀を装備する
☆武士である騎兵は、大鎧に星兜を被り、太刀と弓、腰刀を装備する
*打物が戦いの主体となり、槍や長刀など様々な武器を持った歩兵
*動きやすい鎧を着用した
*胴丸に弓や太刀、腰刀を装備するのが基本
⛳戦国から近世の戦闘スタイル
☆戦国時代には鉄砲歩兵が登場した
*打物騎兵、弓射歩兵、打物歩兵3種にプラスされた
☆鉄砲の大量生産が可能になる
*鉄砲軽歩兵として部隊に欠かせない存在
*戦力の足軽に装備させて鉄砲隊を編成する
☆戦いが日常化、大規模化すると大量の甲冑が必要になった
☆戦いが日常化、大規模化すると大量の甲冑が必要になった
*南蛮貿易による西洋の技術の流人などで、様々なタイプが生まれた
☆部隊編成では武器ごと(兵種別)された
☆部隊編成では武器ごと(兵種別)された
*「備」と呼ばれる部隊が基本単位となった
*戦況に応じて各部隊を配置して戦ったのである
☆「備」は、江戸時代の参勤交代の行列に受け継がれている
(敬称略)
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⛳出典『日本の合戦』
日本の合戦1(はじめに)
(『日本の合戦』記事より画像引用)