慶喜

心意気
「明日迄の命の気持ちで、人生を!」
「不老不死の気持ちで、知識の習得を!」

産業革命2(革命時代)

2021年02月14日 | 歴史
🌸「失業した農民」が「都市の労働者」へ

⛳イギリスの発展を支えた要因
 ☆イギリスが「産業革命」をいちはやく達成した
 *国全体が「製造業」となり製品を生産
 *販路を利用して大きな利益を生み出す
 (イギリスが世界貿易の覇権を握り販路確立した)
 *「世界の工場」といわれたイギリス
 ☆ヨーロッパ列強諸国も次々と産業革命を起こす
 *販路拡大のための海外進出政策をとるようになる
 ☆イギリスがいち早く産業革命を達成
 *「世界の工場」としての地位を確立できたのは
 *イギリス国内に「元手」と「人手」が十分に備わっていたから
 ☆イギリスはインドやアメリカでの植民地獲得競争に勝利する
 ☆イギリスはアジア貿易の利益などで元手を持っていた
 ☆農業の合理化が進んでいたため、失業した農民で溢れていた
 *労働者を募集すれば、いくらでも集まる環境だった

綿織物業からエネルギー・交通の革命ヘ
 ☆イギリスの産業革命は、まず綿織物業から始まる
 *綿織物を織る機械に簡単な仕組みを組み込んだ
 *織物の生産効率を一挙に数倍にはね上がり、糸不足に陥った
 *糸をつむぐための紡績機が必要になる
 *水力紡績機等の改良が、瞬く間に行われた
 ☆紡績機は当初、水力で動いていた
 *ワットが蒸気機関を改良し、いろいろな用途で使えるようになる
 *紡績機に、力織機に接続され、織物がさらに増産された
 ☆蒸気機関は交通機関にも使われる
 *スティーヴンソンが実用の蒸気機関車発明
 *アメリカのフルトンは蒸気船を実用化した

⛳革命が社会に生んだ大きな変化をもたらした
 ☆産業革命は、様々な影響を世界にもたらした
 ☆機械の発展は、手工業者の「仕事を奪う」
 *手工業者は、その怒りを機械への恨みに換えた
 *機械の打ち壊しという暴動に発展
 ☆資本家と労働者の分化
 *機械を買い、工場を経営でき人は、労働者を搾取する
 *資本家は、豊かになり、労働者は工場での長時間労働となる
 *労働者の不満が、労働運動や社会主義運動につながる
 ☆イギリスの産業革命をいち早く達成し「世界の工場」の地位を確立
 ☆周辺の国もイギリスに追随した
 *ベルギー、フランス、アメリカ、ロシア、日本へと広がる
 ☆当時の「先進国」は、物を作っては売り、世界の貿易をリードする
 ☆先進国以外の国(アジアやアフリカ)
 *先進国に原材料提供し、先進国で生産されたものを買い取る
 *属国の立場を強いられていく
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、「世界史の教科書」




産業革命2(革命時代)
「世界史の教科書」記事より画像引用)
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雅子皇居を狙え・中国の「皇室利用」斬る

2021年02月14日 | 皇室
🌸習近平「国賓来日」を秘めて

 ☆天安門事件から天皇訪中の対中外交、小和田恒氏が仕切っていた?
 ☆雅子皇后の最近、そこも中国は狙ってくる
 *正月の会見もあわや”ドタキャン”だった
 *ご体調は一進一退の状況が続き決して万全とはいえない
 ☆習近平を筆頭に中国首脳とパイプを大くする
 *「皇后外交」の展開は、外務省親中派の思惑にもかなう
 ☆その先には再び「天皇皇后両陛下の訪中」が視野に入ってくる
 ☆中国の”深謀”が蠢いている

⛳外務省の昭和天皇訪中の裏で
 ☆外務省が公開した天安門文書
 *宇野宗佑、海部俊樹政権時代の日本政府が天安門事件の後
 *中国に積極的に手を差し伸べようとしている記述が多くあった
 *中国はそれを逆手に取って日本を利用するだけ利用してきた
 ☆欧米の対中政策包囲網で経済的苦境の中国、円借款供与を狙った
 *海部政権で外相を務めた中山氏に、中国訪中団は伝えた
 *「いま動けば将来、10倍、100倍得るものがある」など
 *海部首相が欧米に先駆け、円借款を供与する方針を表明した
 *日本の一連の判断は完全に誤りだった
 *この判断がいまに至るまで、中国をつけ上がらせる
 ☆訪中団は重病で臥せっていた部小平とも会談している
 *彼が強く要望したのは天皇陛下の訪中
 ☆日本は、天安門事件での対応を総括していない
 *今回の文書公表で判明した、外務省の中国擦り寄りの姿勢

小和田発言を中国は利用して
 ☆今回の外交文書を読んで不安を感じた皇室関係者は多い
 ☆皇后・雅子さまの父小和田恒氏
 *92年の天皇訪中を積極的に進めた
 *小和田恒氏により、中国の悲願だった天皇訪中が行われた
 ☆陛下は記者団に訪中に関して聞かれ答えた
 *種々の意見がありますが、「政府の決定」踏えての判断であると
 ☆「政府の決定」に小和田氏の意向が強く働いていたのではないか
 ☆中国の横暴の一つが南シナ海を中心とする領有権問題
 ☆小和田氏のアジア通信社の記者とのやり取り
 *小和田氏は、中国の主権を否定せず
 *審決を読んでおらず具体的にお答する立場にもないと答え
 *中国の主張の理屈はその通りだと認識していると
 ☆小和田氏は、国際司法裁判所の所長も務めた

中国は「皇后外交」まで画策ヘ
 ☆中国にとり重要なのは、小和田氏が天皇陛下の義父である
 ☆昨年、習近平問題で、二階自民党幹事長が批判された
 *習近平中国国家主席の訪日と天皇陛下との会見を策していた
 ☆中国の狙いは皇室利用にある
 *天皇・皇后両陛下、特に小和田人脈を受け継ぐ雅子皇后にある
 ☆習近平は、雅子皇后に直接中国招聘を訴える機会を狙う
 ☆中国はキーマン小和田氏も調べ上げている
 ☆最大の狙いが、小和田氏の持論の「ハンディキャップ国家論」
 *第二次世界大戦を引き起こした日本は加害国
 *侵略の罪を反省するために軍事力を持ってはならない
 *その様な、ハンディキャッ.プがあって
 *日本は、初めて一人前の国家になる
 *日本は、経済に特化すべきとしている
 ☆小和田氏の思想
 *「日本が永久に中国・韓国などに謝罪する義務を負う」考えに結び付く
 ☆小和田氏は外務次官時代、日本の政治家が外国を訪問する際
 *戦争に対する「謝罪発言」の準備を指示したこともある
 ☆中国は小和田氏の考えを徹底的に分析・利用しようとしている
 ☆中国が、小和田氏ルートで、雅子皇后に近づく可能性は高い
                     (敬称略)
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 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
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⛳出典、「THEMIS2月号」


雅子皇居を狙え・中国の「皇室利用」斬る
「THEMIS2月号」記事より画像引用)
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『三つの会話(戦争・平和・終末)』6(社会の本質)

2021年02月14日 | 知識取得
🌸『三つの会話(戦争・平和・終末)』6(社会の本質)

 ☆戦争は必要悪なのか、それとも絶対悪なのか
 ☆トルストイの平和主義の欺購性を批判した男
 ☆ロシア帝国末期における彼の戦争論

 ☆著者、ウラジーミ々ソロヴイヨフ

⛳『三つの会話』著者のプロフィール
 ☆ソロヴイヨフは、ロシア帝国末期の時代に生きた詩人・哲学者
 ☆彼が生きた崩壊直前のロシア帝国
 *自由や民主主義を求める政治運動家たちが活動をしていた
 ☆代表的存在の一人、ナロードニ
 *農民を啓蒙して革命勢力に再編しようとしていたナロードニ
 ☆ソロヴイヨフ
 *逮捕された運動家らを死刑に処す政府の方針に反対し大学を追放された
 *彼もまた、末期の帝政ロシアの中で自由を求めた青年の一人
 ☆代表的な平和主義者は、トルストイ主義者だった
 ☆ソロヴィョフは、トルストイ主義の激しく批判した

⛳『三つの会話』での著者の思い
 ☆トルストイ主義の欺瞞性を批判したソロヴィヨフの集大成の1冊
 ☆ソロヴイヨフは本書の中に
 *それぞれ戦争を必要悪と考えているか
 *あるいは絶対悪と考えているのか
 *読者にわかりやすい形で結論が出るわけではない
 ☆ソロヴイヨフ自身が戦争をとらえている真意
 *この本から容易にわかるわからない
 *その葛藤を人生の最後まで自身の中で繰り返したのがソロヴィヨフ
 *その真摯さを貫いた
 *トルストイの非暴力主義、平和主義は、空想的な欺瞞思想と批判する
 ☆宗教的人間のソロヴイヨフ
 *イエス・キリストがそうであったような
 *神と人間の性質が合体した「神人」
 *いつかこの世に現れると信じていた
 *「神の国」の到来を真剣に待ち望んでもいた
 ☆ソロヴイヨフ、ロシア帝国の崩壊さえ見ず、47歳で死んだ
                     (敬称略)
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⛳出典、「世界の古典」


『三つの会話(戦争・平和・終末)』6(社会の本質)
(ネットより画像引用)
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将門の巨大な呪力8(言ってはいけない聖地の呪い)

2021年02月14日 | 聖地
🌸将門の巨大な呪力8(言ってはいけない聖地の呪い)

⛳神社に祀られし反逆者
 ☆神田明神は、関東を代表する神社の一つだ
 ☆江戸の街の守り神として、徳川幕府から厚遇された神社
 ☆神田明神は、江戸城から見て鬼門の方角に移された
 *神田明神は、災いから将軍家を守護する役目を担った
 ☆神田明神は祭神として、厄除けの神「平将門」を祀っている
 ☆欧米の軍隊すら呪ったとされる、日本有数の怨霊

⛳朝延と敵対した新皇
 ☆将門は、朝廷に反乱を起こして関東一帯を制圧し「新皇」を自称した
 *桓武天皇の血を引く桓武平氏の一族だった
 ☆将門の関東政権は2カ月ほどしか続かず討伐軍に敗れて戦死
 ☆遺体は首と胴が切り離されて、京で晒し首となった
 *生首を晒したその日から、怪現象が続発した
 *首はいつまで経っても腐らず、毎夜のように笑い声を響かせる
 *ついには関東へ向けて飛び去った
 ☆浮遊する首は関東に落ち、地元民の手により埋葬された
 *その場所が、かつて神田明神のあった大手町
 ☆関東に帰還しても将門のたたりは暫く治まらず
 *将門の御霊を供養し、神田明神に神として祀りあげ収まった

⛳GHQをも呪った首塚
 ☆将門の首塚を撤去しようとする人間をたたるという伝承がある
 ☆江戸時代、首塚は酒井家の屋敷内に置かれていた
 ☆明治維新後に酒井家の屋敷が撤去されて、大蔵省が建てられた
 *首塚は敷地内に残されていた
 ☆関東大震災で大蔵省庁舎が損壊した
 *首塚の上に仮庁舎を造る計画が持ち上がる
 *完成直後から官僚関係者や工事業者が次々に変死
 *大蔵大臣までもが病死し、死者は10人以上にも及んだ
 ☆政府は仮庁舎を取り壊して首塚を再建
 *神田明神と日輪寺に供養を依頼している
 *その後も首塚にまつわる不穏な出来事が起きている
 *将門没後千年目に落雷で大蔵省の庁合が焼け落ちる
 ☆戦後、連合軍が、不思議な出来事を経験している
 *GHQは、首塚を潰して駐車場とする計画を立てた
 *GHQは迷信だと一蹴して工事を強行
 *重機が塚を潰そうとした時、制御不能となって横転
 *運転手1名が死亡しマッカーサーは、工事を白紙撤回した
 ☆アメリカヘのたたりが事実なのかはよくわかっていない
                     (敬称略)
⛳知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載
⛳出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
⛳私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
⛳詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
⛳出典、「本当は怖い日本の聖地」




将門の巨大な呪力8(言ってはいけない聖地の呪い)
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