木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

インフルエンザと徳川将軍

2009年05月21日 | 江戸の話
咳が出る。
私の住んでいるのは名古屋だから、新型インフルエンザはまだ出ていないはずだが、町中でも日を負うごとにマスクをした人を多く見るようになった。
咳をするのも、白い目で見られることを思うと、非常に心苦しい。
我慢していると、決壊した時の咳がまたひどい咳になってしまって……。
決して、新型インフルエンザなどではないのだが。
でも、言われてみるとお腹も痛くなってきたし、背中も痛いような気も……。

さて、このインフルエンザであるが、江戸時代にも存在した。
徳川十五代将軍の中にもインフルエンザが原因で死亡した将軍もいた。

六代将軍家宣である。
七代将軍の家継は、急性肺炎のため八歳で亡くなっているから、別として、有名な五代将軍の家綱と、八代の吉宗の間に入って目立たない存在であったが、家宣の時代は主に正徳時代であり、新井白石などが腕を奮った時である。
部下の活躍が目立つというのは、家宣の性格が穏やかでごくまともだったということの証左にもなるのだが、とにかくあまり目立った存在ではなかった。
だが、庶民に不満の高かった「生類哀れみの令」を綱吉の遺言を破却して、綱吉の死の二日前に廃しているのは評価できる。

この家宣が流行りのインフルエンザに罹ってしまったのは、正徳二年の九月十四日頃。
今でも、インフルエンザに対する特効薬はないくらいであるから、当然江戸の時代においても治療策がなく、幕臣は有名神社仏閣の祈祷依頼に走り回るが、その効もなく、家宣は一ヵ月後の十月十四日には死亡してしまう。享年五十一歳。

この頃の医者は流行性感冒という言葉を使わず、時気感冒、天行感冒などと称し、庶民も風疫、風疾、疫邪などと呼んだという。



徳川将軍家十五代のカルテ 新潮新書 篠田達明

↓ ブログランキング。クリックしていただけるとうれしいです。


























最新の画像もっと見る

コメントを投稿