吉良家というと「忠臣蔵」で知らない者がないほど有名になった吉良上野介義央{よしひさ}の家である。
松の廊下事件で、結局、吉良家は元禄十六年(1703年)に改易になった。
その後、享保十七年(1732年)に再興がかなった。
西尾市にある歴史民俗資料館には、吉良流礼法に基づいた吉良御膳の再現フィギュアが展示されている。
上級武士のハレの場での食事が分かって興味深い。
展示によると、
本膳が
小煮物(時季のもの)、小なます(今回は鯛)、潮吸物、汁(赤味噌)、飯、焼塩、梅干、山椒。
二膳が
鮒寿司、指塩(ハモの刺身)、焼鳥(うずらの照焼)、はらみきんこ(ナマコの類)、赤味噌物(鴨汁の味噌仕立)
とある。
もっとも、展示には地元の料理店を使って現代風にアレンジしたと書いてあるので、どこからがアレンジで、どこまでが正式なものか分からないのが残念だ。
だいたい、こんなものだった、という雰囲気を再現しているのだろうか。
確かにこの献立なら、現代でも立派な贅沢として通じる。
だが、現代だったらここに天ぷらだとか、から揚げのようなハイカロリーな品目が加わるに違いない。
やはり現代は飽食の時代には違いない。
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松の廊下事件で、結局、吉良家は元禄十六年(1703年)に改易になった。
その後、享保十七年(1732年)に再興がかなった。
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小煮物(時季のもの)、小なます(今回は鯛)、潮吸物、汁(赤味噌)、飯、焼塩、梅干、山椒。
二膳が
鮒寿司、指塩(ハモの刺身)、焼鳥(うずらの照焼)、はらみきんこ(ナマコの類)、赤味噌物(鴨汁の味噌仕立)
とある。
もっとも、展示には地元の料理店を使って現代風にアレンジしたと書いてあるので、どこからがアレンジで、どこまでが正式なものか分からないのが残念だ。
だいたい、こんなものだった、という雰囲気を再現しているのだろうか。
確かにこの献立なら、現代でも立派な贅沢として通じる。
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