木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

高山彦九郎①

2009年08月19日 | 江戸の人物
寛政の三奇人と言われたのは、林子平、蒲生君平、高山彦九郎の三人である。
現代となっては、林子平の知名度が一番であろうか。
ちなみに高校の参考書を読んでみると、ちゃんと三人の名前は挙がっている。

寛政時代の経世家、高山彦九郎(1747~93)が尊王思想を説いて全国をめぐり、蒲生君平(1768~1813)は歴代天皇の陵墓の荒廃をなげいて「山陵志」を著し(中略)、いずれも尊王を説くものの倒幕を論じたものではなかった。

外圧の接近とともに、幕政に警鐘を鳴らしたのは海防論であった。(中略)寛政時代には、仙台の人林子平が「海国兵談」を著して海防を厳にすべきことを説いた。


子平の「海国兵談」は、*付きで欄外に引用までされている。

日本は海国であり『細カに思へば、江戸の日本橋より唐、阿蘭陀迄境なしの水路也』と説いて海防の必要を説いた。

この文頭の文句は大学入試にも出題されたことがあるほどで、やはり子平の知名度は抜きん出ている。
君平も宇都宮に蒲生神社が建てられ、学問の神様として名高い。

他の二人と比べて彦九郎はどうであろうか。
彦九郎も高山神社が建てられ、記念館も生まれ故郷の群馬県にはあるが、変なところで最も有名である。
それは京都の京阪三条。
彦九郎は土下座という別名で知られていると言う。
そこには彦九郎が膝をついた姿勢の銅像があり、待ち合わせ場所として有名だそうだ。
だが、地元民でも銅像の主である彦九郎が何をした人物であるか知らない人が大部分であるし、名前すら知らない人も多い。
実は銅像がモチーフとしているのは、土下座をしているわけではなく、御所を見た際に思わず膝まづいた姿勢らしい。

では、彦九郎とはどのような人物であったのであろうか?
次回に内容を見てみたい。

「詳細日本史研究」 笠原一男 (山川出版社)

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