木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

偶然

2010年06月24日 | 日常雑感
よく人との出会いは奇跡みたいな偶然だとか、時の悪戯がなければ歴史は変わっていた、などと表現されることがある。
いつもの電車に乗り遅れたせいで災害に遭わなかったとか、偶然をことさらに強調する声は多い。

だが、私は最近、とみに「世の中で、本当の偶然は少ない」と思うようになってきた。
人は出会うべくして「運命的な人」と出会っているし、災害や事故、僥倖などとの出会いにも必然性がある。
この考えを突き詰めていってしまうと、おまえは運命論者なのか、と言われてしまうかも知れない。
答えは、部分的にYES、部分的にNOである。
全ての物事が必然的に決められているとしたら、この世はあまりに受動的過ぎる。

たとえば、ある人が「車を持つ運命にある」とされても、どのような車を持つかはずいぶんと幅がある。
野球選手になることが運命づけられていたとしても、その時点で生涯打率までが定められているわけではないと思う。
野球選手になったことで満足してしまうのと、そこからさらに精進していくのでは、将来大きな差が生じる。
そういった意味では、運命といってその幅は広いものと言える。
この差は、決して運命ではないと思う。
運命はスタート地点までは導いてくれるが、ゴールまでは一緒に走ってくれはしない。

人は予想もしなかったような不幸に見舞われたり、突然の災害に見舞われることもある。
あるいはその逆に思いがけないラッキーチャンスを掴むこともある。
これらを一概に「運命」の一語で片づけていいとは思わない。
起こった現象だけでなく、その意味を考えられるようになったら、人生は更に深いものになる気がする。

「必然」は時として「偶然」の仮面を被って、わたしたちの前に現れる。
ぼおっとしていると「ただの偶然」と思ってしまうような中に、案外、真実が含まれるのかも知れない。



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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (美穂)
2010-06-27 00:59:02
私も運命、偶然、奇跡、必然、これらについて
考えることがあります。

どんな現実が今目の前に現れても、
それがよくても悪くても、もっと後から見たら
逆転する事もある。

考えすぎてもしょうがない、
ぼおっとして何も考えすぎない方が案外、
真実な気がするのは私も同じです☆

そうやって後々思うんです後々。。。



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Unknown (木村春介)
2010-06-27 23:20:15
塞翁が馬、という故事があるけれど、短いスパンで測るのではなく、長い目で物事は見なければならない、と思います。損か、得かとか、目先の利益にはみんな敏感だけど、長い目でみれば、小さいことなんんだろうな。そう言いながら、満員電車で足を踏まれ、腹を立てているのも、自分自身です。いきなり、悟ったようなことは言えませんね。
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Unknown (ひなおかこ)
2010-06-28 20:54:04
偶然必然運命…考える余裕もなく目の前の課題をこなすので精いっぱい。最悪の状態になった時それをどう好転させるか、どうすれば良い方向に持ってけるか?でもそれは自分1人の力だけでは出来ないのも分かっているので~落ち着いて「長い目で見る」ことも大切ですね。
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Unknown (木村春介)
2010-06-29 00:43:26
予期せぬ出来事が起きてしまったとき、それが偶然であろうが、必然であろうが、あまり関係ないかもしれません。ただ、自分にとっては悪いことが起きた場合、なんらかの必然性があったのだ、と考えると幾分気が楽になるので、そう考えている次第です。
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