木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

時の徘徊(トキハイ)

2011年07月17日 | ポップマニア
マニアックな話題です。
かなり以前、「時の徘徊」というバンドがあった。
「時の徘徊」は3ピースバンド。ボーカルが抜群にうまい飯田牧人、作詞に長けたギターの池田省一、少し抜けキャラのキーボード小原俊也(ヤムチャ)。
その後、池田氏が抜け、新ギターに具志岳典を迎える。
バンド名も「トキハイ」と改名してそれなりにヒット作も出したのだが、今は開店休業の状態になっている。

もともと関西のバンドで、ライブハウスを中心に活動。
たまたまテレビから流れた「ずっと君を見ていた」を聴いたときわたしは、尾崎豊の「卒業」以来のショックを受けた。ギター二本とキーボードでここまで、充実した音が出るのか、と思った。すぐに明石で行われたフリーコンサートに行き、その後、ライブハウスにも通うようになった(当時は心斎橋の「ミューズ」が中心だった)。
バンドのコンセプトは、バンド名からも分かるように、少年時代の想い出が中心。

ある晴れた日の話 時は五月少年はこの街に来た
先生に紹介されて ぎこちない挨拶を終えて
君の席はあそこだから 教科書は隣の人に
きれいな黒髪 べっこう色のカチューシャ隣の少女(ずっと君を見ていた)

ドブ川沿いの空家の裏側 僕らの秘密基地があった
ビルが立つとか道路ができるとか 最近は驚かなくなったけど
秘密の基地にもコンビニが立つらしい(少年の唄)


売れるためには、人々の共感を得るのが最も大事。
だから、歌は恋愛の曲が多い。
けれど、恋愛の歌では目立たない。
恋愛以外をテーマにした曲は、ハイリターンであるけれど、ハイリスクでもあり、アーティストは普遍性とオリジナリティの中で揺れ動くものなのかもしれない。
「時の徘徊」は、そのハイリスクな道を選んだ。
その選択には運も必要だった。
いくつかの運にも恵まれたが、彼らがその運をうまく活用できたかというと疑問が残る。

色々、試行錯誤もあって、吉本新喜劇と接近したり(確かその時は、キングコングとセッションしていたような気がする)もしたのだけれど、結局、彼らはハイリスクを回避する。
すなわち、恋愛の歌へのシフトと、行動の場を東京に移すことである。
一番痛かったのは、池田氏と飯田氏の喧嘩別れである。
この別れによって、数々の名曲は封印されてしまった。
そして、バンドのコンセプトが非常に不明瞭になってしまった。

成功するには運が必要だという人がいる。
確かに、その通りだろう。
でも、運は誰にも訪れる。大事なのは、運が訪れたときに、タイムリーにその運をつかめるかどうかだ。
そして、運を待つ根気も必要だ。
待っている間にも、家賃は払わなければならないし、米も買わなければならない。
金持ちの道楽ではないのだから、アーティストは印税で食って行かなければならないのも事実。
「時の徘徊」は1995年結成だから、焦燥感もあったのだろう。
どんどん洗練されていった飯田氏と、「俺ってどなりながら歌っているだけかな」と変わらない池田氏。
方向性が異なったのは本当だろうが、もう一度、原点に戻って一緒に歌ってもらえないものだろうか。

僕等遠くまで行けるはずなのに
その全てを持っているはずなのに
心のたかぶりに歩きだしはするけれど
オーバーペースだ 歩き方を知らない
自信がある時ない時 ふくらんだりしぼんだり
こんなことじゃいけない
自信がない時だって歩き続けることはできるんだ
遠くを見つめろ
始めることはやり直すことはわりとたやすく
続けることが 続けることが難しい
(遠くへ歩き出せ)


トキハイ「放課後」PV

池田省一氏LIVE(10分後くらいから、時の徘徊オリジナル「町で一番大きなガソリンスタンド」を演奏しています)

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