木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

川本幸民と蛋白質

2009年04月04日 | 江戸の学問
タンパク質を漢字で書くと、蛋白質となる。
この蚤(のみ)にも似た蛋という字の意味はトリの卵である。
以前から、分かりにくい言葉だと思っていた。
なぜ、このような見慣れない漢字が使われるのだろう?

オランダ語では、eiwit で、ei は卵、 wit は白であるので、本来は「卵白」と約すのが普通だ。

この語を初めて日本に紹介したのは川本幸民。
文久元年(1861年)に『化学新書』を著した幸民は、蛋白の他に、葡萄(ぶどう)糖、乳剤、尿素などの語も紹介している。
「化学」という言葉を使用したのも幸民が初めてで、それまでは「舎密」(せいみ)と言っていた。

「卵」には、象形文字で「男性性器」の意味もあると言う。
これを幸民は知っていて、わざと「卵白体」とせず、「蛋白体」という表現を使った。
そのせいで、確かに意味が分かりづらくはなってしまった。

幸民は、そのほかに日本で初めてビールやマッチを作ったりもした。
これらを事業に結び付けていれば、金銭的な成功を得られたのではないかと思うが、幸民は学者肌であったようだ。

ただ、幸民には人間臭いエピソードも多い。
酒席で上司を刀で斬り付け、謹慎処分になったり、マッチの発明では、軽い愛想のつもりで「マッチなどという便利なものができたら50両支払いましょう」と言った人物に、きっちりと金を支払わせもした。

幸民は、今ではあまり知名度がないが、故郷の兵庫県三田市では、幸民を軸として町おこしを狙うプロジェクトまでできている。(詳細は、ここ

幕末から明治初期にかけて、化学の地位は低かった。
その実用性が認識されていなかったからである。
その中で、宇田川榕菴、川本幸民、あるいは、上野彦馬といった日本人と、ポンペ、ワグネル、ハラマタといったオランダ人教師たちが細々とながら、現在に脈々と繋がる日本の化学の基礎を築いた。
その道は、一朝一夕に成ったものではなく、凸凹な悪路ではあったが、未来への夢が見える道であっただろう。
今、化学の道は出来上がり、立派なものとなったが、果たしてその先に夢は見えているのだろうか。

(参考文献)
日本の化学の開拓者たち (裳華房) 芝哲夫

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