木村忠啓の大江戸百花繚乱

スポーツ時代小説を中心に書いている木村忠啓のブログです。

御三家と将軍

2008年07月14日 | 大江戸○×クイズ
問い:御三家筆頭尾張家からは将軍が出ていない。ウソ? 本当? 答えは、文末に。

徳川家には、御三家があるのは常識中の常識。言うまでもなく、尾張、紀州、水戸である。
家康に始まる本家に嫡流が途絶えたときは、この御三家から次の将軍が出ることになっている。
尾張61万9500石、紀州55万5千石、水戸35万石と、それぞれ石高に違いはあるが、御三家筆頭の尾張藩が必ずしも、優先される訳ではなかった。
家康から始まった本家は、七代将軍家継がわずか8歳でなくなると、正式な世継ぎが絶えてしまった。家継の後、公方の座を引き継いだのは、享保の改革でも有名な吉宗である。
通常は、藩主が将軍の座を継ぐと、その藩は廃止となるのが慣わしであった。5代綱吉の館林、6代家宣の甲府がその例である。しかし、吉宗は紀州藩を存続させた。
そこで、自分の血筋を絶えさせないように設けたのが御三卿である。田安家、一橋家、清水家であり、一橋家からは家斉が出ている。最後の将軍、慶喜も一橋家の出であるが、慶喜の場合は、むしろ水戸出身といったほうが通りがいい。
こうやって徳川歴代将軍を見てくると、家康の流れを汲む前半、吉宗の流れを汲む後半、そして最後に、水戸、というのが流れとなる。尾張は御三家筆頭であるのに、将軍を出せず仕舞いで終わってしまったのであった。
答え:○
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