「親分、この緑色の正体は何だと思う?」
貞一は、佐々木の質問には直接答えず、岩徳に訊ねた。
「河童の手形でしょう」
「その河童の手形の正体は?」
「手形の正体?」
岩徳は貞一が聞いたことをそのまま繰り返したが、少しの間を置いて、
「どじょうとか、うなぎなんかのぬめりみたいなもんですかね」
確信はないが、という表情で答えた。
「わっちも最初はそう思った。しかし、不思議な点がいくつかある。第一に、こいつは臭いがしねえ。もし、河童みてえなもののぬめりならもっと魚のような生臭さがあるんじゃねえかと思うんだが、こいつは無臭だ。第二に、そもそもぬめりっていうのは、魚にとって何の益があるかってことだ。ぬめりがあることによって、岩などに当たっても魚は怪我しねえし、外敵からも捕まりにくくなってるんじゃねえか。それなのに、この手形はぬるぬるするどころか、ねばねばとしやがる。これでは、逆効果ってもんじゃねえか」
「つぶやきの言うのももっともな気がするが、河童は魚じゃねえ。もっと人智を超えたもんだとしたら、一概にそうとも決め付けられねえのじゃねえかな」
そういいながら、佐々木も自分の発言に自信がないらしく、首をひねった。
「じゃ旦那、もうひとつ聞きやすが、足は常に地面に接触している。手形はあって、なんで足型はどこにもねえんですかい? まさか河童が草履を履いていたわけでもあるめえし」
「あっ」
佐々木と岩徳は、声を揃えた。
「河童騒ぎをたくらんで誰が得するってことか」
佐々木はすぐに冷静な表情に戻って思案気な顔をした。
「例の瓦版屋は、盗賊奉行にしょっ引かれて取り調べを受けているってことです」
岩徳が付け加えた。
「さすが鬼平、やることが素早い。瓦版屋も、加役の厳しい尋問にあって、あることないこと、しゃべらなければいいが」
貞一は同情した。規則を重んじる町奉行の取調べとは違って、火付け盗賊のそれは大層手荒く、実際、無実のものが尋問の激しさに耐え切れず、冤罪で処罰されることもあった。
「しかし、瓦版屋が売上を伸ばすために仕掛けるというには、ちと無理があるような気がする。決して割りが合わねえし、風呂桶やら、一杯の魚やら、もう少し、金持ちなり、大物が後ろにいてもいいような」
佐々木が呟いた。
「大物といえば、このまえ路考が、『わたしは、河童が大好きでございます。本当にいるならぜひ見に行きたい』と放言しておりましたぜ」
「三代目か。あいつは数年前に長谷川に捕まってとっちめらていたな」
岩徳の言ったことに、佐々木がすぐに反応した。
二人が話しているのは、歌舞伎の人気女形、三代目瀬川菊之丞、路考は、瀬川家の俳名である。
「ご改革の意図に背いて紫縮緬の羽織など華美な服装をしていて、捕らえられたという例の一件でやすね」
と、岩徳が補足すると、
「そうだ。あいつなら数年前のことを根に持っていて、加役へのはらいせに、今回のことをでっちあげることはできる」
「でも、そんなことをして瀬川になんの得があるんですかい」
佐々木に貞一が尋ねた。
「あいつは賭博もやるし、仲間内でも評判が悪い。そんなやつだから、ただ単に河童騒ぎを起こして、それを捕らえられない町方や盗賊奉行を見て笑っているかもしれねえし、いっそ、河童騒ぎがでかくなったところで、河童にお題をとった興行を行なう算段かも知れねえ」
「ただ、このご改革の中、そんなことをしたらどんなお仕置きがあるやもしれねえ、ってのに」
貞一は、首をひねったが、
「梨園の連中は、大奥の力を笠に着て、高をくくっているのさ」
佐々木は吐き捨てるように言った。
貞一は、佐々木の質問には直接答えず、岩徳に訊ねた。
「河童の手形でしょう」
「その河童の手形の正体は?」
「手形の正体?」
岩徳は貞一が聞いたことをそのまま繰り返したが、少しの間を置いて、
「どじょうとか、うなぎなんかのぬめりみたいなもんですかね」
確信はないが、という表情で答えた。
「わっちも最初はそう思った。しかし、不思議な点がいくつかある。第一に、こいつは臭いがしねえ。もし、河童みてえなもののぬめりならもっと魚のような生臭さがあるんじゃねえかと思うんだが、こいつは無臭だ。第二に、そもそもぬめりっていうのは、魚にとって何の益があるかってことだ。ぬめりがあることによって、岩などに当たっても魚は怪我しねえし、外敵からも捕まりにくくなってるんじゃねえか。それなのに、この手形はぬるぬるするどころか、ねばねばとしやがる。これでは、逆効果ってもんじゃねえか」
「つぶやきの言うのももっともな気がするが、河童は魚じゃねえ。もっと人智を超えたもんだとしたら、一概にそうとも決め付けられねえのじゃねえかな」
そういいながら、佐々木も自分の発言に自信がないらしく、首をひねった。
「じゃ旦那、もうひとつ聞きやすが、足は常に地面に接触している。手形はあって、なんで足型はどこにもねえんですかい? まさか河童が草履を履いていたわけでもあるめえし」
「あっ」
佐々木と岩徳は、声を揃えた。
「河童騒ぎをたくらんで誰が得するってことか」
佐々木はすぐに冷静な表情に戻って思案気な顔をした。
「例の瓦版屋は、盗賊奉行にしょっ引かれて取り調べを受けているってことです」
岩徳が付け加えた。
「さすが鬼平、やることが素早い。瓦版屋も、加役の厳しい尋問にあって、あることないこと、しゃべらなければいいが」
貞一は同情した。規則を重んじる町奉行の取調べとは違って、火付け盗賊のそれは大層手荒く、実際、無実のものが尋問の激しさに耐え切れず、冤罪で処罰されることもあった。
「しかし、瓦版屋が売上を伸ばすために仕掛けるというには、ちと無理があるような気がする。決して割りが合わねえし、風呂桶やら、一杯の魚やら、もう少し、金持ちなり、大物が後ろにいてもいいような」
佐々木が呟いた。
「大物といえば、このまえ路考が、『わたしは、河童が大好きでございます。本当にいるならぜひ見に行きたい』と放言しておりましたぜ」
「三代目か。あいつは数年前に長谷川に捕まってとっちめらていたな」
岩徳の言ったことに、佐々木がすぐに反応した。
二人が話しているのは、歌舞伎の人気女形、三代目瀬川菊之丞、路考は、瀬川家の俳名である。
「ご改革の意図に背いて紫縮緬の羽織など華美な服装をしていて、捕らえられたという例の一件でやすね」
と、岩徳が補足すると、
「そうだ。あいつなら数年前のことを根に持っていて、加役へのはらいせに、今回のことをでっちあげることはできる」
「でも、そんなことをして瀬川になんの得があるんですかい」
佐々木に貞一が尋ねた。
「あいつは賭博もやるし、仲間内でも評判が悪い。そんなやつだから、ただ単に河童騒ぎを起こして、それを捕らえられない町方や盗賊奉行を見て笑っているかもしれねえし、いっそ、河童騒ぎがでかくなったところで、河童にお題をとった興行を行なう算段かも知れねえ」
「ただ、このご改革の中、そんなことをしたらどんなお仕置きがあるやもしれねえ、ってのに」
貞一は、首をひねったが、
「梨園の連中は、大奥の力を笠に着て、高をくくっているのさ」
佐々木は吐き捨てるように言った。