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A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

Day 034(上)

2005年12月13日 16時55分42秒 | 航海日誌
第34日目(6月23日)
朝7時 イタリア・カタニアに入港。
携帯の通信が可能になったので早速昨日用意して置いたメールを発信。

日本の息子には当方の携帯の故障の為、関係者、友人に寄港地からの
現地レポートが送れなくなった旨を伝えてもらう為。

NYのY御夫妻へは
「7月18日午後5時、MOMAの正面入口で落ち合いましょう」とメール。
何か変化があったらこのMKさんの携帯に連絡するよう依頼。

10時過ぎ2台のバスで観光に出発。
シチリア島はマフィアの根拠地として有名だが、昔シドニーでコンサートを
聴いた事があるフランク・シナトラの故郷として懐かしさ覚える。
またシチリア島は遺跡が点在しゆったりとした時間が流れている島でもある。

前回のシチリア観光では州都パレルモ、
神殿の谷アグリジェントを訪ねた時はアーモンドの花がいっぱいで
それは綺麗だった。
古代劇場で有名なタオルミーナ、
大理石の石切り場として知られるシラクーサ、
今も活動を続けているエトナ山などは一年前見学済み。
今回はピアッツア・アルメリーナとカルタジローネを訪ねる事にした。

シチリア島中部、丘の上に立つピアッツア・アルメリーナの街。
その郊外にある「ヴィッラ・ローマ」は古代ローマ時代の別荘として
使われていた。
床一面に敷き詰められた多彩なモザイクはローマ人の往時を偲ばせるものだ。





午後からの日誌はDay034(下)に続く・・・


Day 034(下)

2005年12月13日 14時55分34秒 | 航海日誌
Day034(上)より続く・・・

第34日目(6月23日)の続き
昼食時はテーブルにイタリア・ワインが出たが同席者達が
殆どアルコールを飲めないとの事で皆のワインが小生の前に並べられた。
たらふく、よく冷えた白ワインを頂戴し極楽、極楽。
これがグループ・ツアーならではの楽しいところだ。

バスに揺られ、一眠りの後、ほろ酔い機嫌で
午後は陶器で有名なカルタジローネへ。
マヨルカ焼のタイルで装飾が施された142段の色鮮やかな階段。
街中カラフルな陶板で飾られている「やきものの街」だ。
見学させてもらった陶芸工房で、この街に立ち寄った記念にと
面白い形をした「アヒルのオーナメント」を求めた。


帰船後、再外出遺跡に囲まれた港町カタニア市街を散策。
中東から回ってきたこともあるのかギリシャ、イタリアの街は
綺麗で衛生的で気持ちが良い。

ここの港にも色々な船舶が入港しているが大型ヨットも停泊しており
見ているだけで楽しい。
港からエトナ山が遠望出来た。
噴煙と夕焼けの二重奏が素晴らしい。

午後10時バルセロナへ向け出帆。
ドラの音、紙テープ、出港のゆっくり流れて行く時間が嬉しい。


Day 033

2005年12月11日 14時44分17秒 | 航海日誌
第33日目(6月22日)
デッキでの朝食後、名画座でフランス映画のアラン・ドロンの
「太陽がいっぱい」を観る。
明日はイタリアと言うことで、イタリアが物語りの舞台だという事での上映らしい。

幸い天気がよく、船上も太陽がいっぱいだったのでデッキで日光浴。

夕方からは例によってハーモニカの練習、船上碁会所で囲碁を愉しむ。

また明日イタリア・カタニアに入港した時、関係者に小生の携帯が
使用不能になった事を連絡する為、MKさんの携帯を借りて発信する事にした。

その為のメール・メッセージの準備をしたが、
使い慣れない携帯なのでメール作成に悪戦苦闘。

今 船はイタリア半島とシチリア島の間の狭いメッシーナ海峡を通過中か。
一年ほど前イタリア旅行した際、この海峡をフェリーで渡った事がある。
何か夢のようだと言うと変だが・・・


Day 032

2005年12月10日 08時22分29秒 | 航海日誌
第32日目(6月21日)
予定より少し早めにギリシャ・ピレウス港に入港。

ツアー出発前に早速街に出てボーダーフォーンの店へ。
バグ・トラブルで製造工場に送り返して修繕するしかないとの事。
今回は欧米の旅行なのでボーダーフォーンが宜しかろうと
最新の3Gのボーダフォーンの携帯を新調したのが裏目に出た感じ。
寄港地から日本の友人に現地レポートする積もりだったが残念至極。

MKさんのプリンターのインクと紙は多少苦労はあったが無事入手。

午後からアテネ市内観光。
何はともあれ、先ずアクロポリス
付属美術館で出土品、野外劇場等皆でゾロゾロと見学。
何故か30年前に来た時の感激はなし。

街に下りてオリンピック施設なども見学。
オリンピックが開催された為か、我々が中東地区から来た為か
街がやたら綺麗で衛生的に見える。
土産物屋もあまり値引きをしないので、
中東から来た我々は戸惑いを感じた。

夕食はプラカ地区のタベルナでギリシャ料理を楽しむ。

ピレウス港に帰り港内を散策。アテネの外港とし賑ぎわうピレウス。
国内第一の港であると同時に、地中海でも5指に入る国際港でもある。
港には、世界中から集まってきた大小さまざまな船が停泊している。
「帆船による地中海クルーズ」ということで日本丸のような帆船が
停泊していた。
地中海を2週間程かけて、風任せで、のんびりクルーズするそうだ。
何時か乗船してみたいものだ。

午後11時30分次の寄港地イタリア・カタニア港に向け出帆。
何時もながら出港時のテープの別れと、
流される音楽「クリアー・ホライゾン」は印象的だ。


Day 031

2005年12月09日 10時46分53秒 | 航海日誌
第31日目(6月20日)
船は地中海だ。
明日のギリシャ・ピレウス上陸に備え説明会が開かれている。
アテネには30数年前に行った事があるがどうなっているのだろう。

ギリシャでは観光もするが、其のほか色々な事をやらねばならぬ。
ボーダーフォーンに行って携帯を直してて貰わねばならない。
MKさんのデジカメのプリンターのインクと紙が無くなったので
買いに行く御手伝いをしなければならない。
彼は大変社交的で船内で撮った写真は翌日にはプリントして
皆に差し上げているので思いの他、インク・紙を使ってしまったらしい。
プリンターはHP社製なので何とかなるだろう。

エーゲ海に沈む夕日を眺めながら船上の旅情を愉しむ。


Day 030

2005年12月04日 11時22分27秒 | 航海日誌
第30日目(6月19日)
朝からエジプト観光だ。
船客の7割700人ぐらいがバス十数台を連ねてカイロ、ピラミッド観光に出発だ。  

エジプト観光局はルクソールのテロ事件以来セキュリティーを大変厳しくしている。
バス隊列の先頭と最末尾にはパトカー、隊列の左右を数台の白バイに守られ
大変物々しい警備に守られての道行である。
更に各バスには拳銃を持った警官が添乗している。
また道々、街角、観光地にも警官、兵隊が警備に当たっている。
まず、これなら安心だろう。

ポート・サイードから3時間、ゆったり流れる「母なるナイル」の恵みのもと、
悠久の歴史を紡いできたエジプトの首都カイロ。
高層ビルが立ち並ぶエネルギッシュな大都会の顔の一方、
世界遺産にも指定され中世の面影が色濃く残っている旧市街を抜け、
煌びやかな財宝の数々が展示されている「エジプト考古学博物館」へ。

有名なミィーラも見学したが、ツタンカーメンの黄金のマスクには大感激、
そのレプリカを衝動買い。

続いて観光定番のギザの3大ピラッミッド・スフインクス見学だ。
ピラミッドは絵や写真でよく見ていたので実物を見ても意外なくらい感激が無かった。
ただ砂漠の真ん中によくもあんな途方も無く大きな物を造ったなあと驚いた。

砂漠には、お定だまりの土産物屋以外に駱駝に乗っての
ピラミッド観光サービスもあった。
しかし駱駝の御者が悪すぎる。
駱駝に乗る前に値段は決めてあるのだが、乗った途端に値上げ要求、
写真を撮ると写真代、降りる時は駱駝の座らせ料金。
まるで雲助のようだ。
観光立国としては少し取り締まりをしたほうがよい感じだ。

スフインクスは思ったより小さかった。


夜11時、次の寄港地ギリシャ・ピレウス港に向け出港。
気温が大変高く疲れたがMK御夫妻とご一緒で楽しい一日だった。

(この間から携帯の御機嫌が悪い。
専門店で見て貰っているが原因不明。
次の寄港地のギリシャ・ピレウスならボーダフォーンの大きな店があるので
何とかなりそうだと言ってくれる人もいたので、それに望みをつなぐ。)


Day 029

2005年12月01日 12時47分29秒 | 航海日誌
第28日目(6月18日)
早朝よりポート・スエズ沖で待機、我々の船は第一グループの
総勢10隻のコンボイを組み、午前七時スエズ運河へ進入。
スエズ運河は紅海側ポート・スエズより地中海側ポート・サイードまで
140キロ、12時間の行程だ。

途中湖や運河が二本になっている所でコンボイ船団が上下すれ違う。
砂漠を行く貨物船が奇妙で面白い。

船はシナイ半島とアフリカ大陸の境い目をポートサイード、地中海に向けて進む。
シナイ半島側は砂漠だ。
第三次中東戦争の時の記念碑、また破壊された戦車の残骸などが記念の為か、
それともただ放置されているのか散見される。
シナイ半島側はあまり開発されていない。

それに対しアフリカ大陸側は灌漑も進んでおり緑も多く開発も進んでおり
大変対照的だ。
モスクや建物も結構立派な確りしたものが建っている。
住宅も端整に整っており
子供達が土手で船と併走している光景も微笑ましく平和だなあ!

船内では今日は一切の行事は無く殆どの人が一日中デッキで過ごしている。
お喋りは勿論、食事をしたり、御酒をのんだり、写真を撮ったり、
望遠鏡を覗いたり夫々に愉しい時を過ごしている。

スエズ運河の航行もサダド平和記念大橋をくぐると終わりに近づき
間も無く地中海の入り口、ポートサイードだ。
サダド平和記念大橋はエジプトとの友好の証に日本が架けた橋だ。
鹿島建設が造ったそうだ。

夜ポートサイードの街を散策、土産屋さんが五月蝿いくらいに付き纏う。
どうも「ワン・ダラー、ワン・ダラー」と連呼しているが
「廉いよ、廉いよ」と同意語のようだ。



Day 028

2005年11月29日 09時23分31秒 | 航海日誌
第28日目(6月17日)
船はシナイ半島を巡りスエズ運河の入り口 ポート・スエズに向っている。
例によって船内では明日通過するスエズ運河と
次の寄港地ポート・サイード上陸説明会が開かれた。

明日ポート・スエズでは運河の入り口で何隻かの船がコンボイ船団を組んで
運河を通過しなければならないらしい。
どの船団に組み入れられるかポート・スエズに行かなければ分からないそうだ。
早い時間の船団に組み込んでもらい明るいうちにスエズ運河を通過したいものだ。

ポーート・サイードはエジプトだ。
オプショナル・ツアーではカイロのツタンカーメン、ギザのピラミッド、スフインクス等愉しそうだ。



夕食後 シアターで
NHKの「プロジェクトX 日本企業が完成させたスエズ運河拡幅工事」を観る。
スエス運河通過は今回のクルーズの楽しみの一つであるが
愈々ワクワクして来た。





Day 027

2005年11月28日 09時21分16秒 | 航海日誌
第27日目(6月16日)
今日はヨルダン二日目。
世界遺産である「古代都市遺跡ペトラ」の見学である。
岩山に囲まれたペトラ遺跡。

紀元前4世紀遊牧民のナバタイ人が築いたペトラ。
19世紀にスイス人探検家によって外の世界に紹介されるまでは、
長らく遊牧民だけしかその存在を知られていなかった。
最近はインディ・ジョーンズのロケ地として有名になったのはご存知の通り。
マーブル模様の様な砂岩に刻み込まれた巨大な神殿など 
古代人の物凄いエネルギーを感じる。


灼け付く様な日差しのもと息を飲むばかりの圧倒的な光景、
遺跡を取り巻くように聳える岩石群の色彩の移り変りを確り目の底に刻み込む。
岩盤に挟まれた細い道「シーク」を辿って行くと
岩の裂け目の向こうにエル・ハズネ神殿が
突然現れて来る。
神殿入り口を入ったところのホールでは観光客の団体がホールの奥に向かい
コーラスを唄っている。
声がホールに響き渡り中々感じが良い。
最盛期には人口3~3・5万人の大都市で大型円形劇場も完備しているし
裏山には岩石を刳り貫いて御墓の団地もある。
水も6キロ先から水路を完備してひいてきてライフラインも確保されている。

ただ同じ紀元前4世紀のポンペイの方が一瞬にして火山灰で保存されて
しまった事もあり生々しく生活が残っている。
ペトラ古代人よりポンペイ古代人の方がより近代生活をしていたような気がする。

アラビアのローレンスのワディラムの砂漠を経由アカバ港への帰途につく。
帰船後、トパース・ダイニングで夕食、午後10時スエズ運河経由
エジプト・ポートサイードに向け出帆。





Day 026

2005年11月24日 21時03分22秒 | 航海日誌
第26日目(6月15日)
朝8時ヨルダンのアカバ港に入港。     イスラエル遠望

港にはギネスで世界最大と認定された
馬鹿でかいヨルダン国旗が掲揚されている。
アカバには二日滞在だ。
今夜は我々は船に泊まらずホテルに外泊だ。

今日は第一日目、「死海」見学だ。
車でイスラエルとの国境沿いに砂漠の中の国道を行く。

死海付近は大型リゾートホテルが点在、
我々のホテルは五つ星だ。

死海は琵琶湖の約1倍半の大きさだそうだ。
世界で一番低い所にあると言われている死海。
そのため、流れ込んだ水が蒸発を繰り返し、極限まで塩分濃度が高められている。
生物が全く棲めない為、死海と名付けられた。
温暖化の影響か年々水が干上がり少しづつ小さくなって来ているらしい。

36度の塩分でよく浮く。
足のキックが効かず泳ぎづらい。ママは溺れかけた。
死海で長時間居る訳にもいかずホテルのプールサイドでゆっくりする。
船上と違い足元も揺れず穏やかな良い時間をMK御夫妻と過ごした。




Day 025

2005年11月23日 21時01分39秒 | 航海日誌
第25日目(6月14日)
明日はヨルダンだ。
コロンボを出港してから13日、明日は漸く陸地に降りられる。

日本から持ってきた「ダビンチ・コード」を朝から読んでいる。
上巻を貸してあげた人から下巻の催促が来ない内に読み上げなければならない。

夕方からハーモニカ合奏の練習だ。
小生が主宰しているのだが「ハーモニカの腕」がついて行かず
J子さんが練習の方は取り仕切っており
小生とMKさんは世話役に成り下がっている。

J子さんは3年前に御主人を肺癌で亡くし一人参加である。
関西の高槻でハーモニカを習っており船内でも習おうとこの会に入ったが
組織的なレッスンを受けているのは自分だけだと悟り
トレーナー役を買って出てくれた訳です。

一時間ちょっとの練習だが心地よい疲れを感じる。
練習後デッキに出てホッとする。
遠くに見えるのはシナイ半島だろうか。
夕日が美しい。

ママは船内で開催されている「般若心経の勉強会」に出席、
清々しい気分でキャビン戻って来た。



Day 024

2005年11月22日 20時59分49秒 | 航海日誌
第24日目(6月13日)
船上では次の寄港地での入国手続きの手順をはじめその国の概要説明、
見所、オプショナルツアーの説明会を行う。
今日はアカバ上陸説明会だ。
アカバ港はヨルダン。
ヨルダンはイラクなどへの入国ルートでもあるし
またヨルダンは鉄条網ひとつ隔ててイスラエルに隣接している。
大変政治的にもホットな地域である。
一方観光地としては泳ぐと体が浮いてしまう「死海」
それに映画インディ・ジョーンズのロケ地として有名になった
世界遺産のペトラ遺跡がある。      死海に沈む夕日    ペトラ遺跡の岩を削って作った宮殿

夕方からはハーモニカの練習、夕食後は囲碁教室。
紅海に近づき海は静か、うねりも無く船は安定して航海を続けている。


Day 023

2005年11月19日 20時58分13秒 | 航海日誌
第23日目(6月12日)
時々船長主催のフォーマルディナーが行われる。

フォーマルディナーでは一応紅白ワインは飲み放題。
結構なフレンチでしたがデザートも秀逸。
MK御夫妻とも大いにお話が弾みました。



ディナーの後はコンサート。
船専属のバンドによるジャズからクラシックまで気楽な大変楽しいコンサートでした。
バンドのメンバーは全員ギリシャ人でギリシャ・ピレウスまで乗船し
そこからは別のバンドメンバーが入れ替わって乗船するらしい。
乗船中メンバーはコンサートはもとよりダンスホールの演奏、
夜はヘミングウエイ・バーでのソロ演奏とか結構忙しそうだ。
ディナーでの赤ワインが利いて来たのか
気持ち良いはんなりとした気分の夜が更けてゆく。


Day 022

2005年11月18日 20時56分55秒 | 航海日誌
第22日目(6月11日)

デッキでワカール・アル・クバイシさんと歓談。
女医さんである。
バグダットのアル・ナハライン大学で疫学と地域医療を専門とする医学博士。
戦争における地域医療の専門家として日本訪問後
日本からの車椅子など援助物資を持ってイラクに行くそうである。
次の寄港地ヨルダンで下船される予定。
「戦争終結」後の今も戦火の中で活動する博士に敬意を表したい。



初めて海豚(いるか)を見る。
船と平行して競争するように泳ぐと聞いていたがそんな感じは無く
沖を5~6頭でジャンプしながら泳いでいるのが眺められた。
デッキの我々は海豚の動きにつれて左舷から右舷へとドドドーと移動、
一瞬船が傾くのではないかと思える程でした。
被写体が被写体なので中々シャッターチャンスが難しい。
添付写真は丁度海豚が潜ったところ。


Day 021

2005年11月15日 20時54分58秒 | 航海日誌
第21日目(6月10日)

天気良し。
船はアラビア海の真っ只中。
朝名画座で「無法松の一生」を観賞。
昼食後、サンデッキで水泳、そして日光浴。
ジャグジーにも入りリラックス。
オーシャンライナーでの典型的な楽しみの一つ。

そこへAKチャンが通りかかる。
相変わらず爽やかな笑顔だ。
浅草のマンションに住み横浜のMMにお勤めだったが
繰り上げ定年退職(58歳)。
自分への御褒美に、このクルーズに参加。
我々がこのクルーズで一番最初に知り合った人。
良く気のつく方でとても好感が持っている。
少し気だるそうな感じで50~55歳ぐらいの男性にモテモテ。

最近船内図書館よりカール・セーガンの「コスモス」を借り出し再読している。
それに刺激された訳ではないが今夜は南十字星を見てみよう。
シンガポールからこの海域ぐらいまでが南十字星が見られる限界だろう。