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A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

Day 046(上)

2006年01月11日 15時02分15秒 | 航海日誌
第46日目(7月5日)
朝 ベルゲン湾奥深く 大吊り橋をくぐるとベルゲン港だ。
水際にはメルヘンティックなカラフルな家が並んでいる。
タグボートのお出迎えを受け大桟橋に着岸。
相当入り組んだ入り江の奥の天然の良港だ。

今日のベルゲン観光はMK御夫妻と御一緒だ。
まずケーブルカーでルックアウトへ。街が一望出来て楽しい。
土地の人の言うのに、今日のような天気は一年に一度有るか無しかと。
将にビューティフル・ウエザーだ。

ベンチに腰を掛けようとしたらそこに大型のルイ・ヴィトンの財布が
落ちているのを見つけた。
厚みも5センチぐらいありズッシリ、相当の重さだ。
落とした人は困っているだろう。
すぐ最寄の売店の人に頼んで警察に届けてもらう事にした。
間違いがあってはいけないので店員二人いるところで大声でお願いした。
落とし主に届いてくれると良いのだが。

10年ほど前、姉と家内がヨーロッパ旅行中、家内がウイーンのタクシーの座席に
ハンドバッグを忘れ大騒ぎしたことを思い出した。
真夜中に東京にいた小生のところに電話をしてきて失くしたクレジットカードの
キャンセル命令、キャンセルをした途端に又ウイーンから電話があり
ハンドバッグを親切な正直なタクシードライバーが
届けて暮れた、カードのキャンセルをキャンセルせよとの再度の御命令。
勿論一度キャンセルしたカードの復活は不可能。
家内はカード無しでその後のヨーロッパツアーを続けたほろ苦いエピソードだ。

一騒動後ケーブル下に降り旧港のあるブリッゲン地区散策。
ブリッゲン地区は世界遺産に指定されている。
旧港ではドイツよりスクーナー(2本マストのヨット)で来ている夫妻と談笑。
休暇を取って御夫婦で北海沿岸をのんびり風任せでクルーズしているそうだ。
羨ましいクルーズだが、小生には時間はあっても、
とてもあれだけの体力、気力は無い。

Day 046(下)に続く・・・・


Day 046(下)

2006年01月11日 13時53分11秒 | 航海日誌
Day 046(上)より続く・・・・

第46日目(7月5日)
旧港に面したフィッシュマーケットでスモーク・サーモン、茹でた小海老を買い
それを肴にしてビールの昼食。

午後からはタクシーで30分ぐらいの所にあるグリークの家へ。
以前、天皇陛下妃殿下が訪れたと言う事でガイドが
このピアノで妃殿下が即興でお弾きななられたとか説明に熱がこもる。
こんな場合、ガイドの説明を、いつも適当に聞き流しているのだが
今日はMK御夫妻の通訳を買って出ているので
確り聞き取りなるべく正確にお伝えした。
前回来た時、聞き漏らしていた事も知ることが出来、勉強になった。

ブリッゲン地区に戻り土産物屋、カフェを冷やかし

夕食後 帰船。

22時ダブリンに向けて出航。
出港のドラが船内に響き渡るとこれが船旅だなあと感じる。

幅1500メートルぐらいの狭い水路を船はゆっくり進む。
両岸はシドニー湾のニールセンパークの様な感じだ。
進んで行くと今度は小さな島が沢山あり松島の様だ。
船は島に相当接近して通り抜けて行く。
狭い水路だが水深は深そうだ。

出港後 2時間経っても、まだ明るい。
船は白夜の中 小島の間をぬって進んで行く。

(個人情報保護の為、小生以外はモザイクを掛けさていただきました。)



Day 045

2006年01月09日 00時46分16秒 | 航海日誌
第45日目(7月4日)
名画座でヘンリー・フォンダ、ロバート・ライアンのバジル大作戦を鑑賞。

今日は第一回目の船上学芸会のような物が開催された。
勿論 小生の主宰するハーモニカグループもこれに出演する。
午後から会場でマイク、譜面台の位置などを確認しながらリハーサル。
午後8時30分より本番。
ハーモニカ合奏も良かったが小生の司会も好評。
終演後知らない人からも良かったと声を掛けられる。
満足、満足。



愈々明日の朝はベルゲン港、上陸説明会が行われた。
ベルゲンはオスロにつぐノルウエー第二の都市、また最大の港町でもある。
そしてノルウエーフィヨルド観光の拠点だ。
我々はベルゲンは二度目なのでMK御夫妻を案内しながら
自由行動をすることにした。



Day 44

2006年01月06日 00時26分06秒 | 航海日誌
第44日目(7月3日)
船はフランス・ルアーブルを出港、スカンジナビア・ベルゲンに向けて北上中。
ドーバーの白い崖を見ながらデッキで朝食。
ドーバーとカレーの街が両サイドに遠望できる。
両岸を行き来しているフェリーとすれ違う。

もう今は運行していないと思うが、昔30年も前になるか
フォーバークラフトでイギリスに渡ったことを懐かしく思い起こした。
5年前にはユーロスターでドーバーの海底トンネルを
一気に走り抜けたことを思うと今昔の感がある。

少し風が出てきて寒い。
ドーバーソールなどの漁船もいるのだろうけど、船の往来が多い。

今までのところ、ジブラルタル海峡が一番狭く、次に狭いのがドーバー海峡、
マラッカ海峡は一番広いが船の往来歯一番多い。


Day 043(上)

2006年01月03日 20時19分33秒 | 航海日誌
第43日目(7月2日)
フランス・ルアーブル港停泊二日目。
今日は自由行動とした。
近代的なノルマンディー・ブリッジを渡りドーヴィルの街へ。

マルシェの活気ある賑わいが嬉しい。
早速この地方の名産カマンベールを買う。
明日の船上デッキでワインと共に楽しもう。

家内は土地の御婦人が持っていた買い物用の大型バスケットに魅了され、
大はしゃぎで買う。

ドーヴィルは次男家族と前にも訪れた街なので多少は様子が分っている。
まずノルマンディー・ホテルで暫し休息。
近くのソニア・リキエルのブッティックでブラウスの買い物。
この日の為に家内は全身ソニア・リキエルで身を固めてのいでたち。
以前にも、この店にはソニア・リキエルの洋服で来て、買い物をしたので店員が
家内の事を覚えて居てくれた。

昼食は白ワイン、エスカルゴ、マッセルスのクリーム煮、そしてステーキ・タータン。
全品一皿ずつとり二人でシェアー。
エンジョーイアブルなランチになりました。

Day043(下)に続く・・・



Day 043(下)

2006年01月03日 19時55分13秒 | 航海日誌
Day043(上)より続く

第43日目(7月2日)
昼食後カーンの先30キロのファレーズのサン・ヴィゴール・ド・ミュ教会へ。
メルセデス・ベンツの新車で片道1時間半のドライブ。
日本人画家 田窪恭治さんが荒れ果てた古い教会の壁に林檎の画を描き始めたら
近隣の人達もそれに協力、見事立派な教会を再生させた事で有名。あまり観光客は無い様だが我々が訪ねた時はオランダの新婚さんが来ていた。
よっぽど行く所が無いのか?
しかし南仏ヴァンスにあるマチスのロザリオのチャペルに比べべくもない。

帰途オンフルールに立ち寄り旧港のほとりでディナー。
白ワイン、生牡蠣、ラクレ 少し変な取合せだが軽い夕食で丁度良かった。昔来たときの記憶を頼りに辺りを散策。
土産物屋、画廊を冷やかす。
画廊では島田三郎もどきの60号位のオンフルール旧港の油彩画を発見。
これくらいなら友人のスガさんに頼めば描いて貰えるだろうと
気に入ったアングルの写真を数ショット撮る。


20時ごろ乗合バスでルアーブルへ。
帰船したらパリから丁度帰ってきたMK御夫妻と御互いにフランス観光の報告をする。
MK御夫妻は大変パリがお気に入りの御様子。
特にバトウ・ムッシュー舟遊びが楽しかったそうだ。

MKさんの携帯に日本の長男からメールが入っていた。
日本の方はノー・トラブル、上の孫娘がエレクトーンで県大会へ進出。

ニューヨークのY御夫妻よりゴルフはハワースに決めた。
食事はどのレストランを予約したらよいかといあわせのメールあり。

早速携帯を借りて返信。
ニューヨクではフランスの田舎料理のルネ・プジョウがよい。
寿司は「すしでん」がよい。

22時ベルゲンに向け出港。


Day 042

2005年12月30日 12時34分43秒 | 航海日誌
第41日目(7月1日)
午前9時前フランス・ルアーブル港に入港。
フランス国旗トリコロールを揚げたタグボートの出迎えを受ける。
ルアーブルはノルマンディー地方最大の港。
かってこの地は百年戦争やノルマンディー上陸作戦の舞台でもあった。
また宗教建築、美しい景色、美味しいシーフード、乳製品、林檎 色々有るが
この地は印象派絵画の故郷でもある。
船内でのルアーブル上陸説明会ではパリ、ジヴェルニー、モンサン・ミッシェルなど
色々な観光ツアーが紹介されたが
初日今日はルーアンに行く事にした。

家内は昔ルーアンを訪れているので今日は別行動。
印象派の画家達を魅了した風景で良く知られているエトルタ観光へ行く事にした。

小生にはジャンヌ・ダルクゆかりの地ルーアンは是非訪ねて見たい町であった。
彼女が火刑に処せられたという歴史を持つこの町には
ジャンヌ・ダルク教会が建てられている。
その教会の建物がコンテンポラリーなのは大変意外に感じた。
ステンドグラスが素晴らしい。現代と中世の文化・芸術の融和を、この建物から感じるべきなのか。

印象派モネがその美しさに魅了され30点以上の絵画を描いた
ノートルダム大聖堂カテドラルが凄い。内部のステンドグラスも荘厳である。

繊細な彫刻が施された大時計も重厚感があり歴史を感じられた。

帰途シードル工場に立ち寄りカルバドスを求めた。
友人のスガさんへの土産に丁度ピッタリで良かった。

楽しい一日だった。流石にフランス。食事、ワインが美味しい。



Day 041

2005年12月29日 12時18分05秒 | 航海日誌
第41日目(6月30日)
曇り、うねり高し。
明日はフランス。
フランス上陸説明会も行なわれている。
船内理髪店でサッパリする。。
ロシア人女性が整髪してくれたが、この店はユニセックス。
このロシア人女性はお嬢さんと一緒に乗船しており
お嬢さんはヨットクラブ・レストランのウエイターとして働いている頗るつきの美人である。

愈々ハーモニカ演奏会が7月4日に決まった。
日没遅く夜10時まで明るい。

明日の朝はフランス・ルアーブルだ。


Day 040

2005年12月29日 11時46分09秒 | 航海日誌
第40日目(6月29日)
曇り、うねりも出てきた。
流石 大西洋か。
昨日の名画座「現金に手を出すな」に続いて本日は「地下室のメロディ」を観る。
次の寄港地がフランスなので、それに因みジャン・ギャバン物だ。
明日はノルマンディ上陸作戦の「ザ・ロンゲスト・ディ」の予定。
ママは美容院へ。
ハーモニカ練習中に船内テレビ局の取材を受ける。
皆アガッテしまいトチる。
夜はこのところ 熱心に碁会所通よい。
丁度よい碁敵も出来てきた。


Day 039

2005年12月27日 14時54分12秒 | 航海日誌
第39日目(6月28日)
船は日の出とともにジブラルタル海峡に突入。
2時間半で大西洋に抜ける。
甲板の風、大変冷たい。

フルセールで航行中の3本マストの帆船とすれちがう。
何時の日か帆船での船旅をやって見たい。
小生の憧れであり夢である。

ジブラルタル海峡巾16キロメーターでマラッカ海峡より狭い感じ。
戦争映画でジブラルタル海峡を英軍の攻撃をかわして
Uボートがエンジンを止め海流に乗って通り抜ける場面を思い出した。

デッキは風が強く大変寒いが船内は暖かく心地よい雰囲気、
のんびり碁会所で少し荒れた海を眺めながらヘボ碁。

夕方からはハーモニカの合奏練習。
発表会も近づき練習に熱が入って来た。

もう船は大西洋。
今はリスボン沖か。
風も収まった。

夕食後MK御夫妻と「居酒屋なみ平」で一杯やる。
MKさんの即興のハーモニカ、懐かしのメロディーは夕日に映えて
印象的・感傷的と言うより寧ろ感動的。


Day  038

2005年12月26日 14時52分43秒 | 航海日誌
第38日目(6月27日)
今日は全艦 休息日。朝ママは海豚を見たと言う。
午前中名画座で「カサブランカ」を鑑賞。
船が航行している辺りに関連した映画を見せる様にしているらしい。
いまモロッコ沖あたりを通過か。
大変な寒さだ。
完全防寒対策をしてデッキへ。
夕食後 碁会所へ。



Day 037(上)

2005年12月25日 15時51分28秒 | 航海日誌
第37日目(6月26日)
朝7時バルセロナ港へ入港。
携帯が通信可能になったのでMKさんの携帯を借りて横浜・NYにメール。
また横浜・NYより先般のメールの返信を受け取る。
一応ボーダフォーンのトラブルによる音信普通の件を連絡できたので一安心。

今日はバルセロナ見物。
スペインと言うより「カタルーニャ地方の中心地」と呼んだ方が相応しいバルセロナ。
長くカタルーニャ自治政府が置かれ自分達の文化や伝統を誇りにしているところだ。
この街が生んだ偉大な芸術家アントニオ・ガウディ。
先ずお目当てのガウディの建造物。
今日のハイライトだ。屋根の階段状の家はカダファルが設計したカサ・アマトリエール。
その右隣の家が、カサ・アマトリエールが余りにも素晴らしいので、それに負けじと
新築間もない自宅を取り壊し、超一流の建築家・ガウディに依頼して
建てられたというカサ・バトリヨ。
外壁の竜の模様にちなみ”竜の家”とも言われる。
この辺りはバルセロナの建築家の代表作の展示場のようだ。 
カサ・バトリヨから3ブロックほど先にあるカサ・ミラ 石切り場から切り出した
石そのままのように建てたのでラ・ペドレラ”石切場”とも言われる。
屋上のデザインは秀逸。


グエル公園 20世紀初頭、60戸の集合住宅を建造する目的で計画されたが、
住宅は2戸程しか完成せず、広大な敷地には、グエル公園のメイン・ビルディングの
この建物の他、ギリシャ劇場や曲線の見事な手摺り・柱・壁・道、
またモザイクのベンチや蜥蜴の噴水など遺され、
1922年,市に寄贈され、公園となった。

バルセロナでは何と言ってもサクラダ・ファミリア聖堂(聖家族聖堂)を
見逃す訳にはいかない。
サグラダ・ファミリア聖堂外観
サグラダ・ファミリア内部。
1882年に着工されて以後、未だに建造中。
建築途上の建物が、世界遺産に指定されているのは、ここだけ。
入場料は、全て建築資金に当てられている。

バルセロナ午後の部
Day037に続く・・・




Day 37(下)

2005年12月25日 09時28分03秒 | 航海日誌
Day37(上)より続く

第37日目(6月26日)
昼食はオリンピックのヨットハーバー脇のレストランでスペイン料理。
午後からはゴシック地区の見学だ。
先ずステンドグラスや彫刻も見事なカテドラルの見学。
ビルの外壁に描いたピカソのモノクロ壁画。
夕食は若き日のまだ無名だったピカソがよく通ったと言うレストラン「4CATS」。
ピカソが書いたメニューが今も使われている。サングリアを飲みながら軽い食事。
スペインには3人のパブロが居るが、一人はパブロ・ピカソ、
二人目はパブロ・カザルス、三人目は政治家だったと思うが思い出せない。
船への帰り道、ランブラス通りのフラメンコへ。
エネルギッシュな男性の踊り手が印象的だった。
なお、あれほどフラメンコを観たがっていたMKさんはサングリアで
良い気持ちとなり座席に付くなり居眠りを始め全然フラメンコを見学出来ず。
午後11時フランス・ルアーブルに向け出帆。
これから4日半の船旅。



Day 036

2005年12月21日 14時49分44秒 | 航海日誌
第36日目(6月25日)
明日はスペインのバルセロナなので上陸説明会が行なわれた。
ガウディーの建物をじっくり見てみたい。
たった一日の上陸なので明日は忙しそうだ。

船上碁会所でヘボ碁。
夕食後、ブロードウエィ・ショーラウンジで「マジック&トークショー」。
隣の座席の明日一緒にバルセロナの町を歩こうと約束していたMK御夫妻が
バルセロナでフラメンコを是非観たいと言い出した。

早速、船から電話で予約を試みたがスペイン語で話しが中々通じない。
漸く英語を話せる人が電話口に出て来てくれた。
観光立国としてはどうなっているのだろう。
結局ホテル滞在とか身元がはっきりしていないと予約は受け付けられないとの事。
船からの予約はプカプカ浮いていて身元がはっきりしないらしく予約不可。
バルセロナに着いたら先ず一番にフラメンコのレストランへ予約金を払い込まねば。




Day 035

2005年12月18日 02時47分44秒 | 航海日誌
第35日(6月24日)
朝、右舷に海豚の群れ。

船内の友達に日本でベストセラーになっている小説「ダビンチ・コード」を
貸す約束をし、そろそろ下巻の催促が来そうだと、
この間から気になっている。
エジプト、ギリシャ、イタリアと上陸が続いたと言う事も言い訳にならない。
本日中には読了しよう。

何故ダビンチ・コードが面白いのか判らぬ。
聖杯伝説と大げさな出だしだが、余りにもストーリーが御都合主義。
何か事件解決の伏線かなと思っていたら、そのまま立ち消え。
ストーリーに引き込まれる、ワクワクするような気持ちが起こらないので、
読む速度も上がらない。
フレデリック・フォーサイス並の小説を期待していたが期待外れであった。

読書に疲れプロムナード・デッキを散歩。


船首の方のオープンデッキでは船客の若者がバスケットボールに興じている。乗客は千人ちょっと、その内 30歳前後の若者は300人位だろうか。
おかげで船内は何時も華やいだ雰囲気だ。

夜 図書館でカール・セーガンのコスモス」「上下2冊を借り出す。
海を眺めながら地球の歴史、宇宙の創造を知りたいと思う。