A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

(1)羽田出国

2012年08月12日 09時17分39秒 | パリのアパルトマン
5月24日(木)



暗くなってから羽田空港に向かう。
一ヶ月弱のパリ滞在を計画しての旅立ちである。
羽田では時間があったので
前回見ることが出来なかったプラネタリュウムを見たりして時間をつぶした。







出発は日付けが変わって25日の午前零時40分である。
小腹が空いたのでJALのサクララウンジでワインと
おつまみを頂く事にした。
皆同じ考えなのかラウンジは結構混み合っていた。

愈々出発パリまで11時間の旅である。
この便はJALとAFのコードシェア共同運航便の効果の表れか
満席状態である。
最近i家では11時すぎには寝ているので機内で出された
食事もとらずに眠りこけていた。

明けがた目が覚めたので折角なので映画を一本見た。
「ALWAYS 3丁目の夕焼け」・(3番目?)である。
家のテレビに比べ画面が余りにも小さく疲れてしまった。

パリ到着一時間前の機外風景。

もうすぐパリだ



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(2)パリ到着

2012年08月11日 09時23分48秒 | パリのアパルトマン
5月25日(金)



パリシャルルドゴールに無事到着。
出迎えを受けバスチーユのアパルトマンにセトルダウン。
午前中はアパルトマンの引渡し業務に忙殺される。
これから24日間 ここが我が家となる。

ゆったりとした2ベッドのワンルームマンション。
キッチンは少し小さいがバスルームは余裕がある。

昼食はブラブラ散歩がてら出て来たバスチーユ広場の前のレストランで
キッシュとハムサラダ ウエイトレスのフランス嬢も愛嬌がよく中々の美味。



サラダシノアーズ

キッシュ


バスティーユ広場の中心は「7月革命記念塔」





バスチーユのもう一つの名所は新オペラ座。
今夜のバスチーユ・新オペラ座の出し物は
ロッシーニの「セビリアの理髪師」。
パリ滞在中に見に行かねば。



オペラ座とは対照的な新オペラ座



午後はアパルトマンの生活の立ち上げの為の食料品の買出し。
2軒ほどスーパーをまわったが価格はお安いようだ。
チーズなど日本の三分の一、ためしにミモレットを購。
マチュアードの期間を間違えこれは失敗、安物買いの銭失い。





旅の疲れもあるしテレビはフランス語で判らないし早めに就寝。



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(3)サンマルタン運河

2012年08月10日 17時13分31秒 | パリのアパルトマン
6月26日(土)



朝食の目玉焼きとヨーグルトどちらも大変リッチで
さすがフランスは農業国だと感じた。

今朝もバスチーユの7月革命記念塔の前に出て来た。
雲ひとつ無い青空 塔のてっぺんの金の彫刻が眩しく光っている。



ナポレオンが作ったサンマルタン運河 
巴里に来るといつも気になっていた。
今日は「サンマルタン運河クルーズ」ミスターマスダの長年の夢 
今回こんなに早く実現しようとは思わなかった。
前日下見をしていたので乗船は戸惑わなかった。
バスチーユから「北ホテル」の先まで2時間半かけて
サンマルタン運河を遡上する。

最初はバスチーユの7月革命記念塔の下をくぐる暗渠を行く。






暗渠の上は道路とベルト状の公園になっており
暗渠の所々に明り取りがあるが余り気持ちの良い風景ではない。
パリには下水道見学ツアーがあるそうだが
この暗渠を見てその気が無くなった。





暗渠を出ると「ロック」である。
ロックの堰き止め扉の下部の出水口が開き
物凄い水しぶきと共に大量の水が出てくる。
船頭に座っていたミスターマスダは飛沫を相当かぶってしまった。
コース中このようなロックは10箇所以上あった。






















ロックに入っているとそのすぐ横に「北ホテル」が見える。
往年のフランス映画の傑作「北ホテル」のホテルそのものである。
関係ないが横浜のバンドホテル」を思い出した。





プラタナスやマロニエに囲まれた運河は
パリ郊外の長閑な雰囲気を見せている。 
車が渡るための可変式の橋も有ったが興味を引いたのはアーチ状の橋。
橋の上からの見物人が絶えない。










運河の幅が広くなった。
天気も良いので大勢の人達が川岸で憩っている。







川沿いに我々の船の見物人が大勢いる。
スナップ写真を撮ってみた。










更に運河の幅は広くなりボート遊びをしている人もいる。
円い鏡状の建物が川縁の公園の中に見える。
直径36メートルの巨大な球形映画館。











上流に上り運河の幅が広くなったところが終着点下船波止場である。
距離は短かったがロックに時間が掛かり2時間半となった。








下船後ランチは「北ホテル」で取る事にした。

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(4)北ホテル

2012年08月09日 19時30分09秒 | パリのアパルトマン
5月26日(土)



サンマルタン運河クルーズを楽しんだ後
マップ片手にメトロに乗り先ほどクルーズで通った「北ホテル」に戻ってきた。

北ホテルのある街はサンマルタン運河のロックを中心にした街で
洒落たブティックからジュエリー 骨董屋まで
観光客は少なく地元の人が穏やかに暮らしている。


運河に架かる「太鼓橋」の上に登ってみる。
運河の景色が素晴らしい。









ロックに勢い良く水が入って行く

水位が上流の水位まで上がってくる

船は出て行く




ミスターマスダはフランス映画「北ホテル」を観たことはない。
ここサン・マルタン運河と北ホテルが舞台である映画
「北ホテル」は1938年 ・マルセル・カルネ監督 
ジャン・ピエール・オーモンとアナベラ主演の不朽の名作。

ミスターマスダは運河とかナロー・ボートに異常な興味を持っているので
40年前にサンマルタン運河と北ホテルを写した「観光ポスター」を見てから
気になっていたわけである。

映画の舞台となった北ホテルの3階建ての建物は地味な佇まい
外観とも往時のままだそうだ。




内部は昔を偲ばすディスプレーもあるが奥に行くと
当時をそのままの雰囲気である。





お客は殆んど地元の御馴染さん
静かな時間の流れを楽しんでいるようだ

奥の部屋はダイニングルーム ちゃんとしたテーブルセッティング
をしておりディナータイムはまた違った雰囲気になるだろう




ランチなので簡単に「サラダシノアーズ」「サーディンのハーブ焼き」。
時間があったら又来てみようと言う程度のお味であった。







これからポンピドーセンターに行くつもりだ。





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(5)ポンピドーセンター

2012年08月08日 05時27分48秒 | パリのアパルトマン
5月26日(土)


北ホテルでのランチを終えて
近くのポンピドーセンターへ特別展「マチス展」を見学に。
今日は地下鉄メトロのカルネを10枚買ったので全部地下鉄で移動している。

ポンピドーセンターはパイプ組みの様なユニークな建築物である。





まず常設展を見学。
フラッシュを使わなければ撮影可
気に行った画の前で記念撮影。

レジェ

カンデンスキー

ルオー

シャガール

マチス  ロザリオのチャペルの僧衣

アンディ・ウォーフォル


特別企画展「マチス」は撮影禁止、確り眼に焼き付けておいた。
感動して「図録」を購入。






併設の「モダン・コンテンポラリー展は余りにも難解、ついて行けなかった。



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(6)シャンゼリゼ

2012年08月07日 20時16分50秒 | パリのアパルトマン
5月26日(土)



ポンピドーセンターの絵画を見学した後ま
だ時間があるので散歩しながら帰ることにした。

まずポンピドーセンターの屋上に上がりパリの街を観てみた。
屋上からは大体パリのランドマークは遠望できる眺望がある。

デファンス方面かな?

エッフェル塔だ

モンマルトルのサクレクール寺院

屋上にはコンテンポラリーに相応しいパブリックアート
金の植木鉢?

下を見ると大勢の人が集まっているのが見える。
ブラスバンドの演奏だ


ポンピドーセンターの前で元気の良い演奏がおこなわれている
中学のブラスバンドをやっている孫を思い出した


地下鉄を乗り継ぎ漸くエトワール 凱旋門の前まで出てきた。
パリに来たなあと云う実感が湧いてきた。



シャンゼリゼ通りをコンコルド方面にくだりながら
見覚えのある店々を眺めながら散策。
少しと云うより大変疲れたので「フーケ」で一休み。





店先の席より路行く人たちを飽きずに眺めていた

何年ぶりのパリであろうか道行く人たちを見ていると
昔と大分雰囲気が違う感じを受けた。
土曜日と云う事もあるがブランド品を買う東洋系の買い物客が目立った。
昔の日本人と完全に入れ替わった感じである。

途中スーパーに立ち寄りアパルトマンに帰宅。
良いマッシュルームを入手した。

5月26日(土)はこれで終わり。



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(7)マルシェ

2012年08月06日 20時46分01秒 | パリのアパルトマン
5月27日(日)


アパルトマンの近くバスチーユ・マルシェ 
日頃は衣服・ジュエリーなどのマルシェが開かれているのだが
日曜日と木曜日は拡大マルシェで食料店が50軒ぐらい出店して
大賑わいである。
お客は土地の人たち。
早速出掛けて行き海老とかホワイトアスパラ・トマト・
アーティチョーク・パンなど食材をゲット。
今夜の食卓にのるだろう。











































買出しした食料品を家の冷蔵庫に詰め早々に外出。

今日は日曜日なので有名店は休み
美術館めぐりと決めた。




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(8)ルーヴル美術館

2012年08月05日 21時23分03秒 | パリのアパルトマン
5月27日(日)



先ずルーヴル美術館 25年ぶりの訪問である。
ピラミッドが出来てから大変混み合うようになって敬遠していたが
今回行ってみて入り口が大変モダーンになっているのに驚いた。
昔は入場料も取らず重い木の扉を開けて入場していたが今昔の感である。

中々見事なパノラマである










本当に久しぶりであったが館内のレイアウト・雰囲気は昔のままだった。

まず最初にヴィーナスを見に行った



天井画に見とれてしまった

昔と同じくニケは階段の上にあった

モナリザだけは混んでいた

セキュリティーが厳しくガラスの箱に入っている

ドラクロワの中では一番好きな絵だ

ナポレオンの戴冠式はいつ見ても大きい

ラ・トゥール 4点も揃っているのは珍しい


びっくり仰天が一つ。
一昨日、ドゴール空港で知り合った日本人家族にバッタリ遭遇。
あれからの行動をお互いに報告しあう。




ルーヴルのミュージアムショップでは孫達への土産を探すのに
ミセスマスダは大忙し。

続いてオルセー美術館に向かう。



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{9)オルセー美術館

2012年08月03日 08時46分31秒 | パリのアパルトマン
5月27日(日)

今日は朝マルシェに行って食材を買い込み
それからルーブル美術館を見学
今日の最後はオルセー美術館である。

ルーブル美術館の目と鼻の先にセーヌ川を挟んでオルセー美術館
あるが地下鉄二本も乗り継いで行かねばならぬ。
先ず時間も大分過ぎていたのでランチ。

パリ万博の時 鉄道の駅であったオルセーの豪華な待合室を
今はレストランとして使用している。
宮殿の大広間を思わせる豪華なシャンデリア、
天井には絢爛たる絵画が描かれており
パリ滞在中に一度は訪れる事をお薦めしたい。
レストランの名前は「レストラン・ミュゼ・ドルセー」

ヴィシソワースとステーキそれにボルドーの赤ワイン。
ステーキのソースも良かったが肉そのものがテンダーで大変良かった。
充実したランチであった。








オルセーは駅舎だったので美術館の建物としてはユニーク 
建物そのものが美術品のような物であろう。






オルセーには4階の大時計の裏にユニークなコーヒーショップがあるが
後でお茶でも飲みたいが大変混雑しているのでどうなる事やら



最初に4階の印象派の部屋に直行。
最近壁の色を暗くして評判になっている展示室の絵の
展示効果を見ておきたかった。
何度来てもオルセーはいい。



オルセーの屋上 美術鑑賞の後なのでホッとする ルーブルが見える

屋上よりモンマルトルが良く見える

パリの地下鉄は便利だが乗り換えの時 物凄く歩くし
エスカレーターも殆どない。
今日も疲れた。



帰りにスーパーに立ち寄ったが日曜日でお休みだった。




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(10)シャガールの大聖堂

2012年08月02日 13時27分46秒 | パリのアパルトマン
5月28日〈月〉


ミニ・バスツアーである。
7時半アパルトマンまで迎えに来てくれる。出発。 
1時間半のドライブでシャンパーニュ地方の中心都市ランスに到着。

オーストラリアのブリスベーンよりの姉妹、
同じくオーストラリアのパースよりの若い二組の夫婦の8人の
英語によるバスツアーである。
ミニバスの運転とガイド・説明はお洒落なパリのマドモワゼル。





本日第一の目的はランスのノートルダム寺院 
ここで戴冠式を行わなければフランス王と見なされない
というほど権威のあるゴシック大聖堂。







この大聖堂の見ものは大きなステンドグラスと云われている。





その大聖堂の中央正面にシャガールの3枚のステンドグラス画がある。
大聖堂の正面の建物の全体像は逆光で写真に撮りにくかったが
その分ステンドグラスには裏から充分の光が当たり
それはそれは美しく荘厳であった。







シャガールのステンドグラスの拡大







フランスではこれからもシャガールの作品を観る機会があると思う。
今回は行けないと思うが
ニースのシャガール美術館の印象は忘れられない。
聖書から着想を得た17枚の大作やチェンバロの蓋に描かれて
いた絵の素晴らしかった事!!
16,7年も前の事である。



ジャンヌ・ダルクの騎馬像が大聖堂の正面の片隅にある。
彼女立会いの下シャルル7世に戴冠式を行わせたという事である。





ランスでのミセスマスダの最大の関心事は
藤田嗣治のフレスコ画の礼拝堂へ行く事であった。
ガイドさんの好意で立ち寄ってもらったが開館は午後からで
門前での見学となったがそれでもミセスマスダは大喜びであった。
先年東京で開催された藤田嗣治展で実物大の物を観て
いるので、それと重ね合わせているようだ。
まだ、パリ滞在は始まったばかり、再訪する時間を作ろう。










次の訪問地はシャンペン工場の見学。








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(11)シャンペン

2012年08月02日 05時33分04秒 | パリのアパルトマン
5月28日(月)


朝一番でランスを訪問 シャガールのステンドグラスで
有名なノートルダム寺院を見学した。
今日第二の目的はシャンペン工場の見学と試飲。


まずモエ・シャンドンの畑の見学。
シャルドネ種とピノノワール種の葡萄だがワインの葡萄に比べ
葡萄の木が極端に小さいのにびっくり。







ブドウを搾る小屋



続いてPMロジャーと言うシャンペン醸造所で葡萄を搾り
ジュースにする工程から出来上がるまでを
そこの副社長さんが手振り身振りよろしく説明してくれた。





今でも使っている葡萄をジュースに搾る設備

現代的な?葡萄をジュースに搾る機械





シャンペンの中の澱を採るため口を下にしてカーブで熟成させている

澱を採ったあとの最後のコルク詰めの機械。


最後はお待ちかねの試飲 予算の関係で飲み放題と言う訳には行かない。
名物菓子ビスキュイ・ローズはシャンペンの極上のおつまみである。




昼食はコックオーバーン、ワインはシャルドネの白と何故かボルドーの赤 
同じテーブルになったブリスベーンの姉妹と話が弾む。
ロンドン・パリ・ローマと10日ずつ回るのだそうだ。
少し飲みすぎたようだ。



これから「ドンペリ」の工場へ向かう事になっている。



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(12)ドン・ペリニオン

2012年08月01日 14時35分34秒 | パリのアパルトマン
5月28日(月)  



午前中はランスの大聖堂、藤田嗣治のフレスコ画のある礼拝堂、
シャンペン用の葡萄畑を見学。
昼食はブリスベンからの姉妹とオーストラリアの話で大いに盛り上がった。
昼食後は葡萄畑の続く美しい丘陵地帯を一時間ほど走り
ドン・ペリニオン村に入る。教会の尖塔が見事である。
この教会の裏手の畑でドンペリ用の葡萄を採っている。
さあ愈々あのドンペリのモエ・シャンドンの本社シャトーの見学だ。



モエ・シャンドン本社の正門前

ドン・ペリニオンの銅像の前でパチリ




地下の工場で係りのマドモアゼルが説明をしてくれる。
といってもひんやりとした地下貯蔵庫を歩くだけ。
このカーブだけで百万本のシャンペンを寝かしてあるそうだ。
体が相当冷えてしまった。









そろそろシャンパンの試飲の時間だ



見学ツアーの値段によってシャンペンの質と量が決められる



シャトーに付属するショップでミセスマスダは御買物 。
ここで買うことが出来るドンペリで最も高価なものは400ユーロ。
それ以上の物は,特別な部屋で個々に買い付けするそうだ。
ミスターマスダはシャンペン・タワーの前で一休み 

もう一度、ドンペリニオンさんの銅像と一緒に記念撮影 酔い心地良く帰路につく






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(13)フォア・グラ

2012年07月31日 14時44分11秒 | パリのアパルトマン
5月29日(火)



午前中モンパルナスの駅に行って
来週の国内小旅行の為のチケットの手配。

ランチは東広島の友人モモコサンが是非にと推奨してくれた
「鴨・フォワグラ専門レストラン」で。





生フォアグラ,荒塩を少し載せて、トーストしたパンと共に食べる 
この様なフォアグラの食べ方は知らなかったが絶品である

フォアグラのサラダ

フォアグラのステーキ、トリュフ・ソース添え 口の中でとろける様である





フォワグラのソテーにトリフのソースは抜群。
リッチな食事の後はクリームブリュレとエスプレッソが良い。

店の写真を撮らせてもらおうとお願いすると
マスターとギャルソンが是非一緒にとカメラの前に。


何故か店の前をデモの一隊が通りかかる。
選挙は済んだとは言うものの、まだ納得のいかない面々、
サルコジ支持派のデモであろうか。









レストランを出ると目の前にエッフェル塔が聳えている。




ここからセーヌ川を渡りながら散歩  モンテーニュ道りまで。







昔モンテーニュ道りは地元パリジャン相手の優雅なブティック街だったが
すっかり観光客相手の街に変身している。

ミセスマスダは高級ブランド店のすべてを覗いていた。
だが前々から決めていたようで迷うことなくシャネルでバッグをゲット。
ホテル・プラザアテネの中のレストラン「アラン・デュカス」の
レザベーションを取った。


今日もスーパーに寄って帰宅。
帰宅後昼食のフォアグラが効いてきた。
夕食を抜いたが夜中の3時まで胃がもたれた。
食事ではあまり無理を出来ない感じである。




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(14)オペラ座界隈

2012年07月30日 06時35分31秒 | パリのアパルトマン
5月30日(水)


オペラ座界隈からバンドーム広場 
40年前に泊まったリッツの前は高級車が停まっていた。

オペラ座前

カルチエ本店

バンドーム広場

ホテル・リッツ




そこからピラミッドに戻りカフェでランチ 
午後の予定が詰まっているので、クイック・ランチということで、
行きあたりばったりの店で
クロックムッシュウとオムレツをミセスマスダとシェア。
サービスに出されたパンが日本と同じ品質 
フランスではポンパドールのようなパンを諦めていたので驚きと感激。
どこで手に入れられるのだろう。
5片程失敬してきた。夕食の楽しみが増えた。


ジャンヌ・ダルクの金色の騎馬像とミスターマスダ

パリのクロックムッシュは粗野で上品さに欠ける

オムレツ、見たとこは美しさに欠けるが、味はまァまァ
素材の卵にこくがありリッチなためだろう




午後からは日本の観光バス会社の
ゴッホ終焉の地を訪ねるバスツアーに参加予定。




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(15)ゴッホ

2012年07月29日 07時01分58秒 | パリのアパルトマン
5月30日(水)



午後からはゴッホの終焉の地として知られる
オヴェール・シュル・オワーズ」へ。
日本人ガイドよるバスツアーに参加、話が良く判って嬉しい。
約一時間のドライブで目的地オヴェール・シュル・オワーズに到着。

街に着いてまず案内されたのがこの街の「ノートルダム寺院」
ノートル は”私達の”、ダムとは"のマダム"の意で
聖母マリアのことを言うとの説明。

日本人ガイドに連れられて街の「見どころ」を見て回わる。
ゴッホが画を描いた場所にその画の写真が展示されている。
それと対比して見せてくれるので興味が高まる。



教会前に展示されているゴッホの画の写真

石造りの教会は中々立派である。






近くの垣根は薔薇の花盛り










麦畑・丘陵などゴッホの描いた風景は尽きない。






ゴッホの墓地には弟のテオも並んで埋葬されている。
この弟の援助で制作活動をし、
ゴッホの死後義妹の尽力でゴッホの画は世の中に出された。






ゴッホはこの町に70日間滞在しその間70枚の画を描き
そして自殺したと言われている。
泊まっていたオーベルジュ・ラヴー(木賃宿)は「ラヴー亭」
その部屋と当時を復元した部屋が公開されている。



ゴッホが泊まっていた部屋 寂しさ、哀れを感じる

当時を復元した部屋


70枚のうちの一枚 ゴッホの良き理解者であったドービニーの屋敷である。






これもゴッホの良き理解者であり、その肖像画も幾つか残る
”医師ガッシェ”の家もここから少し離れた所に残されているそうだ。
ガッシェが持っていたゴッホの画は、後に全て寄付されて、今は
オルセー美術館に展示されている。
これはなかなかのコレクションである。


ザッキンの「ゴッホの銅像」が街中の公園にあった。




これは街の中心 市役所







この町はゴッホの町と言うより無人駅しかない閑静なリゾート地 
パリに通勤している人も多いそうだ。


ツアーバスは通勤ラッシュのパリに帰って行った。
今日もスーパーに立ち寄り帰宅。





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