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A Slow Life of Mister Masuda

定年退職後のスローライフを公開!

Day 020

2005年11月12日 20時52分57秒 | 航海日誌
第20日目(6月9日)
食事をする場所はトパーズダイニングとヨットクラブと二箇所ある。
夕食後は有料で「波平」が開店。「お酒とおつまみ」
「寿司うなぎからラーメン」まで何でもある。

トパーズダイニングでは朝は和洋バイキング。
昼食、夕食は毎回フルコース。
洋食なら前菜、スープ、メインディッシュ、デザートそれにコーヒーか紅茶。
和食は勿論 中華、インディアン、エスニックもでる。


トパーズダイニングの給仕長は美人のカルメンシータ。
好意的なシーティングで優遇してくれる。
2人の時は2人席、MK御夫妻と一緒の時は4人席を
可能な限り用意してくれる。
親しくない人達との相席はお話も弾まないし窮屈だ。
気に入った料理、デザートなどお代わりにも応じて呉れる。



Day 019

2005年11月10日 20時48分23秒 | 航海日誌
第19日目(6月8日)
今日は小生が主宰している「ハーモニカ持っている人 集まれ」 の
練習場の部屋の割り当て会議でMK氏を伴って出席。
10日ぐらいに一度の割で部屋割りをやり直すのだが
決まった時間、決まった部屋を確保するのに政治力を要する。
MK氏が強く主張し小生がまあまあとなだめ、決まるところに決まると言う
小生にとっては得な役柄だ。

MK御夫妻はご主人は地方都市の水道局を繰り上げ停年退社、
専従ではなかったが様だが組合活動に熱心だったそうだ。
小生の名前でハーモニカグループを立ち上げたが
事実上彼との共同立ち上げ。
ハーモニカの名手でメロディーが分かれば楽譜なしで何でも吹ける。
また大変な世話好き、親切が相手に通じないと怒る。
人の好き嫌いが激しい。
思想的に少しラディカル。

奥さんは社保庁をやはり繰り上げ停年で退職。
何故あんな良い役所を辞めたのか聞きそびれた。
船内のアクティビティーには積極的に参加、
ダンスレッスンは一生懸命、
船内学芸会(?)のスター。
社会派で自己主張がハッキリしている。
MK家は夫唱婦随ではなく婦唱夫随のようだ。


Day 018

2005年11月09日 19時28分28秒 | 航海日誌
第18日目(6月7日)
船は昨夜遅くコロンボ港を出港ヨルダンのアカバ港に向け
8日間の航海となる。

朝 早起きをして御来光を拝みに上部デッキへ。
モーニングコーヒーを飲みながらオーバーランドツアーから帰って来た
MK氏に久しぶりにお会いし話が弾む。
御来光も見事だ。

MK夫人は朝は弱い。まだベッドの中だ。
朝食はママと2人かNさんかYさんだが今朝はママと2人。
MK氏は奥さんの起床を待っての朝食となる。

朝食後 名画座で黒澤映画の「7人の侍」を観賞。
ママは無料英会話教室へ。
ネイティブスピーカーの講師が20数名乗船しており
有料(12万円 受講生は170名もいるとの事)と、中級・上級者向けの無料の英会話講座を行っている。

MK氏は朝9時から混声コーラスの練習。
MK夫人は社交ダンスのレッスン。
みんな朝から忙しい。

午後からヘミングウエイバーで航海日誌を携帯に書く。
横浜出港以来航海日誌を携帯に書き溜め電波状態の良い港で
自宅宛Eメールしている。
コロンボでは電波状態悪く発信出来なかったので
大分日誌の原稿が溜まってしまった。

ママは講演会を聞きに行った。
MK氏は埼玉出身者の集まりへ。
MK夫人はまたダンスレッスンへ。
上手になったら踊りましょうと言ってあるので一生懸命励んでいる様だ。

夕方はMK氏と打ち揃ってハーモニカ練習へ。
夕食はMK御夫妻と御一緒。
アルコール類は有料なので小生とMK氏が変わり番こに支払う。
今日は小生の番。

夕食後囲碁教室。
ママはセミナーへ。

こんなところが大体船の中の生活だ。



Day 017

2005年11月08日 18時13分28秒 | 航海日誌
第17日目(6月6日)
午前7時スリランカのコロンボに入港。
先ずは「釈迦が訪れた」との伝説を持つキャラニア寺院に参拝。
折悪しくスコールが。
スリランカの習慣に従い裸足で参拝となり、どうにも足の裏が気持ち悪い。
鮮やかなフレスコ画が描かれた本堂では人々が仏像に花を捧げ、
一心に祈っている姿に出会うことが出来た。

そしてスリランカの歴史や文化に関する展示がされている国立博物館。
首都スリー・ジャヤワルダナプラの湖に浮かぶ国会議事堂は
日本の援助で建てられたそうだ。

昼食は御当地超一流のガラパリホテルで民俗音楽付きの
スリランカ料理のバイキング。
勿論本格的なインドカレーも賞味出来大満足。
土産にはセイロン紅茶を数箱購入した。

夜は船に帰りスリランカの民族舞踊を観賞しながらのディナー。
インド洋に浮ぶ島国の夜は静かに更けてゆく。

午後11時頃次の寄港地ヨルダンのアカバに向け出港。
出港の「銅鑼」がデッキに鳴り響き、紙テープが飛び交い、
「別れの曲」ではなく「クリアー・ホライゾン」が流れる。
遠うざかる港の灯を眺めながらのビールは一味違う。



Day016

2005年11月07日 18時11分31秒 | 航海日誌
第16日目(6月5日)
インド洋に入り大きなうねりが出てきた。
船は大きくゆっくり左右ローリング前後ピッチングする。
横浜出港以来の揺れだ。
船酔い止めタブレットが配ばられる。
エレベーターは止まる。
歩行は階段、廊下と安全の為、手摺り伝いに歩く。
船酔いの為 船室に篭りっきりの人もいる。

我々素人のヨットでは荒海に出て荒れ狂う海を眺める事は出来ないので
この様な大きな安全な船から「荒れた海」を見てみようと言うのも
この船旅の一つの目的だつた。

早速眺望の利くヘミングウエイ・バーに陣取り飽きずに海を眺める。
曇天で波頭が砕け風速は10メートル以上だと思う。
船員に聞くと前回の航海ではテーブルの上の物が船の揺れに合わせて
滑り落ちたそうで今日の揺れは揺れに入らないそうだ。

ヘミングウエイ・バーはボトルキープをやっているが
昼間明るい時はビールを飲むことにしている。
おつまみはホットサンドとかチーズもあるが
サービスのピーナッツ、チップスが気に入っている。
ウエイターのSさんウエイトレスのUさんは何時も親切だ。


ハーモニカの合奏練習や囲碁教室の出席者が船酔いの為か少ない。
船は依然として揺れている。
明日の朝はスリランカのコロンボだ。


Day015

2005年11月06日 18時09分33秒 | 航海日誌
第15日目(6月4日)
船の朝は早い。
日の出を拝みたい人が大勢いる。
それからラジオ体操、太極拳他体に良いことなら何でも。
朝食は6時45分からだがモーニングティは早朝からOK。

船の運航に興味のある人はレセプションに張り出してある
チャート海図のチェック。
航路と予定通過時間が書き込まれているものだ。
チャートよれば我船はインド洋に本日午後に入るらしい。

船長招待のブリッジ操舵室の見学会に参加した。
船齢50年の古い船なのでブリッジもアンテークだが
手入れは行き届いている。
ニスを塗る所はチャンと塗ってあるし真鍮など金具類もピカピカだ。
設備もコンピュータ制御で見学時はオートパイロットだった。


Day014

2005年11月05日 18時04分35秒 | 航海日誌
第14日目(6月3日)
海は穏やか。
今朝の朝食は「ヨットクラブ」にした。
船尾の8階で半分は室内で半分はオープンデッキに椅子テーブルである。
天気が良ければオープンデッキの食事は人気がある。
朝食を摂っている間にキャビンの掃除をしてくれる。

我々のキャビンの担当はサンさんと言う21歳ぐらいの
大連生まれの中国人だ。
働き者で感じの良い娘さんだ。
次の航海で船を下り、インドネシアのジョクジャカルタに住んでいる
フィアンセに会いに行く。
フィアンセも昔この船で働いておりその時知り合ったのだそうだ。
一ヶ月ジョクジャカルタでフィアンセの両親とも一緒に暮らす。
2人の為に家財道具一式、テレビ、ステレオなど購入して
待っていて呉れるそうだ。
その後 大連にフィアンセを連れて行く。
サンさんの両親は、まだこの結婚を許していない。
どう説得するか少し悩んでいる。


Day 013

2005年11月03日 21時29分23秒 | 航海日誌
第13日目(6月2日)

昨夜シンガポールを出港。
目下 船はマラッカ海峡を北上中。

マラッカ海峡は船の往来が激しい、海賊も出るとの話も有ったが
大変穏やかな海だ。
東京湾の浦賀水道の混雑に較べれば遥か前方、後方に
霞んで船影が見られるぐらいで、のんびりしたものだ。
しかしこれでも過密と言われているのだから
浦賀水道は殺人的な混雑と言う事だろう。

今日は避難訓練があった。
非常ベルが鳴るとキャビンのロッカーの救命胴衣を身に付け
グループごとに所定のデッキに集まり救命ボートの所まで
移動するのが訓練の内容だ。
この訓練が無駄になることを祈りながら
係りの船員の緊急時の注意事項を聞いていた。


夕方からはハーモニカ合奏の練習だ。
小生が世話役をやっているが何時も小生をサポートして呉れている
MK氏が御夫妻でオーバーランドツアーのため一時下船、
少し寂しくなった。
スリランカで再会・合流と言うことになる。
ハーモニカ練習も一人で取り仕切きらねばならないし
夕食は何時もMK御夫妻と同席だったが、2人席はあまり無いので
これから当分は知らない人と同席になるだろう。

夕食後最近囲碁教室に通うようになった。
筋が良いと褒められているのでその気になって皆勤している。



Day 012

2005年11月01日 20時54分53秒 | 航海日誌
第12日目(6月1日)
カンボジャ観光を終え一路シンガポールへ。

既にベトナム・ダナンより先回りしてシンガポール港に入港している我船に
一旦帰りカンボジア土産を船室に置いてからシンガポールの街の探索へ。



先ずは腹ごしらえ、ラッフルズホテルで昼食。
勝手知つたるシンガポール、自由に動けるので楽しい。

マーライオンに御挨拶した後 酔い覚ましを兼ねてリバークルーズ。
シンガポールは綺麗な街だが水上からの眺めは格別だ。




オーチャッドロードを散策後ラッフルズホテルに戻る。
何点かホテルグッズを土産として購入。
ロング・バーでサテーなど食べながら軽い夕食。
このバーでは殻付き落花生の殻を床に捨てていて
床じゅう殻だらけなのが有名だが、ママはいたく気に入った様だ。
午後10時ごろ4日振りに帰船。
11時半スリランカ・コロンボに向け出港。

ボーダフォーンの感度も良好。
息子達友人達より楽しいメールを受信。
家のほうは特に問題なし。
船中の生活はどうだ、知り合った女友達を写メールしろとか
色々言って来ている。

今回の旅行では訪問地から日本へ色々なメールを送る積もりで
携帯電話も最新鋭の3Gとした。
またデジカメのバックアップとして携帯電話を使うべくSDメモリー・カードも
大枚を叩いて1ギガを奮発した。
ボーダフォーンの使い方にも大分慣れてきた。


Day 011

2005年10月31日 20時27分29秒 | 航海日誌
第11日目(5月31日)

ツアーの予定ではバンテアスレイ遺跡、タプローム遺跡の見学だが

それを取り止め自由行動とする。
朝食をゆっくりとりプールサイドでリラックス。
退屈したところでお散歩。


気球に乗って上空よりアンコールワット見物。
これはこれで素晴らしい展望だ。

気球は空中180メートルまで上昇するがワイヤーに繋がれているので

安全で安心だ。
これなら高所恐怖症も関係ない。


それからローカル・マーッケトへ。

豚の頭とかドリアンとか魚・肉・野菜・果物のマーケットも楽しかったが

雑貨マーケットも楽しかった。
ママは竹で編んだカンボジアの民族性溢れる籠にご注目、

それはそれは沢山購入しました。
気に入った友達の土産になるそうです。



夕食はツアーに合流、オープン・エアのレストラン・シアターで。
食事中スコールになり踊りもディナーは台無し。


電波状態が悪くボーダフォンのEメールは通信不可、
明日シンガポールではアンテナが完備していると思うので
交信が出来るだろう。
期待しよう。


Day 010

2005年10月30日 22時20分16秒 | 航海日誌
早朝 日の出のアンコールワット見物に出かける。
引き続き内部を見学。 



見所は第三回廊、アンコールワットの最上階。
問題はそこに登る階段・恐怖の斜度65度の急階段。
登るには登ったが
第三回廊からの素晴らしい眺めも気もそぞろ
果たしてどうやって降りるか
心配で心配で・・・・。
将に高所恐怖症、緊張しまくり恐る恐る生きた心地も無く
階段にへばり付いて降り始める。
最後の階段を降り終わった時は腰が抜け足の神経もズタズタになった感じ。
帰船後 船内クリニックで数回鍼,灸、マッサージの治療を受けた程だ。



ホテルに一旦帰り休息後 カンボジア観光のもう一つのハイライト
 
アンコールトムへ。
巨大な石像は見る人を圧倒する。
遺跡の保存状態も良好。
大満足。


夕方はプノンバケンへ夕日の見物へ。
山上に展望台がある為うえ、暑さの為の疲れもあり話の種に象に乗ってみる。
象に乗っての山頂への昇り降りは楽チンだったが
その沿道で5~6歳の少女達の乞食にお金をせびらるのには往生した。
あげないように言われているが孫と同じぐらいの歳で、つい哀れを
もよおしてしまい何人かに1ドル紙幣をあげてしまう。
カンボジアの平均年収は300ドルだそうですが、これで今日の稼ぎは
何とかOK,両親にも乞食を強要されなくてすむのではないかと
あまり理論的でない自己満足。
暫くの間、気の重い気分だった。
処で肝心の夕日・夕焼けは雲が出て来て不調に終わる。




Day 009

2005年10月29日 21時23分14秒 | 航海日誌
第9日目(5月29日)
本日から船を離れアンコールワットへオーバーランド・ツアー。
我々はベトナムのダナンで船を離れカンボジア観光し三日後
シンガポールで再乗船の予定。
空路カンボジアはアンコールワットのあるシェムリアップ市へ。
先ずはホテルにチェックイン後夕方まで休息。
プールサイドでのんびり夏日を楽しむ。
ホテルの外の街からは想像の出来ない清潔さ、豊かさで
一般住民の生活レベルを考えると心が痛む。
夕方涼しくなってから夕日のアンコーールワット見物に出かける。
幻想的な息を呑む美しさだ。
今日は夕日に暮れて行くアンコールワットの遠望だけだが
あの景色を見ただけでも遥々船を離れて来た甲斐があったと言うものだ。
明日の寺の内部の見学が楽しみだ。
夕食はホテル内でウエルカム・ディナー。
民族舞踊を観ながらカンボジア料理を頂く。






Day 008(上)

2005年10月06日 17時56分37秒 | 航海日誌
第8日目(5月28日)

朝一番、トンキン湾(写真)べトナム戦争始まりの場所、ダナン上陸。本日は自由行動。
船内で知り会ったハ-モニカ仲間の村御夫妻と古都ホイアンへ。
まずタクシーに乗るのに一苦労。
四人乗りタクシーに乗ろうとすると多数のバイクタクシー(客一人用)が進路を妨害し、
なにがしかの落とし前を払わないと客を乗せさせない。
まるで雲助タクシー。料金も交渉しだいだ。
我々は往路25ドル復路10ドル。40ドル払らった人もいた。
ホイアンは楽しかった。
ガイドのベトナム少女は源氏物語を日本語で読む勉強家だ。


ベトナム式人力車に揺られながらガイド付き観光はママの短歌の材料にも
なったようだ。

Day 008(下)に続く・・・



Day 007

2005年10月03日 17時49分11秒 | 航海日誌
第7日目(5月27日)
昨夜香港の百万ドルの夜景を眺めながらゴージュスな気分で出航。
本日は晴れ、海は穏やか。
ママは昨日の自由主義消費モ-ドから船上に戻ると一転ベトナム、
イラク、サハリンと色々船上講演会を聴きに行き反戦、社会派モ-ド。
ノンポリの小生は海を飽きず眺めている。
午後からはハ-モニカの集まりだ。
皆で演奏会が出来るようになるのだろうか。



Day 006(下)

2005年10月03日 15時27分20秒 | 航海日誌
Day 006(上)より・・・

夕飯はインタ-コンチで百万$の夜景を愛でながら。
窓の外のホンコン湾にはジャンクも見られる。
日が落ちたのでダイニングルームに移動
ボストンロブスタ-などシ-フ-ド。
締めはマルガリ-タ。
22時ダナンに向け出港。
前回のホンコン訪問は中国への返還一年前だったので大変寂れた印象を受けたが、
今回の活況を見て共産主義になっても香港は健在なりと実感した。