グアテマラは治安がよくない国だと言われている。
グアテマラ周辺国に勤務している日本人政府関係者は、業務目的でのみグアテマラを訪問できる。逆に言うと、治安レベルがよくないので、観光目的では入国できない。
確かに、バスターミナルで胸に刃物を数センチ刺された日本人女性がいた。
無期懲役レベルの多数の囚人が集団脱獄したニュースも聞いた。そのときは日本人だけでなく、グアテマラの全市民がふるえあがった。
道を歩いていても、
「どこかで脱獄囚とばったりと鉢合わせするのではないか」
とヒヤヒヤしていた。
それでも、
「危険な地域に危険な時間帯に近づかなければ日常生活で危険な目にあうことはない」
と思っていた。
「いわゆる危険と言われる地域でも、グアマテラ人は日常生活を営んでいる。要は意識の問題である」
そう思い、平穏無事な生活を日々送っていた。
そんなある日のバスでの出来事である。
スペイン語の家庭教師の先生はぼくの住む家から約30分のところに住んでいた。そのためも、毎回バスで移動していた。
家庭教師という言葉は自宅へ来てもらう場合に使用する言葉かもしれない…。
とりあえず、言葉の定義の問題はさておき、その日も国会議事堂前の中央公園の隅にあるバス停から「Periferico」と行き先の書いてあるバスに乗った。
中に入ると結構込んでいる。
旧式のバスで、トランスミッションのためのギアの機械部分が異常に大きい。そこには人が座れるようになっている。
通常座席は空いていない。そこで、ぼくはそのギア横のスペースに腰を下ろした。
綿入りの薄い赤色のゴムシートが敷いてあり、クッションがわりになっている。なかなか座り心地がよい。前方にはバスのシフトチェンジのためのギアがあるの。前に足を伸ばすことはできない。そのため、他の乗客を見るように後ろを向いて座る。
バス内部の熱が少しおしりに伝わり何となく快感だ。
することがないので、前回スペイン語の授業の復習をすべくかばんから教科書を取り出し読み始めた。時おり加速のための爆音が響く。後方の窓ガラスにはバスの排気ガスである黒煙がよく見える。
この国のバスには、ホンジュラスのような料金徴収係りはいない。ワンマンである。
バスに搭乗するときに運転手にバス料金を手渡す。すると領収書のような小さな紙を受け取る。これは客のためではなく、バスのオーナーがきちんとバス代を運転手から回収するために配られている。
目的地の停留所への道半ば、ある交差点に差し掛かかる。カーブのためバスがややゆっくり運転になった後、車内の雰囲気が何となくおかしくなったことに気がついた。
子どもが何やら騒ぎ出す。
泣き始める幼い子までいた。
「何か妙な雰囲気だな」
と思いつつも本の続きを読み始めた。
すると、肩越しに何か触ったような気がした。
振り返り、前方の運転手の方を見る。
すると、な、な、何とバス強盗が運転手に向かってマチェタと呼ばれる長剣を突き付けている。
「か、か、金を出せ」
「子どもが泣いていたのはこれだったのか」
感心する間もなく、ぼくにも恐怖の感情が芽生えてきた。
バス運転手はバス乗車賃をこの強盗に差し出す。
「そら持っていけ」
強盗がバスの中に移動し、乗客を襲うように思われた。
お金を持っていそうな外国人のぼくが真っ先に狙われるのではと焦った。
かばんの中の財布には数百ケツァル約100ドル相当のお金が入っていた。
しかし、恐れていたのは、かばんごと持っていかれることだ。関係者の連絡先が書いてある大切な手帳、ノート、仕事の書類等が入っている。控えのコピーはない。だから、このかばんを強盗に渡すわけにはいかなかった。
コスタリカに勤務していたとき、スペイン協力局のプロジェクトリーダーが新車強盗に狙われた。
ホールドアップをしているとき、スペイン人の彼は言った。
「どうかこのノートパソコンだけは置いていってくれ」
新車強盗は当然のごとくこの要求を無視して走り去った。
やはり現代人は情報を大切にしている。
強盗はバス運転手から小銭をつかみ取る。
そして、
「いよいよぼくの番だ」
と覚悟を決めたとき、何とその30代に見える着やせした強盗は、カーブで再びスピードを緩めたバスから飛び降りた。
「た、助かった」
死傷者はゼロ。
とにかくツイていた。
この日を境に、ぼくはバスでは真ん中、あるいは後方の扉前に座るようになった。
残念なことに? このような予防策をとってから強盗には遭遇していない。
グアテマラ周辺国に勤務している日本人政府関係者は、業務目的でのみグアテマラを訪問できる。逆に言うと、治安レベルがよくないので、観光目的では入国できない。
確かに、バスターミナルで胸に刃物を数センチ刺された日本人女性がいた。
無期懲役レベルの多数の囚人が集団脱獄したニュースも聞いた。そのときは日本人だけでなく、グアテマラの全市民がふるえあがった。
道を歩いていても、
「どこかで脱獄囚とばったりと鉢合わせするのではないか」
とヒヤヒヤしていた。
それでも、
「危険な地域に危険な時間帯に近づかなければ日常生活で危険な目にあうことはない」
と思っていた。
「いわゆる危険と言われる地域でも、グアマテラ人は日常生活を営んでいる。要は意識の問題である」
そう思い、平穏無事な生活を日々送っていた。
そんなある日のバスでの出来事である。
スペイン語の家庭教師の先生はぼくの住む家から約30分のところに住んでいた。そのためも、毎回バスで移動していた。
家庭教師という言葉は自宅へ来てもらう場合に使用する言葉かもしれない…。
とりあえず、言葉の定義の問題はさておき、その日も国会議事堂前の中央公園の隅にあるバス停から「Periferico」と行き先の書いてあるバスに乗った。
中に入ると結構込んでいる。
旧式のバスで、トランスミッションのためのギアの機械部分が異常に大きい。そこには人が座れるようになっている。
通常座席は空いていない。そこで、ぼくはそのギア横のスペースに腰を下ろした。
綿入りの薄い赤色のゴムシートが敷いてあり、クッションがわりになっている。なかなか座り心地がよい。前方にはバスのシフトチェンジのためのギアがあるの。前に足を伸ばすことはできない。そのため、他の乗客を見るように後ろを向いて座る。
バス内部の熱が少しおしりに伝わり何となく快感だ。
することがないので、前回スペイン語の授業の復習をすべくかばんから教科書を取り出し読み始めた。時おり加速のための爆音が響く。後方の窓ガラスにはバスの排気ガスである黒煙がよく見える。
この国のバスには、ホンジュラスのような料金徴収係りはいない。ワンマンである。
バスに搭乗するときに運転手にバス料金を手渡す。すると領収書のような小さな紙を受け取る。これは客のためではなく、バスのオーナーがきちんとバス代を運転手から回収するために配られている。
目的地の停留所への道半ば、ある交差点に差し掛かかる。カーブのためバスがややゆっくり運転になった後、車内の雰囲気が何となくおかしくなったことに気がついた。
子どもが何やら騒ぎ出す。
泣き始める幼い子までいた。
「何か妙な雰囲気だな」
と思いつつも本の続きを読み始めた。
すると、肩越しに何か触ったような気がした。
振り返り、前方の運転手の方を見る。
すると、な、な、何とバス強盗が運転手に向かってマチェタと呼ばれる長剣を突き付けている。
「か、か、金を出せ」
「子どもが泣いていたのはこれだったのか」
感心する間もなく、ぼくにも恐怖の感情が芽生えてきた。
バス運転手はバス乗車賃をこの強盗に差し出す。
「そら持っていけ」
強盗がバスの中に移動し、乗客を襲うように思われた。
お金を持っていそうな外国人のぼくが真っ先に狙われるのではと焦った。
かばんの中の財布には数百ケツァル約100ドル相当のお金が入っていた。
しかし、恐れていたのは、かばんごと持っていかれることだ。関係者の連絡先が書いてある大切な手帳、ノート、仕事の書類等が入っている。控えのコピーはない。だから、このかばんを強盗に渡すわけにはいかなかった。
コスタリカに勤務していたとき、スペイン協力局のプロジェクトリーダーが新車強盗に狙われた。
ホールドアップをしているとき、スペイン人の彼は言った。
「どうかこのノートパソコンだけは置いていってくれ」
新車強盗は当然のごとくこの要求を無視して走り去った。
やはり現代人は情報を大切にしている。
強盗はバス運転手から小銭をつかみ取る。
そして、
「いよいよぼくの番だ」
と覚悟を決めたとき、何とその30代に見える着やせした強盗は、カーブで再びスピードを緩めたバスから飛び降りた。
「た、助かった」
死傷者はゼロ。
とにかくツイていた。
この日を境に、ぼくはバスでは真ん中、あるいは後方の扉前に座るようになった。
残念なことに? このような予防策をとってから強盗には遭遇していない。