たびびと

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むなしさ アンコールワットの風

2011年05月02日 | アンコールワットの風
3月末、アンコールワットへ一週間ばかりの個人旅行へ行ってきた。

アンコールワットから帰国し、再認識したことがある。
それは、開発途上国の素晴らしさ。

何がぼくを惹きつけるのだろう。
何が魅力なのか。

人々の素朴さ。シンプルさ。
ふれあい。生活の透明さ。

通りを見ながら、何台ものバイクタクシーが目の前を通り過ぎる。
そして、荷台付きタクシーtuktukに揺られながら見た田舎の光景。
高床式の家の前で、裸で遊ぶ子どもたち。

生活の原点。生きるということの原点を肌で感じる。

そして改めてぼくは決心した。
近い将来に、開発途上国に住もう!

子どものころから、不思議な感覚を感じることがある。
何ともいえない、やるせない、むなしい感じだ。

春の息吹を体感するとき、感動的な映画をみたとき、友人や素敵な女性と心通い合うときを共有したとき。そんなとき、決まってこの感情がぼくを支配する。

大学生のときの教育実習、そして何人かの恋人とすごした日々、とくにこの感覚が強くなる。
たちあがけなくなるほどのむなしさ、よくうつ感。
まわりには、普通に生活をしているように見える。
でも、心の中、ぼくの感情は、何か寂しさのようなものに包まれる。
それは妻といても同じこと。

この感覚が、アンコールワット旅行から帰国した今も強く感じている。

原因はわからない。
病名もない。
特別な心理療法を受けているが、この感覚が消えることはない。

ときには強まり、とくには弱まる。

過去生に、あるいは幼少期に原因があるのかを知りたく、過去性療法も試したことがある。

ぼくに見えた過去生は3つ。

一つ目。
エジプトの神官。
ところは砂漠。
人類は再度、核の過ちを起こし滅亡した。
ぼくは涙していた。
「なぜ人は学ぶことができないのだろうか」

二つ目。
ギリシアの神殿。
ぼくは病気で横になっている。
今の妻らしき人物が看病をしてくれている。
2人は強いきずなで結ばれていた。

三つ目。
どこかの田舎。
美しい山、川に囲まれた森の中。
ぼくは一人、質素な山小屋の中で、寿命を迎えていた。
一人での孤独な死。
日本ではない。

この過去性をみている瞬間の脳波はデルタ波。
軽い催眠状態で見たイメージである。

こんな経験をした後も、この不思議な感覚が病むことはなかった。

誰といても、誰と話をしても、常に孤独、むなしさに包まれる。
そして、誰もぼくのこの感覚を理解することはなく、助けてもくれない。

ぼくはどうこの瞬間をしのいでいるのか。
それは、死後への唯一の期待。

「死後、この感情のすべてが明らかになる」
そんな思いで、この感覚が弱まるのを待っている。

今日からアンコールワット旅行記を何回か混ぜていく。

日本では地震、津波、原子力発電所の問題があった。しかし、アンコールワットのある都市シェムリアップ市は、いつもと変わらぬときが流れていた。

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