たびびと

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世界の構造

2012年12月29日 | こころの旅
世界を見てみよう。

たとえば人生。

人はこの世の中で、遊園地を楽しむ。
ジェットコースターに乗り、恐怖を楽しむ。
アトラクションに乗り、感情を楽しむ。

こわさ、恐怖があるとわかっている。
作り物だとわかっている。

それでも、お金を払って遊園地の乗り物にのる。


映画はどうだろう。
スクリーンの中は、すべて架空の世界。
そうと知りながら、波乱万丈なストーリーと、美しい画像に没頭し、ときとして、非現実であることを忘れてしまう。

作り物だとわかっていながら、多くの人が映画館に足をむける。
主人公の感情に同調し、涙を流す。

気晴らし。
何かを学ぶため。
新しい世界を発見するため。




視野を広げてみよう。

遊園地、映画が人生のフラクタル構造になっているとする。

すると、人生はどうなるのだろうか。

本物と思われている現実世界が、実は、すべて架空の世界で、それを人々はただ楽しんでいる。

気晴らし。
何かを学ぶため。
新しい世界を発見するため。
霊的な成長をするため。

いつの頃からか、本来の姿を忘れしてまった。
ここが非現実の世界であることを忘れてしまった。

あまりにも、このゲームに夢中になりすぎてしまったために…
あるいは、意図的に忘れさせられた…


本来は無限の力をもつ宇宙の存在。
この地球で何かを経験するために生まれてきた。

人がこの世で、怖いとわかってジェットコースターを楽しむように。
すべて作り物の映画であるとわかっているのに、鑑賞している間は、まるで現実の世界のあるかのように、映画のストーリーを楽しむ。感情を感じる。




あまりにも巧妙なシステムと忘却のため、誰一人として、この世が幻想であることを思い出せなくなっている。


あるいは、思い出せないことこそが、システムの存在意義なのかもしれない。


肉体的、精神的な制限、限界をつくり、自由に創造できない世界の中で生きる。
これが人生の目的だとしたら...


「そんなことを好き好んでする人はいないよ」

そうかもしれない。




フラクタル構造についてもっと身近なものがある。
野球、サッカー、ゴルフ、ラグビー…

いずれも、制限をつくり、その中での成長を人々は楽しむ。


フラクタル構造の仮説が正しいとする。

手が使えないサッカーと同じように、自分の人生も、ある制限の中で成長していくことを楽むために創造されたのかもしれない。


「こんな制限はいやだ」
「楽になりたい」


そんな思いに駆られる人がいるかもしれない。

「ザ・マネーゲーム」から脱出する法 (ヴォイス) には、この創られた世界から抜け出し、経済自由人になる方法が書かれている。




多くの方に楽しい旅をしていただければと思います。
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