たーさんの世界(意地悪じーさん)

ようこそ たーさん珈琲へ。
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どんな顔?

2016年01月21日 | Weblog
他人から見て、僕の顔がどう見えるか気になります。

どう見えるかとは、味のある顔かどうかが一番気になります。

人間は其までの生活が顔に出ると言われていますが、自分の今までの人生がどう顔に出ているに興味があります。


涙もろい

2016年01月21日 | Weblog
最後の僕は、人の暖かな気持ちを見たり聞いたりすると涙がチョロット出てしまいます。

世の中は単なるビジネスの関係や暖かな気持ちの付き合い等、様々な気持ちの関係があります。

其々の関係は意味がある大切なモノですが、今こうして人生の折り返しにさしかかると、人間の暖かな気持ちをダイレクトに感じる様になりました。

其までの自分(四十代迄)は今より自己中心的な人間で、人の気持ちの暖かさに気付くのが少ない人間だったと思います。

しかし事件に巻き込まれて会社をクビになり、それこそ修羅場を体験し、其を一つ一つ乗り越えて来た頃から、年齢的なものも関係しているとは思いますが、人の暖かな気持ちと接すると涙がチョロット出る様になりました。

でも僕という人間が変わった訳ではなく、気持ち的に優しくなれる年齢になったんだと思います。

若い頃は人生に対して一生懸命にならざるを得ませんから、涙なんか流している暇なんか無いのでしょうね。

センチな気持ち

2016年01月21日 | Weblog
今は午前三時過ぎ。

早く寝たので目が覚めてしまい、ラジオを聴いています。

僕の好きなラジオ深夜便で、昭和30年の音楽を聴いています。

昭和30年と言えば僕が四歳で妹が一歳で、きっと両親は僕達子供を一生懸命に育てている中で、家には他に祖母や嫁ぐ前の叔母達が居た頃でした。

当時の世の中は皆が貧しかったので、我が家も貧しかった筈ですが、皆が仲良く暮らしていました。

今聴いている音楽は恐らく一度は聞いた曲なので、断片的なフレーズは聴いた覚えがあります。

勿論、両親も聴いた筈で、聴いていると何だか父や母に出会っている様な気持ちになります。

暖かな気持ちと同時に、もう二度と会えない悲しい気持ちの両方になっています。

父や母にもう一度会いたい、夢でもいい、母が生前に言っていた幽霊になってでも出て来て欲しい。

でも今は、父や母も聴いたであろう音楽を聴きながら同じ気持ちになれています。

六十を半ばになっても、僕の気持ちは未だ子供の頃のままです。






懐かしの音楽も終わり、父や母との再会も終わってしまいました。

でも今夜は、明らかに両親に会う事が出来ました。

三月は父の三回忌ですが、それはおそらく僕が両親の為に行う最後のきちんとした儀式になります。

今日は大寒の様です。