活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

こころ(下編)

2009-04-25 23:59:41 | 活字の海(読了編)
著者:夏目漱石


そうなれば結局、この物語の中で血肉を得ていた人物といえば、
先生とKだけだったのではないか、という気すらしてくる。

それでは、その二人の間にあった相克とは、果たして二人を
持って自死へと導かざるを得なかったほどのものであったのか?

これもまた判断は難しい。
他人の悩みなど、結局は判った積もりでいても、何ほどにも
理解できていないことの方が多いのだから。

なるほど、先生はKの精神に楔を打ち込んだ上で、彼を出し抜き、
妻を手に入れた。

更に、そのことをKに告白できず、第三者からKの耳に入れてしまう
という失態を犯してしまった。
精神の琢磨に恋愛というものが与える影響について、極端に否定
的だったKにとって、自分がそうした感情に支配されてしまうという
ことは、常日頃からのモットーであり、恐らくはK自身が他者に対する
優越感とともに自負していた「精神的に成長の無いものは馬鹿だ」
という言葉が木霊のように跳ね返ってきたのだろうし、Kが親交しな
がらも(恐らくは)馬鹿にしていた先生に思い人を取られたという
ことは、二重三重の意味を持ってKの心を粉砕したに違いない。

が。
それはあくまで、Kにとっての話である。

Kは自死し、先生は後に残された。
もはや取り戻すことの出来ない結末と、妻だけが先生には残された。

となれば、先生にとって人生の最高位とは、Kの悩みを聞きながら、
求婚し、挙句の果てにKの自死を知った時までであることは、
間違いない。

なぜなら、先生はKにその気が全く無かったにせよ、Kによって
その心を連れて行かれてしまったのだから。

僕はそこに、はっきりと愛の姿を見る。
この物語は、実は先生とお嬢さんではなく、先生とKとの愛憎劇
だったのだ、と確信するが故である。

そうした目で見れば、なんと納得のいく描写が多いことか。

Kは、確かにお嬢さんを好きになってしまったのかもしれない。
が、そこでKが悩むのは、心の中に棲む先生とお嬢さんの、
いずれと魂の絆を結ぶべきか、という点である。

そして、お嬢さんへ傾いたKの心情を察してしまった先生は、
Kを他者に盗られるくらいならと、自分がお嬢さんをものに
してしまう。

その先生の心情は、究極の傲慢ではあるが、またある意味
究極の愛の姿でもある。

そして、その先生の思いを悟ったKは、今生でどうにもならぬ
愛の形を葬るべく、自死を選ぶ。

最後に、襖を開けて、Kを心に焼き付けた上で。

それが故、吹いた隙間風である。
そして、それに乗せられるように、先生の心はKに連れていか
れてしまう。

その後の、妻との結婚生活は、もはや抜け殻でしかなかった。
まるで、夢遊病者のように。
例えて言えば、「ピンチャー・マーティン」のように、生ける屍と言っても
可笑しくは無い。

いや、「ピンチャー・マーティン」の方が、屍で有ながら、なおも生きよう
としていたことを考えれば、先生は生きながら死のみを見据え、死のみを
救いとしていたのだから、より始末が悪い。

その遺書の最後で、先生は「私」に、妻にだけは真相を語ってくれるな、
と書き残した。

一見、妻を穢れ無き状態で残しておきたいと言う、先生の思いの吐露で
あるように見せかけたこの台詞は、実は自分とKとの間のラブストーリーに、
妻を関与させまいとする先生の、言わば心の防波堤なのだ。


そのような人生に巻き込まれた妻にとっては、災難としかいいようが
ないであろう。

下宿人時代、Kとの恋の駆け引き(といえるかどうかはともかく)を
していた、いわばもっとも生き生きとしていた先生しか知らず、
その先生の下に嫁ぐと思っていたら、そこには抜け殻しかいなかった
訳だから。

そんな奥さんの悩みも、抜け殻に心を挽かれた「私」の関心も
吹き飛ばして、只管漱石は先生の心の中身を彫琢していく。

いわば、「こころ」は実に思い切りのいい、先生とKのためだけに
書かれた物語であり、あの遺書こそは先生のKに対するラブレターなのだ。


(この稿、了)



こころ (集英社文庫) (集英社文庫)
夏目 漱石
集英社

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2 コメント

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「こころ」 (giants-55)
2009-04-27 10:21:38
書き込み有難う御座いました。(レスは当該記事のコメント欄に付けさせて貰いました。)

所謂文豪の著した作品、昔の文庫本のカバーはしかつめらしいデザインでしたが、今はかなりライトな感じの物が多いですね。それによって若い人達が手軽に手に取ってくれれば、それはそれで良いと思っています。

「こころ」は学生時代に現国の教科書で読みました。当時も結構好きな作品だった訳ですが、年を経て再読したら又違った味わいが。社会生活を送った事で、それ迄気付かなかった部分を感じる等、深さの在る作品です。小説では無いのですが、自分にとっては「智恵子抄」もそんな作品の一つです。
返信する
読み返す都度 (MOLTA)
2009-04-28 03:15:42
多面的な楽しみ方をもたらしてくれるのが、よい作品である証なんでしょうね。

そうした良さを色々な世代に知ってもらうためにも、表紙のリニューアルはもとより、コミック化等の切り口を変えた提供が増えることは、いいことだと思います。

そして、いつか原点に接して貰えればと。

毎日の更新、お疲れ様です。
また寄せていただきますね。
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