活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

漂流  吉村昭

2010-03-08 23:59:09 | 活字の海(読了編)
著者:吉村昭 新潮文庫刊 定価:740円(税込み)
初版刊行 :昭和55年11月25日
15刷改版:平成元年9月15日
43刷  :平成18年8月20日(入手版)



ダイビング業界の端っこにいるものとして。
海にまつわる本は、基本的にみな好きである。

そんな中でも。
特異な位置を占めるジャンル。
それが、”漂流もの”である。

そこには、
極限状態の中、人という存在が徹底的に濃縮されて描かれる。

が、故に。
どのような”漂流もの”も、それぞれの面白さが篭められている。


そんな中でも。
僕の、お気に入りといえば。

ドキュメンタリーでは。
エンデュアランス号漂流
大西洋漂流76日間
たった一人の生還 「たか号」漂流二十七日間の闘い

SFでは。
「宇宙囚人船の反乱」。

映画では。
「飛べ!フェニックス号」。
#これだって、広い意味で”漂流もの”だろう(笑)。


その他、色々と有るけれど。

最も大好きな本、といえば。

「蝿の王」である。

こちらは、好き過ぎてまだ書評をUP出来ていない。

この。
ウイリアム・ゴールディングの名作を初読したのは、高校生の頃だった
ように思う。

それまで、漂流ものといえば。
「ロビンソン・クルーソー」か「15少年漂流記」位しか脳裏に無かった
僕にとって。
どれほどの衝撃を、本書が僕にもたらしたことか。

この本の中で描かれた、少年達の剥き出しの相互憎悪と恐怖は。
そのまま、僕の感情とシンクロしてしまった。

勿論、それは実際に僕がそうした境遇に陥ったという訳では無いけれど。

人が。
これほどまでに、愚かで。
これほどまでに、救いが無いというテーマは。


当時。
SFでは平井和正系、純文学では高橋和子系の人類ダメ小説に、
どっぷりと嵌まり込んでいた僕にとって。
あまりにも親和性が高かったのだ。


それが、今日。
本書を読み終えて。

ようやく。
その、呪詛で塗り固められた壁がひび割れたことを、しみじみと感じる
ことが出来た。


本書は。
江戸時代(正確に言えば、天明5年(1785年))に3百石積みの近海
航海用の船に乗って、土佐藩内での御用米の移送を行っていた船の楫(かじ)
取りをしていた、長平という青年の漂流譚である。

彼は、件(くだん)の船に乗って航行中に。
嵐に遭い、難破する。

その航海の寸前。
彼が属する村での営みの描写が、そのあまりに平和すぎる描写が切ない。

彼は、彼の友人が思いを寄せる娘との逢引き(というか、夜這いの変形版。
”かつぎ”と称されている)に協力しつつも、いつか自分もと思いを馳せる。

既に意中の娘がおり、仕事上でも一定以上の昇進をしていた彼にとって
それは既定の路線でもあった。

自分も、この航海が終わったら。
あの娘と祝言を挙げるべく、思いを告げよう。
あの娘も、日頃の行動の端々から自分のことを憎からず思っている
ことは判っている(と思う)。

そうした夢想に胸を膨らませながら、長平を乗せた船が土佐赤岡港を
出港したのは、1月下旬のこと。

出港のときは、往復二日間程の予定であった今回の航海が。
まさか、足掛け14年にも及ぶものになろうとは誰も知る由も無い。

けれど。
自然の暴風は、彼を過酷な運命の元へと強制的に押し出していく。


そして。
彼の、長い長い旅路が始まった…。


この、彼の漂流譚において。
どのような出来事が起こり、それに対して彼がどのような術で乗り越えて
きたのかをここで述べることは、礼儀として避けよう。

それは、是非ご自分の目で確かめていただきたい。

ただ、はっきりと言えることは。

土佐の片田舎の水主でしかなかった長平が、その14年にも及ぶ漂流生活の
中で、悟りにも近い境地を得ていったことに対する畏敬を感じる。という
ことである。

勿論。
長平も。
幾度と無く。
嘆き、恨み、悔やみ、嫉む。

それでも。
基本、長平は、念仏を唱えることを心の支えにすることで、前を見続ける
視線を持ち続ける。

その、長平の漂流生活において。
僕は、2度。
大きな転機があったと思っている。


ひとつは。
共に難破して、生き残った仲間が次々と高いし、彼一人となった時。

そして、もうひとつは。
絶望的な孤独の淵に佇む彼の前に、数年を経た後にようやく他の遭難者が
流れ着いた時。


いずれも。
”人”が鍵となっている。

人というものは、厄介なもので。
一人でいるときには、その孤独に打ちひしがれて仲間を思い。
複数でいるときには、時に互いに諍い、敵対してしまう。

その最たるものが、冒頭で紹介した「蝿の王」なのだけれど。

長平は、その危機を乗り越え、仲間と手を携えて危機に立ち向かっていく。

それを、絵空事と皮肉に笑するのは筋が違っている。

何せ、この物語は。
長平が、実際に体験した出来事を元に書き起こされた取調べ書に基づき、
記されているのだ。

それは、長平自身の筆によるものでないが故に。
感情的な表現は排除され、事実が恬淡と列記されている。

何度も取調べを受け、供述を繰り返してきた彼の言に虚飾も虚妄も無いと
信じるならば。

そこには、どのような境遇に陥っても、人の人たる尊厳とプライドを
忘れずに立ち向かう人々のドラマが凝集されている。


それが故に。
この小説は、人の胸を打つ。

それが故に。
この小説は、人を惹き付けて止まないのだ。


今は、故郷高知の赤岡町の墓所に、ひっそりと眠る長平。

いつか。
機会があれば。
吉村氏がそうしたように、僕も足を運び、手を合わせたいと思う。

そして、その日は。
長平の運命を変えた暴風雨ではなく。
抜けるような青空と、穏やかな風の無い日和であって欲しいと思うのだ。


(この稿、了)


(付記)
人と人との繋がりの在り方。
その、何たるかを教えてくれた唄。

吉田拓郎  トランザム ああ青春






漂流 (新潮文庫)
吉村 昭
新潮社

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