活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

国際科学映像祭ドームフェスタ in ソフィア堺 3日目観戦記(その1)

2012-09-27 23:48:24 | 映像の海


24日の初日に引き続き、26日の最終日も、ドームフェスタへ
参戦することが出来た。


中日にあたる25日も面白いプログラムが多数あったのだけれど、
仕事でトラブルが発生し、敢え無く挫折。


実は26日も途中で退場を余儀なくされたのだけれど、なんとか
午前中の上映作品だけはフォローすることが出来た。


その感想記を、以下に挙げる。

なお、新作についてもネタバレ注意です。
未見の方が読み進められる場合は、自己判断でお願いします。



■E-1 Eternal Return -いのちを継ぐもの- (37min.) 日本

[IFSV2012]Eternal Return -いのちを継ぐもの-



”直球”

観終わった今、感じている言葉である。


監督がこの作品を通じて伝えたかったメッセージ。
それはタイトルに或るように、”いのちを継ぐもの”という
ことなのだと思う。


宇宙の誕生から続く営みの中で、様々な元素が生まれていき、
それがやがてこの地球で生命という形にまで昇華した。

いずれ、星はその生命の火を文字通り消すときが来るけれど、
それは新たな星の誕生に繋がる道程でもある。

しかも、新たな元素が生み出されたことによって、確実に
宇宙は次のステップへと繋がる階段を登っているのだ。

それは、人の命も同じ。

個々の生命は終わっても、そこから次の世代へと思いが
伝えられることで、命は永遠に紡がれていく。

僕たち一人ひとりの命は、これまでに生きてきたすべての命

(これには直接的なご先祖という狭義な意味もあるし、
 星々の創世から含めた広義の意味もある)

の先頭に立っている。

なればこそ、これまで存在した全ての命に思いを寄せつつ、
そこから受け取ったものを自分なりに磨き上げて、また
いつか次の世代へと受け継いでいく。

それが、”いのち”の永遠なる回帰なのではないだろうか…。


そのメッセージを伝えるために、この作品ではある老人
(弘一)と孫娘(はるか)との会話を軸にして、この物語は
織りなされていく。

はるかは、弘一を通じて星が大好きになった少女。
(小学校3~4年くらいの設定かと思われる)

けれど。

弘一から、星は永遠に輝くものではなく、あの太陽でさえ
いつかはその火を消すときがくる。

そう聞いたことで、はるかの心には世界が闇に閉ざされる姿が
恐怖として刻み込まれ、やがて弘一と二人で行なっていた天体
観測からも足が遠のき、やがては弘一とも疎遠になってしまう。


時は流れて。
いつしか大人になったはるか。

振り仰げば、星は、あの頃と同じように夜空に輝いている
けれど、広場から見える街の姿は少しずつ変わり、優しかった
祖父ももういない。

はるかは、あの頃を振り返り自問する。

おじいちゃんが伝えたかったことは、何だったんだろう?
私は、どうすればよかったんだろう?


…と、ここまでが本編で語られたepisode1の梗概。


本編の中では、弘一の語る星々の創生の物語に導かれるように、
映像は宇宙の開闢から、初めての恒星の輝き。そして太陽系の誕生。
果ては、地球における生命の芽生えまでを丹念に追っていく。


その、時間と空間。双方の意味において四方無限の広がりを持つ、
美しく精緻な画は、観るものの心を魅了せずにはいられない。

いられないが、しかし。
その一方で、この深大なnever ending storyの語り部として
配された二人の物語とのバランスの有り様に、本作を観終わった
直後の僕は、どうにも戸惑いを覚えたのである。


はるかが、星を嫌いになった理由。
大好きだったおじいちゃんと、疎遠になってしまった理由。

無論、それらは物語の中できちんと描かれている。

けれども、もう少しディテールの掘り下げがあれば、より
深く二人へ感情移入できたのでは、と思えてしまう。

弘一が、どのような思いや体験から、星と人の命を重ね合わ
せるようになったのか。

そして、おじいちゃんっ子だったはるかが、星の終末に諸行
無常を感じたことをきっかけとして、なぜ弘一とまで疎遠と
なってしまったのか。


だが。
なぜ今回のような演出となったのかを考えていくうちに、
本作品において監督は、敢えてそうした人の情感に訴求する
ような描写を避けたのでは、と思えるようになった。

エモーショナルな描き方をすれば、確かに観客の心を共振する
ことは容易になるだろう。

それをわかりつつ、敢えてそうした情感に満ちた描写を抑制し、
宇宙の開闢から連綿と繋がる命のリレーを描くことに構成の
芯を置くことで、監督は「人情話」と言われたHBTTEを超える
作品に本作を昇華させたかったのではないか、と思っている。

 ※ 人情話という表現は、決して悪い意味で使われた
   ものではありません。詳しくは、リンク先(監督の
   星居ブログ)にて。


無論、仕掛けはそれだけではない。

科学ドキュメンタリーを否定するものでは決して無いが、
ドームフェスタ中、司会者がある作品を「中学校で見られる
科学教材のようだ」と評したような、そうした作品として
本作を仕立てあげるのではなく。

episode1として位置づけられた本作の構成はこうだが、今後
続いていく以降のエピソードにおいて、そうした情感に纏わる
部分もボレロのように織り込んでいくことで、監督としては
科学と情感という、2つの一見相反する要素を撚り合わせて、
一つの作品を編み上げようとしているように、僕には思えた
のである。


これは、大きな賭けでもある。
作話法における序破急を今更説くまでもなく、序の段階で
どれだけ観客の心を掴むかが、その後の作品の成否に大きな
インパクトを持つことは自明である。

それが故に、如何に物語の主体に感情移入させ、観客と同一化
させるかが、シリーズ第1作の要諦だと言えるであろう。

その、感情移入の部分を極力削ぎ落とし、生命の永久なる連環
という大きなテーマに沿った画を映しだしてみせたのである。


僕の勝手な推測が的を得ていればであるが、恐らくepisode2
から3にかけて、徐々に弘一とはるかを繋ぐ絆が、まるで少し
ずつベールをめくるように明らかになっていく。

そして、その絆が生命の連環という大きなテーマと結びつく
ことによって、観客に

 「ああ! 
  これまでのシリーズの中の、あの恒星の誕生も。
  地球に水が出来たシーンも。
  そして、海の底から生命が息づき始めたシーンも。
  そのすべてが、自分たちが感動を受けた弘一とはるかの
  生命の輪へと、繋がっていくんだ!」

と得心させる。
そのようなシナリオが出来上がっているのではないかと、
勝手に妄想しているのである。


先にも書いたように、これは大きな賭けである。

過去、どれだけ数多の作品が、自ら進めたい方向性に添って
シリーズを始めたものの、動員数やスポンサーの意向に起因する
圧力を受けて、変節を余儀なくされてきたことか。

その思いを、監督はHBTTEの制作を通じて骨の髄まで味わった
からこそ。

この作品は、HBTTEのように製作委員会方式ではなく、監督の
率いる有限会社ライブの単体による企画・制作となったのでは
ないだろうか。

無論、それを実現するに足る経済的なバックボーンも出来た
今だからこそ、トライできた試みであるだろう。

裏を返せば。

今しかできないかも。
ならば、今やるしかない。

そこまでの決意を持って、このシリーズという舟を漕ぎだした
のではないか。

episode1で、どこまで分かってもらえるかは分からないが。
episode2を。そして3を観た人の中から、パーティクルな
広がりをもって、このシリーズを受け入れる輪が広がって
いってくれれば。


今回上映された、このepisode1には、そうした監督の思いが
凝縮し、まるで形成期の恒星の双極から光速に近い速度で
噴出されるガスのように迸っている。


そう感じた故の、冒頭の”直球”という所感が導き出された
次第である。


この作品は、episode1だけでは語れない。

そのことが、作品としてどうか?という議論はさておき。
後に続く、シリーズ全編を通して観て、初めて監督の思いの
全容を受け止めることができる。


旅の終着駅は、まだ遥けく遠い。

心して、待つことにしよう。


(この稿、続く)




小惑星探査機 はやぶさ HAYABUSA BACK TO THE EARTH 帰還バージョン Blu-ray版
クリエーター情報なし
有限会社ライブ

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