2009年5月31日 AM1時30分~ 朝日放送
ディレクター:西村美智子
※ この番組の紹介記事は、こちらで読めます。
アスペルガー症候群。
主に、相手の立場になる、あるいは思いやるといった、他者との
コミュニケーションに齟齬をきたす症状が特徴であるこの病。
最近でこそ、書店でも関連書籍を相当目にするようになって
きたけれど、まだまだ一般での認知度は低いのではなかろうか?
僕の親しい仲間にも、アスペルガー症候群の子供を持つ親がいる。
家族ぐるみの付き合いなので、その子が文字通り赤子の時から
知っているだけに、僕に対しては心を開いてくれていると思うが、
それでも何気なく口にした一言で、その子の心に傷をつけてしまい、
反省することがある。
その子達は、一見何の障害も無く、健康に生育しているように
見える。
それが故、周囲から誤解を招きやすい。
というよりも、周囲はまず間違いなく誤解する。
我侭(わがまま)だ。
親の躾がなっていない。
集団生活に向いていない。
協調性が無い。
様々に、張られるレッテル。
追いつめられる、親と子。
そんな辛い構図は、日本中、いや、世界中に見られるだろう。
この番組は、そんなアスペルガー症候群の子供の一人、健太君に
密着取材したもの。
カメラは、健太君の日常を丹念に追う。
そこには、等身大の健太君の姿が映し出されている。
健太君も、他のアスペルガー症候群の子供と同じく、外見からは
全く障害が判別できない。
それでも。
グループワーク等を行うと、如実に他の子と差が出てしまう。
そんな彼を、幼い頃から一緒に過ごしている子どもたちは、
子どもたちなりに受け入れているようにも見える。
だが、それはほんの一面だろう。
本来、子供はもっと残酷なものだ。
異質なものの匂いを嗅ぎ付けると、こぞって排除しようとする。
そこにあるものは、大人の社会で起こっているような問題が、
そのまま凝縮され、更には理性が未発達な分、厄介さが増して
いる、そんな様相すら呈することが多い。
映像で見る限りは、幸いなことに、そこまでの様子は伺い知る
ことは出来ない。
それでも。
やがて、そこでの生活にどうしても馴染めなくなった健太君は、
そうした障害の子供たちを集めたとある山間部の学校へと
転校することになる。
その学校では、健太君はうまくやっていけるのだろうか?
記憶障害の影響により、文字通り泣きながら漢字を覚えても、
翌日のテストでは記憶が結びつかず、字が書けない。
そうした辛い経験をしてきた健太君。
今の環境では、同じような立場の子供たちに混じって、
そうした子供たちの特徴を伸ばしてあげることに腐心する
先生方の指導を受けて、健太君がその持てる才能の輝きを
見出し、育んでいけることを、切に願う。
それでも…。
いつまでも、学校という繭の中にいる訳にはいかない。
いつか、健太君も自ら社会に船出をしなければならなくなる。
その時。
社会は、そうした健太君を迎え入れることが出来るほどに、
成熟しているのだろうか?
元より。
アスペルガー症候群は、子供だけの問題ではない。
既に成人している人の中にも、当然この症候群に罹患して
いる人たちは大勢いよう。
彼らは、社会の中で、どうやって自分の居場所を確保して
いるのか?
勿論、周囲の理解や本人の適応等によって、うまくやって
いる人も多いだろう。
でも、それ以上に、周囲との軋轢に悩み、苦しんでいる
人たちもまた、多いのではないだろうか?
健太君が、そして、この病気に悩む全ての人々が、自分の
居場所を見出せんことを。
勿論、祈りだけで世の中は、変わらない。
僕に出来ることとして。
まずは、身近にいる子をしっかりとサポートしてやりたい。
その子の、屈託の無い笑顔を知っているからこそ。
その輝きを、いつまでもくすむことのないように。
それは、常に庇護をし、先回りをして障害を取り除く、
といったことでは当然無い。
その子が、きちんと自立できるように。
そうした力を、その子自身が身につけることができるような。
そんな接し方を心がけていきたい。
そう、思うのだ。
(この稿、了)
(付記)
番組では、健太君以外にも、何名かのアスペルガーの子が
紹介されていた。
その中で、折り紙を使って一心に切り絵に取り組んでいた子の
ことが、今も頭から離れない。
いろいろとあっただろうに。
あの子の持つ、そうした特性を見出したお母さんは、本当に偉いと
思う。
が、その一方で、無心に切り絵を楽しんでいたその子が、
これから成長につれ、どんな思いを背負っていくことになるのか。
同情や憐れみで、問題は解決しない。
どうしたら、共に手を携えて生きていけるのか?
人類の種としての成熟が試されていると言っても、決して過言
ではない。
関連図書の中で、AMAZON諸氏にも結構評判がよかったのが、
この本。
こちらは、大人の患者とその周囲の人のための本。
こうした人たちもいるんだ!
常に、希望を持ち続けることが大事だと判らせてくれる本。
ディレクター:西村美智子
※ この番組の紹介記事は、こちらで読めます。
アスペルガー症候群。
主に、相手の立場になる、あるいは思いやるといった、他者との
コミュニケーションに齟齬をきたす症状が特徴であるこの病。
最近でこそ、書店でも関連書籍を相当目にするようになって
きたけれど、まだまだ一般での認知度は低いのではなかろうか?
僕の親しい仲間にも、アスペルガー症候群の子供を持つ親がいる。
家族ぐるみの付き合いなので、その子が文字通り赤子の時から
知っているだけに、僕に対しては心を開いてくれていると思うが、
それでも何気なく口にした一言で、その子の心に傷をつけてしまい、
反省することがある。
その子達は、一見何の障害も無く、健康に生育しているように
見える。
それが故、周囲から誤解を招きやすい。
というよりも、周囲はまず間違いなく誤解する。
我侭(わがまま)だ。
親の躾がなっていない。
集団生活に向いていない。
協調性が無い。
様々に、張られるレッテル。
追いつめられる、親と子。
そんな辛い構図は、日本中、いや、世界中に見られるだろう。
この番組は、そんなアスペルガー症候群の子供の一人、健太君に
密着取材したもの。
カメラは、健太君の日常を丹念に追う。
そこには、等身大の健太君の姿が映し出されている。
健太君も、他のアスペルガー症候群の子供と同じく、外見からは
全く障害が判別できない。
それでも。
グループワーク等を行うと、如実に他の子と差が出てしまう。
そんな彼を、幼い頃から一緒に過ごしている子どもたちは、
子どもたちなりに受け入れているようにも見える。
だが、それはほんの一面だろう。
本来、子供はもっと残酷なものだ。
異質なものの匂いを嗅ぎ付けると、こぞって排除しようとする。
そこにあるものは、大人の社会で起こっているような問題が、
そのまま凝縮され、更には理性が未発達な分、厄介さが増して
いる、そんな様相すら呈することが多い。
映像で見る限りは、幸いなことに、そこまでの様子は伺い知る
ことは出来ない。
それでも。
やがて、そこでの生活にどうしても馴染めなくなった健太君は、
そうした障害の子供たちを集めたとある山間部の学校へと
転校することになる。
その学校では、健太君はうまくやっていけるのだろうか?
記憶障害の影響により、文字通り泣きながら漢字を覚えても、
翌日のテストでは記憶が結びつかず、字が書けない。
そうした辛い経験をしてきた健太君。
今の環境では、同じような立場の子供たちに混じって、
そうした子供たちの特徴を伸ばしてあげることに腐心する
先生方の指導を受けて、健太君がその持てる才能の輝きを
見出し、育んでいけることを、切に願う。
それでも…。
いつまでも、学校という繭の中にいる訳にはいかない。
いつか、健太君も自ら社会に船出をしなければならなくなる。
その時。
社会は、そうした健太君を迎え入れることが出来るほどに、
成熟しているのだろうか?
元より。
アスペルガー症候群は、子供だけの問題ではない。
既に成人している人の中にも、当然この症候群に罹患して
いる人たちは大勢いよう。
彼らは、社会の中で、どうやって自分の居場所を確保して
いるのか?
勿論、周囲の理解や本人の適応等によって、うまくやって
いる人も多いだろう。
でも、それ以上に、周囲との軋轢に悩み、苦しんでいる
人たちもまた、多いのではないだろうか?
健太君が、そして、この病気に悩む全ての人々が、自分の
居場所を見出せんことを。
勿論、祈りだけで世の中は、変わらない。
僕に出来ることとして。
まずは、身近にいる子をしっかりとサポートしてやりたい。
その子の、屈託の無い笑顔を知っているからこそ。
その輝きを、いつまでもくすむことのないように。
それは、常に庇護をし、先回りをして障害を取り除く、
といったことでは当然無い。
その子が、きちんと自立できるように。
そうした力を、その子自身が身につけることができるような。
そんな接し方を心がけていきたい。
そう、思うのだ。
(この稿、了)
(付記)
番組では、健太君以外にも、何名かのアスペルガーの子が
紹介されていた。
その中で、折り紙を使って一心に切り絵に取り組んでいた子の
ことが、今も頭から離れない。
いろいろとあっただろうに。
あの子の持つ、そうした特性を見出したお母さんは、本当に偉いと
思う。
が、その一方で、無心に切り絵を楽しんでいたその子が、
これから成長につれ、どんな思いを背負っていくことになるのか。
同情や憐れみで、問題は解決しない。
どうしたら、共に手を携えて生きていけるのか?
人類の種としての成熟が試されていると言っても、決して過言
ではない。
関連図書の中で、AMAZON諸氏にも結構評判がよかったのが、
この本。
高機能自閉症・アスペルガー症候群 「その子らしさ」を生かす子育て吉田 友子中央法規出版このアイテムの詳細を見る |
こちらは、大人の患者とその周囲の人のための本。
大人のアスペルガー症候群 (こころライブラリー イラスト版)講談社このアイテムの詳細を見る |
こうした人たちもいるんだ!
常に、希望を持ち続けることが大事だと判らせてくれる本。
アスペルガーの偉人たちイアン ジェイムズスペクトラム出版社このアイテムの詳細を見る |
以前健太くんの放送がテレビであり、何度か見ていました
お母様がブログされていましたが、今はやめられています
福井の学校に行った健太くんが、あれからどう過ごしているのか?と気になっています
そうですか…。
健太君のお母さんが、ブログを起こされていたのですか。
今はもう止められているとのことですが、好転し、その場が不要になったためと心底から思いたいです。
全ての人々を愛するほどの度量も器量もない僕ですが、だからこそそれがTVを観ただけという一方的なものであれ、何がしかの縁のあった健太君や、切り絵の少女が僕も気になっています。
どうか幸せでありますようにと、心から願います。
あることがきっかけで、その友人とは年賀状のやり取りだけになってしまいました。
でも、その友人のことが心配です。 メールで連絡を取った方がいいでしょうか?
お忙しい中、申し訳ありませんが、アドバイスなどありましたら、教えていただけますか?
「余計なお節介」だと思われてもイヤですので。
それでは失礼いたします。 お仕事頑張ってください。 お身体にはくれぐれも気をつけてください。
アドバイスをさせていただけるほどに経験を積んでいる訳でも、人格的にできている訳でもありませんが…。
それでもあえて、お答えさせていただくならば。
メールでの連絡はお控えになられた方が良いのではと思います。
そのご友人も、お子さんとともに今を生きるのに精一杯だと思います。
そんなご友人にこちらから能動的にドアノックしていくよりは、ふと振り返った時にそばに居ることができるような関係の方がよいのではと思います。
そのためにも、年賀状にはいつでも連絡をという趣意のメッセージは入れて置かれた方がいいと思いますが、あまり押しすぎるとご負担になる可能性も高いと思います。
メールを出されるとしても、四半期か半年に一度くらい、短めな時候の挨拶やふと心に留まったこと等をさらりと書いて送られるくらいが、ご友人にとっても『自分のことを忘れないでいてくれる人がいるんだ』と思ってもらえる縁(よすが)となると思います。
ご事情も分からずの中、思いつくままのコメントですみません。
いつかまた、ご友人があなたとお話しをしたいと思われる時が来ることを、心から祈念します。
それでは、失礼します。