活字の海で、アップップ

目の前を通り過ぎる膨大な量の活字の中から、心に引っかかった言葉をチョイス。
その他、音楽編、自然編も有り。

同盟の絆強める努力を  蓑原 俊洋

2008-05-08 23:59:16 | 活字の海(新聞記事編)
毎日新聞 5月8日(木)夕刊 9面 文化欄より
副題:日系アメリカ人として『日米関係史』の刊行提言


本コラムの著者 蓑原氏は、神戸大学教授で日系アメリカ人。
日米政治外交を主たる研究のテーマとしている。

その彼が、ペリーによる開国から昨今までの日米関係を俯瞰的に眺めつつ、
自らの思いを語ったのが本コラムである。

が、しかし…。

日系アメリカ人という立ち位置がそうさせるのか、本コラムに書かれる
日米関係の、あまりにアメリカサイドに立った視点に正直辟易した。

ペリーによる開国当時、世界は『当時は帝国主義が支配した弱肉強食の
時代であったが、その中でアメリカはよき先生として日本を導いた』
そうである。

あの二つの不平等条約を乗り越えるのに、どれほどの努力を明治政府が
必要としたか。

1854年の日米和親条約締結後、1899年の日米通商航海条約が
締結され、まず治外法権が回復。その後、同条約の1911年の改正で
ようやく関税自主権を回復することが出来たのである。

つまりは約半世紀以上もの間、アメリカ(だけではないが)は日本に
片務的な条約を押し付け、一方的な利益を享受していた訳であり、
何をもって『よき先生として日本を導いた』なぞという表現を使える
のか、理解に苦しむ。

このときの反動が、その後の日本の運命に与えたベクトルも大きかった
ことを考えると、えらいことをしてくれたものである。

その時代をもって、蓑原氏は『初期友好の時代』と定義づけているので
あるから、ワンサイドにも程があると思ってしまうのである。

所詮は、上から目線でしか周囲を語れないアメリカの、まごうことなき
一面を彼は体現していると言えよう。

更に噴飯ものな表現は、『知日派が主導した対日占領政策は穏健なものと
なり』というものである。

あの占領政策により、日本人の文化的アイデンティティは文字通り骨抜き
にされてしまった。

その結果が今の日本である。

勿論経済発展は目覚しいものがあった。
それについても氏は『アメリカは日本の国際社会への復帰を積極的に後押し』
したと自賛するが、何のことは無い、朝鮮戦争時の兵站基地としての日本が
いい位置にいたことや、赤色革命の防波堤が必要だっただけのことでは
ないか?

自らの都合で日本を洗脳し、不沈空母化しておいて、自画自賛できるその
精神の無謬性信奉にはあっけにとられるものがある。

しかも、自らを持ち上げたその後で、日本をばっさりと切り捨てるのである。

その言い分は、こうである。少し長くなるが、引用しよう。

『戦前日本は近代化に成功した結果、アジアの盟主となった。
 しかし、その地位をもって日本はアジアの利益を代弁したわけではなく、
 もっぱら自国の利益を追求し、隣国を侵略した。
 その結果、日本は心のよりどころとなる「ホーム」をアジアにもてない
 のである。』

日本をアメリカに。アジアをアングロサクソンに代えれば、そのまま通じる
文章になるではないか。

しかも、その論旨の展開を受けて導き出す答えは、こうである。

『以上から、日本にとってアメリカの重要性が減耗することは当面ない。』

あくまで日本にとって、である。
どうやら、日本は一方的にアメリカに片思いをしているらしい。
その寵愛が欲しければ、大人しく骨を拾ってくるのだ、とでも言いたげな
このコラムを読んで、僕は酷く気分が滅入ってしまった。

時間が無いこともあり、表現的にはあまりオブラートに包めなかったところも
あったが、今回のコラムについては、思い立った感想をそのまま書き起こした
方がよいのでは、とも思い、そのまま投稿する。

こうした僕の思いは、偏っているのだろうか?
所詮、敗戦国民の遠吠えに過ぎないのだろうか?


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『死刑執行人サンソン―国王ル... | トップ | ナルシシズム・メディア ~... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (Unknown)
2013-08-29 22:25:20
あなたは正しい
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

活字の海(新聞記事編)」カテゴリの最新記事