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著者:桐山 秀樹 , 吉村 祐美 (共著) 生活人新書刊 定価:
初版刊行:2003年12月8日(入手版も同じ)
■ルイ・エクトール・ベルリオーズ(1803~69)
-永遠の恋人に捧げる失意の「幻想交響曲」(桐山秀樹著)
誰にでも。
心の中に、忘れられない人影の一人や二人はあるだろう。
それが、同性か異性かを問わず。
自分の心身を育んでいく上で、影響を受けた人々。
それが。
リスペクトや愛情といった正の側面を持つ場合と。
失望や嫌悪、憎悪といった負の側面を持つ場合と。
更には、それらがコンプレックスされた場合と。
様々な思いが重畳して、その人への思いを形成していることは多い。
中には。
それが告白の成功という形で、成就出来るケースもあるだろう。
師弟関係という絆で、繋がりを持ち続けることもあるだろう。
それでも。
そんな思いを、密かに心の中に刻み込んで生きていくこともまた多い。
それが、異性であれば尚のことである。
ところが。
今回の主役、ベルリオーズのそうした思いに対するアプローチは、
度肝を抜かれた。
彼は、若干12歳にして見初めてしまった初恋の女性に対して。
2度の結婚と離婚(あるいは死別)を繰り返した後に。
彼が61歳という年齢に達しても、なお。
出し続けたラブレターが、志向するもの。
それは、彼自身が内包していた狂気にも近い愛情であった。
著者は、彼の狂気に満ちた人生をその幼少から老年までバランスよく
トレースしていく。
そこで、紐解かれるもの。
それは、さしずめ今ならストーカー法に引っかかりかねないレベルの、
ベルリオーズの執念とでもいうべき行動である。
ただ…。
著者が示唆しているように。
ベルリオーズという男は。
現実の女性に恋をしていた訳ではないのだろう。
彼は終生、あくまでも自分の心に映った幻影を追い続けていた。
それを成し得たのは、彼の思い込みの強さゆえであろうし、
それだけの感情のテンションがあればこそ、芸術家として大成できた
のだろう。
何せ。
自分の恋愛に対する想いを元に、「幻想交響曲」を創り上げてしまう
のだから。
もう一度、言おう。
彼が、愛情を抱き続けたもの。
それは、現実の女性たちではなく、全て彼の幻想に過ぎない。
更に言えば、その幻想の果てにあるもの。
それは、彼の自己愛なのだろう。
そこまで自らに酔えることもまた、立派な才能なのである。
チャップリンの映画「独裁者」の有名な台詞。
「1人殺せば殺人犯だが、100 万人殺せば英雄だ。
数が殺人を神聖化する」
( One murder makes a villain, millions a hero.
Numbers sanctify. )
※ 台詞は、青の季節さんのHPを参照させていただきました。
ありがとうございました。
これを、ベルリオーズに当てはめてみれば。
「手紙を出し続けるだけなら単なるストーカーだが、
交響曲まで仕立ててしまえば芸術家だ」
とでもなるだろうか。
ベルリオーズにとって、その恋愛の成就などには一切興味が無かった
ことは断言出来る。
彼はただ。
恋する自分が大好きで、ひたすら片思いに浸る自分を演じ続けた。
告白し、拒絶されればされるほどに、彼の手紙のボルテージが上がって
いくことが、そのよい証明だろう。
そして、それが。
後年。
数多の人の心に届く「幻想交響曲」という形を成したとき。
それこそが、彼の情念の勝利とも言えることなのだろう。
ベルリオーズ:幻想交響曲 第1-3楽章
ベルリオーズ:幻想交響曲 第4-5楽章
それにしても。
只管に、自分しか見つめない男でありながら。
現実世界では音楽家として大成し、二度の結婚をも成し遂げた彼。
いやはや。
たいした男である。
自分が、かく有りたいとは思わないけれどね。
(この稿、了)
初版刊行:2003年12月8日(入手版も同じ)
■ルイ・エクトール・ベルリオーズ(1803~69)
-永遠の恋人に捧げる失意の「幻想交響曲」(桐山秀樹著)
誰にでも。
心の中に、忘れられない人影の一人や二人はあるだろう。
それが、同性か異性かを問わず。
自分の心身を育んでいく上で、影響を受けた人々。
それが。
リスペクトや愛情といった正の側面を持つ場合と。
失望や嫌悪、憎悪といった負の側面を持つ場合と。
更には、それらがコンプレックスされた場合と。
様々な思いが重畳して、その人への思いを形成していることは多い。
中には。
それが告白の成功という形で、成就出来るケースもあるだろう。
師弟関係という絆で、繋がりを持ち続けることもあるだろう。
それでも。
そんな思いを、密かに心の中に刻み込んで生きていくこともまた多い。
それが、異性であれば尚のことである。
ところが。
今回の主役、ベルリオーズのそうした思いに対するアプローチは、
度肝を抜かれた。
彼は、若干12歳にして見初めてしまった初恋の女性に対して。
2度の結婚と離婚(あるいは死別)を繰り返した後に。
彼が61歳という年齢に達しても、なお。
出し続けたラブレターが、志向するもの。
それは、彼自身が内包していた狂気にも近い愛情であった。
著者は、彼の狂気に満ちた人生をその幼少から老年までバランスよく
トレースしていく。
そこで、紐解かれるもの。
それは、さしずめ今ならストーカー法に引っかかりかねないレベルの、
ベルリオーズの執念とでもいうべき行動である。
ただ…。
著者が示唆しているように。
ベルリオーズという男は。
現実の女性に恋をしていた訳ではないのだろう。
彼は終生、あくまでも自分の心に映った幻影を追い続けていた。
それを成し得たのは、彼の思い込みの強さゆえであろうし、
それだけの感情のテンションがあればこそ、芸術家として大成できた
のだろう。
何せ。
自分の恋愛に対する想いを元に、「幻想交響曲」を創り上げてしまう
のだから。
もう一度、言おう。
彼が、愛情を抱き続けたもの。
それは、現実の女性たちではなく、全て彼の幻想に過ぎない。
更に言えば、その幻想の果てにあるもの。
それは、彼の自己愛なのだろう。
そこまで自らに酔えることもまた、立派な才能なのである。
チャップリンの映画「独裁者」の有名な台詞。
「1人殺せば殺人犯だが、100 万人殺せば英雄だ。
数が殺人を神聖化する」
( One murder makes a villain, millions a hero.
Numbers sanctify. )
※ 台詞は、青の季節さんのHPを参照させていただきました。
ありがとうございました。
これを、ベルリオーズに当てはめてみれば。
「手紙を出し続けるだけなら単なるストーカーだが、
交響曲まで仕立ててしまえば芸術家だ」
とでもなるだろうか。
ベルリオーズにとって、その恋愛の成就などには一切興味が無かった
ことは断言出来る。
彼はただ。
恋する自分が大好きで、ひたすら片思いに浸る自分を演じ続けた。
告白し、拒絶されればされるほどに、彼の手紙のボルテージが上がって
いくことが、そのよい証明だろう。
そして、それが。
後年。
数多の人の心に届く「幻想交響曲」という形を成したとき。
それこそが、彼の情念の勝利とも言えることなのだろう。
ベルリオーズ:幻想交響曲 第1-3楽章
ベルリオーズ:幻想交響曲 第4-5楽章
それにしても。
只管に、自分しか見つめない男でありながら。
現実世界では音楽家として大成し、二度の結婚をも成し遂げた彼。
いやはや。
たいした男である。
自分が、かく有りたいとは思わないけれどね。
(この稿、了)
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