壺中日月

空っぽな頭で、感じたこと、気づいたことを、気ままに……

石の露

2010年10月04日 21時36分53秒 | Weblog
          二 見
        硯かと拾ふやくぼき石の露     芭 蕉

 二見浦に庵を結んだ西行を慕う心が基底になっている。『西行談抄』に、
        西行上人二見浦に草庵むすびて、浜荻を折りしきたるさま
        にて……硯は石のわざとにはあらで、もとより水入るる所
        などくぼみて硯のやうなる、筆置く所などもあるを置かれ
        たり。……
 とあり、西行が、くぼんだ石を硯とした故事をもって、発想の契機としたものである。
 この句は真蹟書簡にある句で、この書簡は、杉風に宛てたものと推定される。(元禄二年)九月二十二日付。

 「くぼき」は形容詞「くぼし(窪し)」の連体形。一部がへこんでいる意。

 季語は「露」で秋。露自体の感触を生かすと共に、西行を懐かしむ心の通い路として働いている。

    「西行上人の隠れ棲んだ二見に来て、そのおもかげも懐かしく、窪んだ
     石にわずかに露の溜まっているのを見ても、上人の硯の類ではなかろ
     うかと手に拾ってみたことだ」


 ――なんと心地よく不思議な空間なのだろう、『秋山俊也展』(銀座「画廊宮坂」)の会場は。
 二十数点ある作品は、どれもこれも触りたくなる、いや抱きしめたくなるほど魅力がある。
 俊也君は美しいもの、特に美しい女性が大好きとのこと。世の男どもは、美しい女性を目の前にすれば、触りたい、抱きしめたいという衝動に駆られるであろう。ということは、俊也君の作品は、みな美女ばかりということだ。
 それもそのはず。日光アール・プリュコット2009年に、観る者に衝撃を与えた「ドローイング10000点展」から厳選された作品と、新作の展覧なのだから。
 いくら全員が心やさしい美女であっても、結婚できるのは一人。ということで、もっとも手元に置きたいと思った作品は「無題2006」。この作品の良さをことばで表すことは難しい。そこで変人の感じたことを記すと次のようになる。
 「天真爛漫」、「無垢であり力強い」、「懐の深さ・重厚感」、「エネルギーにあふれ、希望がわいてくる」、「心地よく、安心感が生まれる」などなど。

 値段が表示されていないので非売品かと想ったが、念のため尋ねてみた。宮坂さんは、「身辺整理」とか「百万円」とか言って、まったく売る気がない。おそらく宮坂さん自身が手元に置きたい作品なのであろう。それならそれで、仕方がない。
 ほんものの作品は、人を選ぶという。作品は収まるべきところに収まるともいわれる。
 そうだ、知人のBさんが来月、初の個展(竹芸展)を日本橋・三越で開くので、そちらに電信柱を立てるとしよう。

      秋山の伸びや真の花つかむ     季 己